上甲 米太郎(じょうこう よねたろう、1902年(明治35年)4月16日 - 1987年(昭和62年)3月21日)は、大正・昭和期の朝鮮における公立普通学校教員、社会活動家。 慶尚南道泗川郡昆明公立普通学校に勤務して朝鮮人の生活の苦しさをみるうち日本による朝鮮の植民地支配に疑問をもち朝鮮の独立を支持する考えになっていった。朝鮮人の苦しさを解消するための方法を考え、教え子と教育労働者組合の勉強会を自発的に行うなどしていたところ、1930年12月5日、教育労働者組合の結成を画策したとして治安維持法違反で逮捕された。