ツタンカーメン

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ツタンカーメン(Tutankhamun、Tutenkh-、-amen、-amon)は古代エジプトのファラオ(王)である。彼は墓が発掘されたというだけの、彼が生前残した業績以外の面で名前を残した人物である。

すぐ呪う、スゴく呪う

概要[編集]

ツタンカーメンは古代エジプト第18王朝のファラオである。 18歳の時、父を恨む部下の生物兵器並みの[1]によってぽっくり天に召される。 表向きには暗殺されたとされているが、これは屁により死亡という情けない死に方を認めたくない彼の妻が、あまりに悲しんだ為、そのような理由にされたとされる[要出典]

また、この王が実績の割に有名なのは、彼の墓が墓荒らしや後の王族などに荒らされずに[2]発掘されたことからである[3]

人物[編集]

彼は父アクテンアテンとその姉妹であるキヤとの子である。親父のアクテンアテン[4]がある日突然思いつきではじめた「神様変えちゃおうぜ政策[5]」のせいで名前まで変えられて[6]しまった悲劇のファラオでもある。

小さいとき、部下達に恨まれていた親父が密室で屁を嗅がされて暗殺[要出典]されたため小学校に通えず王位につく。 彼は宗教狂いの父親、及び若くしてファラオになったことによって友達がいなかったらしい[要出典]。 また、彼はその環境による暗殺の危惧及び、代々のファラオによる近親相姦の影響により病弱であったため、周りの大人たちが心配するほどの引きこもり生活をしていたとされている[要出典]。 その状態で9年ほど統治するものの、生前は父親などの影響[7]もあり、その名前を広く知られる行動を行うことはなかったと推測される[8]

また、彼の妻アンケセナーメンは、彼の腹違いのであり、さらに彼の義理の母(父親と婚姻関係にあった)である[9]。なお、この女性も当初の名をアンケセンパーテン(Ankhesenpaaten)といったが、やはり彼との結婚の際名前を変えいている。二人の関係は良好であったといわれている。なお彼女は次代の王であるケペルケペルウラーとも結婚している。

子供は文献上では確認されないが、王の墓の中から出産直後、あるいは死産と思われる2人の子供のミイラが発掘されているため、これらが彼の子である可能性が高い[10]

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墓は王家の谷のめっさ目立つ場所にあったが、なぜか呪いを恐れない馬鹿、あるいは盗掘を恐れた連中が、あろう事か墓の上に作業小屋を作ってしまったため、後代発掘するとその小屋が出てきてしまい、「ああ、作業小屋か」とそこで発掘作業が終了してしまうという事態に陥り、盗掘者及び考古学者より保護されていた。ところが1922年イギリスの物好き貴族カーナヴォン卿の支援を受けた、たたき上げの考古学者ハワード・カーターによりほぼ未盗掘[11]で見つかった。このようにほぼ王の墓が完全な状況で発掘されるという例はまったくなく(現在でもこれ以外はない)、世界中に大きな驚愕させた。

また、これと前後して発掘のスポンサーであるカーナボン卿が死亡している。 一般的にはこれは王家の呪いとされているが、 埋葬されていた彼にとっては、墓を発掘したカーナボン卿を呪ったつもりはない。 きっと抜けきらなかった屁を多く嗅いでしまったのだろうとコメント[12]している。

王のミイラ、及び検視結果[編集]

この発掘により彼のミイラが残されている。しかし、経年劣化及び暗殺に用いられた屁により保存状況が不良であったにもかかわらず、発見後ミイラの包帯を解くという暴挙(ガス抜きのためには仕方なかったのだが)のため色々とミイラに損傷[13]が発生してしまい、ミイラから彼の死因を探ることは困難なことにされてしまった。 2005年以降彼のミイラに関する本格的な調査が行われ、以下のことが判明した。

棺の中でのミイラの保存は限界であること
このため、彼のミイラはから出され、温度湿度などの管理が可能な合成樹脂製のケースの中に収められた。
体格など
身長165cm(おおむね古代エジプトにおける平均身長)、かなり華奢であり、2010年の調査により、彼は肉体などに近親交配の影響による疾患を患っていた可能性が高いことが明らかとなった。
頭部の打撃は死後発生したもの
1962年のX線写真により頭部に打撃の痕跡が見られたが、2005年のCT検査により、樹脂の中に破片がある事が確認、これにより頭部打撃による事故死、あるいは暗殺という可能性は否定された。
脚部の骨折
2005年のCT検査により、左足の大腿骨に骨を縦に割り、皮膚を突き破るほどの大きな骨折が見られ、さらには治療を施し治癒した痕跡が見られることが明らかになった。このため、この怪我(何らかの事故、おそらくはチャリオット(戦車)からの落車)が引き金となり、敗血症、及び出血多量により志望したという説が有力となった。
鎌状赤血球貧血症
2010年の調査により彼は鎌状赤血球貧血症[14]であったと推測されている。

しかし、ミイラをいくら調べようとも現状の検査程度では屁は検出されないのだが、仕方のないことであろう。

脚注[編集]

  1. ^ 諸説あり。感染症とも、病死であるとも、事故死とも言われている。
  2. ^ 副葬品のうちテキスト類が発掘されていないことなどから、何らかの目的を持って墓が暴かれたと推測されている[要出典]
  3. ^ 余談であるがこの王が「ツタンカーメン」と呼ばれるようになったのは日本人の影響とされている
  4. ^ アメンホテプ4世(Amenhotep IV)(Akhenaten、イクナートンとも呼ばれる)。歴史に著名なアテン信仰を宣言し、新都アケトアテン(「アテンの地平」の意。現在のテル・エル・アマルナ。)に遷都したことにて知られる。
  5. ^ 今まで信仰されていたアメン=ラー信仰をやめ、アテン信仰に変更、さらに遷都を行うという急進的なものであった。しかし、これはアメン神の神官の抵抗などにより失敗した
  6. ^ 当初トゥト・アンク・アテン(Tut-ankh-aten)「アテンの生ける似姿」という名前であったが、、トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)「アメンの生ける似姿」に変更されている。
  7. ^ 現に彼の先代の王であるスメンクカーラーにいたってはアクテンアテンとの関係すらもよくわかっておらず、ツタンカーメンの墓が発見され、その副葬品の一部が彼のものであることが判るまでは非実在説が唱えられるほどであった。
  8. ^ 実際には彼の次の次の代のファラオであるホルエムヘブ(Horemheb)によりアクテンアテンから彼の次代のファラオであるケペルケペルウラー(Kheperkheperure、アイとも呼ばれる)までの存在を徹底的に抹殺したことも影響している。
  9. ^ これは東京都条例だとイラストにするとどうしようもないくらい一発アウトである。それ以前に出版社やら印刷所が出版不能の判断を下しかねない状況である。
  10. ^ つまり色々いわれていようがやることはやっていたのである。
  11. ^ ただし、宝石の一部が抜き取られたり前述のとおりテキスト類がないことより、盗掘された形跡はあるようである。
  12. ^ おそらくカーターはガスを吸っても大丈夫な体質か、何とかその影響を逃れたのだが、体の弱っていた貴族はガスに当たってしまったのだろう。
  13. ^ 多く外傷、脊椎の切断、そして性器の消失(これはやっぱり誰かが盗んだのであろう)が発生した。
  14. ^ この病気は普段円盤状をしている赤血球が遺伝子異常により鎌形に変形、酸素を運ぶ能力に劣るため、貧血となる。マラリアに対してはその鎌状のふちで攻撃するため、抵抗力が発生する。優性遺伝であり、ホモ接合の場合、致死遺伝となり、成人前に死亡する。