シーナ&ロケッツが日本のロックシーンにもたらした革新 野宮真貴が明かす、鮎川誠との共演秘話やシーナへの憧れ
シーナ&ロケッツのアルファ・レコード時代のアルバムと、鮎川誠とシーナのソロアルバム全6タイトルが1月29日に最新リマスターによりリリースされた。1979年のアルバム『真空パック』でシーンに衝撃を与えたシーナ&ロケッツは、唯一無二のバンドとして40年以上に渡り活躍。YMO(Yellow Magic Orchestra)とのコラボレートでロックを革新したアルファ時代のアルバムは日本のロックヒストリーに今なお輝く最重要作でもある。リアルサウンドでは、70年代後半にニューウェイヴの洗礼を受け、鮎川誠とシーナと親交のあった野宮真貴に、シーナ&ロケッツの魅力と彼らが登場した時代、共演時のエピソードなどを語ってもらった。(佐野郷子)
日本のロックを知りたいならシーナ&ロケッツは絶対にはずせない
ーーシーナ&ロケッツは1979年にエルボンレコードより『#1』でデビューしていますが、野宮さんがその存在を知ったのは?
野宮真貴(以下、野宮):やはり、アルファからリリースされた2ndアルバムの『真空パック』ですね。1979年は私もまだデビュー前で、ニューウェイヴ少女になった頃。当時はツバキハウスのようなディスコによく遊びに通っていたんですが、そこで「ユー・メイ・ドリーム」がよく流れていて、私にとってはまさに青春の思い出の曲なんです。
ーー野宮さんが『ピンクの心』でソロデビューしたのは1981年。シナロケは少し先輩になりますね。
野宮:シナロケがデビューした後の1980年代初頭は、ニューウェイヴの影響を受けたバンドやアーティストが日本でもたくさん生まれて、私もその一人なんですが、シーナ&ロケッツは当時、洋楽ですごく人気のあったBlondieと並んでもまったくひけを取らない眩しい存在でした。
ーー『真空パック』は、細野晴臣さんプロデュースで、YMOとのコラボレートで制作されたことも話題になりました。
野宮:細野さんのプロデュースによってロックにYMOのテクノポップの要素が入ったことでニューウェイヴ少女の私も惹きつけられたと思うんです。それに輪をかけて、鮎川誠さんとシーナさんの格好良さやバンドの佇まいが他を圧倒していましたね。
ーーYMOと同じアルファ・レコードと契約したのも、エルヴィス・コステロの初来日公演でオープニングアクトを務めたシナロケを高橋幸宏さんが観たことがきっかけになったとか。
野宮:幸宏さんがシナロケ独自のセンスの良さにすぐに気がついたのはさすがですよね。鮎川さんはYMOの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979)にも参加しているし、当時はYMOとともに『真空パック』を聴いていた人も多いと思います。70年代の後半は、パンクやニューウェイヴの影響でロックが大きく変わった時代。私もそれまではKISSが大好きなロック少女で、ファッションも髪型も70年代っぽい感じでしたが、ニューウェイヴの登場で音楽を取り巻く空気がガラッと変わったんです。70年代風なものが急速に色褪せていった。
ーー野宮さんもそこでニューウェイヴ少女に変貌を遂げたと、立花ハジメさんとの鼎談(※1)で仰っていましたね。
野宮:そう。私もすぐに刈り上げのショートカットにしてその波に追いつきたかったんです。シーナ&ロケッツは私より世代は上ですが、そういう時代の劇的な変化と空気を敏感に感じていたんだと思います。鮎川さんとシーナさんがご夫婦でロックバンドをしていることも新鮮でしたね。
ーー鮎川誠さんが70年代に福岡で結成したサンハウスはご存じでしたか?
野宮:サンハウスはよく知らなかったんですが、ボーカルの柴山俊之さんは作詞家として「ユー・メイ・ドリーム」などを手がけていたし、シナロケでお馴染みの「レモンティー」もサンハウスの曲だったんですよね。シナロケのポップだけど少しきわどいところもある歌詞も大好きでした。
ーー野宮さんがボーカリストを目指していた頃、シーナさんのボーカルスタイルはどのように感じましたか?
野宮:アルファ時代のシーナさんはThe Ronettesを彷彿とさせるファッションがすごくキュートで憧れました。ニューウェイヴ時代って、50年代、60年代のファッションがリバイバルして人気があったんです。シーナさんの可愛いんだけどパンチの効いた独特の歌い方はだれも真似ができないものだし、彼女が歌うからいいという曲ばかりなんですよね。実際に歌ってみると、そのオリジナリティのすごさがよく分かる。
ーーシーナさんは女性ロックボーカルの先駆者でもありました。
野宮:そうですね。70年代は女性のロックボーカリストは数えるほどしかいなかったので、シーナさんの登場は本当に鮮やかで衝撃的だったし、ロックの不良っぽい匂いを漂わせながら品位があって、それまで歌ったことがなかったというのも驚きでした。シナロケには70年代ロック特有の泥臭さがなくて、今聴いてもポップで洗練されているんです。未来に聴かれても新鮮なロックというものをあの頃から見据えていたとしか思えないくらい。
ーー野宮さんはソロデビューの後、ポータブル・ロックを結成してバンドでも活動することになりますが、当時の若いバンドにとってシーナ&ロケッツは?
野宮;私のいたポータブル・ロックは80年代のシナロケとはご縁がなかったんです。私たちとはライブの規模も違ったし、私はバンドでもあまり売れなかったので(笑)、遠くで見ていました。いわゆる正統派とは違うキャラクター性が強いシーナさんの歌い方やステージング、鮎川さんのギターやバンドの在り方も含めてシナロケは別格でしたから。女性ボーカルのバンドがたくさん生まれたのも80年代の特徴でしたが、TVの音楽番組にアイドルもいれば、シーナ&ロケッツも出ていたり、いろんな音楽が百花繚乱という感じで面白かった。
ーー80年代に入り、『チャンネル・グー』『ピンナップ・ベイビー・ブルース』を発表しますが、ロックの伝統と革新を兼ね揃えていたのがアルファ時代のシーナ&ロケッツでしたね。
野宮:そうですね。『チャンネル・グー』収録の「浮かびのビーチ・ガール」(作詞:糸井重里 作曲・編曲:イエロー・マジック・オーケストラ)は私も大好きな曲です。日本のロックを知りたいならシーナ&ロケッツは絶対にはずせないということを今の若いリスナーにも知ってほしいし、伝えていきたいですね。