NHKの連続テレビ小説「虎に翼」で取り上げられた戦前の首相直属機関「総力戦研究所」が、米国と戦争した場合の分析を内閣に報告したのは1941年8月末だった▲当時の軍部や官僚らの中堅・若手精鋭がデータを基に進めたシミュレーション結果は「日本必敗」。戦争が長期化し、最後はソ連参戦で行き詰まることまで予測した。だが、東条英機陸相は「机上の演習と実戦は異なる」と退け、口外を禁じたという。「昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹著)に詳しい▲報告から3カ月余を経た12月8日、日本は太平洋戦争に突入する。長引く日中戦争に閉塞(へいそく)感が漂う中での米英への宣戦布告に社会は快哉(かいさい)を叫び、熱狂した。総力戦研究所は、政府が自国を客観視できた最後の場だったのかもしれない▲来年は戦後80年にあたる。「8・15」への道は「12・8」で固まった。冷静な議論が通用しない空気がなぜ、形作られていったのか。ネット時代を迎えたメディアこそ重く受け止めるべき日でもある▲作家、太宰治は短編「十二月八日」で開戦当日を「日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」と記した。高揚した記述が目立つ他の作家たちに比べ、ユーモアで不安を包み隠したような作品である。「ちがう日本」に後戻りの道はなかった▲ウクライナやガザ地区で戦闘や攻撃が続く。戦いがいったん始まれば、止めることがいかに難しいか。戦争を始めても、始めさせてもならない。そのために何が必要か。戒めが重みを増す「開戦の日」だ。