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! colspan="3" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 艦級概観
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|艦種||colspan="2"|[[駆逐艦]]
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|艦名||colspan="2"|第一次世界大戦で戦死した、ドイツ帝国海軍の軍人の名
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|就役
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|退役
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|前級||colspan="2"|[[Z1型駆逐艦|1934型(Z1型)]]
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|機関
|[[蒸気タービン]]6基 2軸推進||style="font-size:smaller"|70,000hp
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|速力||colspan="2"|38ノット
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|65口径20mm単装機関砲||6門
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|533mm4連装魚雷発射管||2基
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|爆雷投射機||4基
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== 概要 ==
[[File:The Norwegian Campaign 1940- Naval Operations LN13573.jpg|thumb|left|
[[ヴェルサイユ条約]]によって基準排水量800t以上の駆逐艦の建造・保有を禁止された[[ドイツ]]は、[[1923年]]から[[1923型水雷艇|メーヴェ型]]や[[1924型水雷艇|ヴォルフ型]]を制限枠ぎりぎりで建造していたのだが、[[1933年]]から計画された海軍増備計画で大型駆逐艦の建造を決定した。翌年から建造を開始し、始めに[[Z1型駆逐艦|Z1型]]を建造したが、機関の振動などにより期待された性能を発揮できなかったため、新たに本型が建造されることになった。
基本的にはZ1型の設計を流用しているが、凌波性向上のために船首楼を若干高くしている。Z5~Z8の4隻はZ1型と同じ機関を搭載しているが、Z9以降の艦はより高温・高圧のボイラーに変更したため、最高速力と排水量が若干増加している。
全艦が[[第二次世界大戦]]で実戦参加し、7隻が失われ、大戦を生き残った5隻は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側に引き渡され、[[ソビエト連邦|ソ連]]に引き渡されたZ15は[[1958年]]まで使用されている。また、大戦中盤まで残存していた艦には[[レーダー]]の装備や対空兵装の強化などが行われている。 <gallery>
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!艦名||造船所||起工||進水||就役||備考
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|[[パウル・ヤコビ (駆逐艦)|Z5 パウル・ヤコビ]]<br />(Paul Jacobi)||[[:de:Deutsche Schiff- und Maschinenbau Aktiengesellschaft|DeSchiMag]]、[[ブレーメン]]造船所||1935年<br />7月15日||1936年<br />3月24日||1937年<br />6月29日||フランス海軍に賠償艦として譲渡、{{lang|fr|Desaix}}と再命名の上で就役。<br />1958年解体。
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|[[テオドール・リーデル (駆逐艦)|Z6 テオドール・リーデル]]<br />(Theodor Riedel)||DeSchiMag、ブレーメン造船所||1935年<br />7月18日||1936年<br />4月22日||1937年<br />7月2日||フランス海軍に賠償艦として譲渡、{{lang|fr|Kleber}}と再命名の上で就役。<br />1958年解体。
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|[[ヘルマン・シェーマン (駆逐艦)|Z7 ヘルマン・シェーマン]]<br />(Hermann Schoemann)||DeSchiMag、ブレーメン造船所||1935年<br />9月7日||1936年<br />7月16日||1937年<br />9月9日||1942年3月2日
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|[[ブルーノ・ハイネマン (駆逐艦)|Z8 ブルーノ・ハイネマン]]<br />(Bruno Heinemann)||DeSchiMag、ブレーメン造船所||1936年<br />1月14日||1936年<br />9月15日||1938年<br />1月8日||1942年1月25日
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|[[ヴォルフガング・ツェンカー (駆逐艦)|Z9 ヴォルフガング・ツェンカー]]<br />(Wolfgang Zenker)||[[:de:Germaniawerft|Germaniawerft]]、[[キール (ドイツ)|キール]]造船所||1935年<br />3月23日||1936年<br />3月27日||1938年<br />7月2日||1940年4月13日
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|[[ハンス・ロディ (駆逐艦)|Z10 ハンス・ロディ]]<br />(Hans Lody)||Germaniawerft、キール造船所||1935年<br />4月1日||1936年<br />5月14日||1938年<br />9月13日||イギリス海軍に賠償艦として接収、試験艦として使用。<br />1946年から1949年にかけて解体。
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|[[ベルント・フォン・アルニム (駆逐艦)|Z11 ベルント・フォン・アルニム]]<br />(Bernd von Arnim)||Germaniawerft、キール造船所||1935年<br />4月26日||1936年<br />7月8日||1938年<br />12月6日||1940年4月13日
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|[[エーリッヒ・ギーゼ (駆逐艦)|Z12 エーリッヒ・ギーゼ]]<br />(Erich Giese)||Germaniawerft、キール造船所||1935年<br />5月3日||1937年<br />3月12日||1939年<br />3月4日||1940年4月13日
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|[[エーリッヒ・ケルナー (駆逐艦)|Z13 エーリッヒ・ケルナー]]<br />(Erich Koellner)||Germaniawerft、キール造船所||1935年<br />10月12日||1937年<br />3月18日||1939年<br />3月28日||1940年<br />4月13日、第2次ナルヴィク海戦にて撃沈。
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|[[フリードリヒ・イーン (駆逐艦)|Z14 フリードリヒ・イーン]]<br />(Friedrich Ihn)||[[ブローム・ウント・フォス]]、[[ハンブルク]]造船所||1935年<br />3月30日||1935年<br />11月5日||1938年<br />4月6日||ソ連海軍に賠償艦として譲渡、{{lang|ru|Прыткий}}(Prytkiy)として再就役
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|[[エーリッヒ・シュタインブリンク (駆逐艦)|Z15 エーリッヒ・シュタインブリンク]]<br />(Erich Steinbrinck)||ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所||1935年<br />5月30日||1936年<br />9月24日||1938年<br />5月31日||ソ連海軍に賠償艦として譲渡、{{lang|ru|Пылкий}}(Pylkiy)として再就役。<br />1958年解体。
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|[[フリードリヒ・エッコルト (駆逐艦)|Z16 フリードリヒ・エッコルト]]<br />(Friedrich Eckoldt)||ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所||1935年<br />11月14日||1937年<br />3月21日||1938年<br />7月28日||1942年12月31日
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{{warship-stub}}
{{Z5型駆逐艦}}
[[Category:ドイツの駆逐艦|*Z05]]
[[Category:Z5型駆逐艦|*]]
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