NHK紅白歌合戦の主要記録一覧
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NHK紅白歌合戦の主要記録一覧(エヌエイチケイこうはくうたがっせんのしゅようきろくいちらん)とは、過去に放送されたNHK紅白歌合戦に於ける記録の一覧である。
初記録
- 初めて出場決定後に辞退した歌手
- 初めての応援ゲスト
- 初めて同時出場した実の親子
- 初めて2曲以上歌った歌手。
- 紅白歌合戦を最後に引退した初めての歌手
- 初めて出場したグループ・その1(ヴォーカルのみ)
- 伊藤エミ・ユミ(ザ・ピーナッツ)(1959年・第10回) 同一の曲(情熱の花)での出場。
- ザ・ピーナッツは兄弟・姉妹歌手としての紅白最多出場記録並びに兄弟・姉妹での最多連続出場記録をどちらも通算16回の記録をも残している(一括りのグループとしての初出場(下記参照)の記録もある)。なおこの記録は第58回現在も破られていない。また兄弟・姉妹同時出演はその後数組(こまどり姉妹などが)登場している。紅組の中で最も代表的なのが由紀さおり・安田祥子姉妹。ザ・ピーナッツの次に兄弟・姉妹での同時出演回数が多い(通算10回の同時出場)。また白組での最多同時出演は鳥羽一郎・山川豊兄弟および藤井郁弥・尚之兄弟(チェッカーズ)の通算9回。
- 紅組では岩崎宏美・岩崎良美の姉妹がソロで別々の曲で出場を果たし(1980年・第31回 岩崎宏美「摩天楼」、岩崎良美「あなた色のマノン」)、その記録は以降破られていない。
- 初めて出場したグループ・その2(楽器演奏者を含む)
- 紅組:ピンキーとキラーズ(1968年・第19回)
- 白組:和田弘とマヒナスターズ(1959年・第10回)
- 初めて紅白両方の組に出場した歌手
- 男性:和田弘とマヒナスターズ
- 女性:原由子
- 白組ではサザンオールスターズで(1982年・第33回) に初出場し、紅組では(1991年・第42回)にソロで出場
- 初めて性別と異なった組で出場した歌手
- 紅組:和田弘とマヒナスターズ(1960年・第11回)
- 白組:ロザンナ(1970年・第21回)
- 初めて同じ回に両方の組から出場した歌手
- 和田弘とマヒナスターズ(1960年・第11回)
- 初めて司会を兼務して出場した歌手
- 初めてトップバッターとトリの両方を務めた歌手
- 各々の初回分のみ記す。
- 初めてジーンズを穿いて出場した歌手
- 初めてミニスカートを穿いて出場した歌手
- 金井克子(1966年・第17回)
- 初めて出場した男女混合グループ
- ピンキーとキラーズ(1968年・第19回)
- それまでも男女混合グループのヒット曲がエントリーされる事はあったが、男女同時の出演は認められておらず、女性ボーカルのみが紅組で単独出場したり、男性ボーカルが女性ボーカルのパートも兼ねて男性陣のみで白組に出場する、等の措置が採られていた。
- 初めて裸足で出場した歌手
- 初めて出場曲で紅白歌合戦が放送した翌週のオリコンシングルチャード1位を飾った歌手
- 初めて紅白歌合戦で追悼企画を行われた著名人
- 初めてポピュラーソングでトリを飾った歌手
- 紅組:山口百恵(1978年・第29回)
- 白組:沢田研二(1978年・第29回)
- 共に同じ回。この年の1978年は演歌不作の年と言われ、ニューミュージックの絶頂期でもあった。紅白でこの年の最も売れたポピュラー歌手をトリに抜擢したが、様々なポピュラー歌手の辞退・落選の中で上記の2名が抜擢された。
- 初めてスケートを履いて歌った歌手。
- 桑田佳祐・原由子(サザンオールスターズ)(1982年・第33回) 同一の曲での出場。
- 初めて発売前の曲で出場した歌手
- 初めて休業を得て紅白歌合戦で復帰した歌手
- 初めて解散後に紅白歌合戦で再結成したグループ
- 初めて芸能界引退後に紅白歌合戦で復帰した歌手
- 都はるみ(1989年・第40回)
- 初めて同一回に同組から二度出場した歌手
- 初めて出場した(設定上)人間ではない出場者
- 聖飢魔II(1989年・第40回)
- 初めて中継で歌った歌手
- 初めて出場した歌わないグループ
- G-クレフ(1990年・第41回)
- 初めて紅白歌合戦でテレビ出演を果たした歌手
- 初めて役名で出場した歌手
- 中島みゆき(出場曲:地上の星/ヘッドライト・テールライト)(2002年・第53回)
- 初めて垣根越えで出場した歌手
- 初めてトリを務めたグループ
- 初めて出場曲で番組後にオリコンシングルチャード1位に返り咲いた歌手
- SMAP::世界に一つだけの花(2003年・第54回)
- 初めて(放送日時点で)音楽配信のみで発売された曲で出場した歌手
- 松任谷由実 with Friends Of Love The Earth(2005年・第56回)。「Smile again」を歌唱。2006年2月15日にシングルCD化された。
- 初めてアナウンサー以外で紅組司会を務めた男性
- 初めて出演した現役民放アナウンサー
単独記録
ここでは、最新回の時点で新たな達成者が現れていない記録について集める。
- トリを務めたグループ
- グランド・スラム(司会、歌手、審査員、応援ゲストと云う全ての役割にて)出場
- 西田敏行(応援:1977年・第28回他、歌手:1981年・第32回他、審査員:1989年・第40回、司会:1990年・第41回)
- 又、西田は更なる別パターンとして、2007年・第58回に於いて阿久悠の追悼VTRでナレーションを担当している。
- 同一回に同一組から二度出場した歌手
- 異なる組の司会と兼務して出場した歌手
- 中居正広(白:SMAP名義で出場、紅:司会)(2007年・第58回)
- インディーズから出場した歌手
- Def Tech(2005年・第56回)
- トリを務めた外国曲
- 天童よしみの「美しい昔」(2003年・第54回)
最高記録
ここでは種々の数値的な記録を集める。「最高記録」の名称で統一するが、名誉のある記録については、「最多記録」や「最短記録」のほか、「最少記録」や「最長記録」などもこれに含む。なお、年齢は全て放送当時のものである。
- 最年少出場歌手
- 紅組:大橋のぞみ(藤岡藤巻と大橋のぞみ)(9歳)(2008年・第59回)
- 白組:河野ヨシユキ(11歳)(1954年・第5回)
- グループではフィリピン出身スモーキー・マウンテン(Smokey Mountain)のメンバー4人のうち最年少Zhar Santos(現在Sharon Galvez)(13歳)(1991年・第42回)
- 最年長出場歌手
- 設定上の最年長出場歌手
- 最年少司会
- 最年少トリ
- 最年長初出場歌手
- デビューから出場までの期間が最短の歌手
- WaT(2ヶ月)(2005年・第56回)
- デビューから出場までの期間が最長の歌手
- 通算最多名義出場回数…グループとしての参加など、形式上「初出場」となった回数が最も多い歌手(いずれも3回)
- 小室哲哉(TM NETWORK、H Jungle with t、globe・1988年・第39回、1995年・第46回、1996年・第47回)
- 木梨憲武(とんねるず、憲三郎&ジョージ山本、野猿・1991年・第42回、1996年・第47回、1999年・第50回)
- 後藤真希(モーニング娘。、後藤真希、DEF.DIVA・1999年・第50回、2003年・第54回、2005年・第56回)
- 松浦亜弥(松浦亜弥、DEF.DIVA、GAM・2001年・第52回、2005年・第56回、2006年・第57回)
- 藤本美貴(藤本美貴、モーニング娘。、GAM・2002年・第53回、2003年・第54回、2006年・第57回)
- 後藤と松浦は後浦なつみとして(2004年・第55回)初出場が決まっていたが安倍なつみの出場辞退があったため、最多初出場新記録(4回)は幻となった。また1999年の後藤と2003年の藤本において、グループとしてのモーニング娘。自体は初登場ではないが、後藤と藤本の個人記録としてここでは扱うものとする。
- 同一曲通算最多出場歌手数(いずれも4組)
- 「津軽じょんから節」三橋美智也(1975年・第26回)、金沢明子(1979年・第30回)、岸千恵子(1988年・第39回)、香西かおり(2002年・第53回)
- 「花〜すべての人の心に花を〜」喜納昌吉(1991年・第42回)、石嶺聡子(1995年・第46回)、由紀さおり・安田祥子(2001年・第52回)、夏川りみ(2006年・第57回)
- 「津軽じょんから節」は1984年・第35回でも細川たかしが歌っているが、応援合戦の演目であるため、ここでは対象外とする。
- 同一曲通算最多出場回数(いずれも7回)
- 「兄弟船」鳥羽一郎(1985年・第36回、1992年・第43回、1995年・第46回、2000年・第51回、2003年・第54回、2006年・第57回、2007年・第58回)
- 「おふくろさん」森進一(1971年・第22回、1990年・第41回、1994年・第45回、1999年・第50回、2005年・第56回、2006年・第57回、2008年・第59回)
- 同一回通算最多出場歌手人数
- 紅組:AKB48(43人/2007年・第58回)
- 白組:米米CLUB(19人/1996年・第47回)
- 一般的にはコアメンバー&ダンサーチーム「シュークリームシュ」が正式メンバーとして認識されており、2006年の再結成においてもそのスタンスを取っているが、1995年から1997年の解散時まではホーンセクション「BIG HORNS BEE」およびサポート陣も区別せずカウントしていたため。
- 通算最多司会回数
- 紅組:佐良直美、黒柳徹子(いずれも5回)
- 白組:宮田輝(11回)
- 黒柳、佐良はそれぞれ4年連続(黒柳:1980~1983年、佐良:1974~1977年)で紅組司会を担当しており、歴代紅組司会の連続担当記録としても最多である。
- 宮田は白組司会以外にも紅組司会(1955・1956年)、総合司会(1968・1969年)も担当しており、通算司会担当回数は15回を数える。また紅組・白組・総合の「グランドスラム」を達成した唯一の人物であり、タレント・歌手が司会に起用されるようになった1986年以降、2~3年周期で司会が交代する慣例がある近年の白組司会の起用法や、女性の司会者を置くことが当然の鉄則となっている紅組司会の起用法を勘案してもこの記録は今後も破られる可能性はかなり少ないと考えられる。
- 通算最多トップバッター出場回数
- 通算最多トリ出場回数
- 連続最多トリ出場回数
- 紅組:美空ひばり(10回/1963年・第14回~1972年・第23回)
- 白組:森進一、五木ひろし(いずれも3回)
- 通算最多大トリ出場回数
- 紅組:美空ひばり(10回)
- 白組:北島三郎(9回)
- 通算最多出場曲数
- 五木ひろし(35曲)
- 同一回通算最多出場歌手数を記録した芸能事務所
- 渡辺プロダクション(1974年・第25回)
- 連続最多出場回数
- 通算最多出場回数
- 紅組:島倉千代子(35回/初出場は1957年・第8回)
- 白組:北島三郎(44回/初出場は1963年・第14回)
- 初出場以来の同一曲連続最多出場回数
その他
- (別の回に)紅組と白組で出場
- 和田弘とマヒナスターズ(白:和田弘とマヒナスターズ)(紅:松尾和子 他・和田弘とマヒナスターズ)
- 原由子(白:サザンオールスターズ)(紅:原由子)
- 小室哲哉(白:TM NETWORK、H Jungle With t)(紅:globe)
- 和田アキ子(紅:和田アキ子)(白:m-flo loves Akiko Wada)
- デビューより10年以上歌手活動を行って引退まで一度も落選・辞退がなかった歌手
- 出場メンバーに選ばれながら不測の事態で出演できなかった歌手
- 松島詩子
- サンディー・シムス
- 雪村いづみ
- 1956年・第7回大会の出場が決まっていながらも、インフルエンザによる風邪のため出演できず、代役も立てられなかった。このため紅組の出場者が予定より1組少ない構成で進行したが、江利チエミが代理で2曲歌い、雪村の分をカバーした。
- 別番組との連携
- 例年、放送直前に流される「ニュース7」に於いて、紅白歌合戦直前のNHKホールの様子が放送される。
- 2006年・第57回で中断中のニュース枠(21:25~21:30)でかつて白組司会を務めた経験のある阿部渉アナウンサーが「次はこの歌から始まります」と絢香の「三日月」を紹介。ニュース枠で「引き続きNHK紅白歌合戦をお楽しみください。○○さん○○さ~ん」(○○には司会者の名前が入る)のコメントはあるが、曲へつながるコメントを読むのは初めてであった。また半井小絵キャスターによる気象情報が会場のNHKホールから伝えられた(因みに、阿部アナウンサーと半井キャスターは月曜日から金曜日までの「NHKニュース7」の出演者でもある)。翌2007年・第58回でも阿部アナは紅白に関連する原稿を読んだ。