Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

削除された内容 追加された内容
65行目:
L6/40は、試作時にはM6という名称で(MはMedio=中)、中戦車に分類されていたが、[[M13/40]] 中戦車が登場したことにより、[[1940年]]6月13日の通達で、中戦車の要件がそれまでの「5トン以上」から「8トン以上」に引き上げられたために、L6/40という名称になり(Lはleggero=軽)、軽戦車に分類変更された。
 
L6/40の車体の基本的デザインは、砲塔を持つ他は、ほぼL3軽戦車のままで、ただし足回りは機構を一新し、転輪2個のボギー2組を、長大なスイングアームを介して[[トーションバー]]・[[サスペンション]]で懸架した。接地長を稼ぐため、後部誘導輪も接地する型式であった。
 
L6/40に先だって採用された[[M11/39]]中戦車の足回りは[[重ね板ばね|リーフスプリング]]型式で、その後も量産されたイタリア製[[中戦車]]・[[重戦車]]はすべて同型式を踏襲したので、結果的に、L6はイタリア戦車中最も特徴的な足回りを持つことになった。
 
M6中戦車の試作時には、武装が決まらず、暫定的に砲塔にブレダ M38 8 mm機関銃を連装で装備したが、生産型では、試作車に比べ大型化した砲塔にブレダ M35 20 mm機関砲とブレダ M38 8 mm機関銃(同軸)が搭載された。この砲塔設計は同時期に作られた[[AB 41 (装甲車)|AB 41]]装甲車にも流用された。この20 mm機関砲の搭載は、地上目標だけでなく、航空目標の攻撃も企図したものであったが、実際に完成した砲塔は、航空目標を索敵・追尾するには視界も悪く、航空目標を攻撃するのに十分な仰角もとれなかった。
77行目:
なお、5 t軽戦車の試作と同時期の1937年に、スペインの国民戦線では、L3/35を基に、「C.C.I. Tipo 1937」(1937年型歩兵戦車)という、ブレダ M35 20 mm機関砲を旋回砲塔形式で搭載した軽戦車が試作された他、ドイツから供給されたI号戦車A型4輌が砲塔にブレダM35 20 mm機関砲を搭載するよう改造されている。
 
1940年3月18日、イタリア陸軍は、M6中戦車を、583輌分発注した。最初の納入が行われたのは、1941年5月22日で、予定より3カ月遅れた。
 
L6M6(L6/4040)の大量受注により、アンサルドはフィアットに生産を委託したので、L6/40の生産は、[[トリノ]]のコルソ・フェルッチにある、フィアットの子会社、SPA(ピエモンテ自動車会社)の工場において(のみ)、最終組み立てが行われた。なお、[[セモヴェンテ da 47/32]]も、同じ工場で生産されている。
 
最初の納入が行われたのは、1941年5月22日で、予定より3カ月遅れた。
 
1941年6月末、発注内容が変更され、発注された583輌分のL6/40の内、300輌分のシャーシがセモヴェンテ da 47/32用に回され、L6/40の分は一時的に283輌(この数字がL6/40の総生産数と誤解されることがある)に減ったが、583輌の発注数自体は維持された。