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それらは、L3/35と同じシャーシとエンジンコンパートメント(機関室)でありながら、新しいトーションバーサスペンションと変更された上部構造物を備えていた。
[[1935年]]末頃に完成した、最初の試作車である「Carro d'Assalto Modello 1936」は、ヴィッカース=テルニ 37 mm砲装備の一人用旋回砲塔を備えていた。
* [https://i.imgur.com/3sm0jLE.jpeg] - ローマのCSM(Centro Studi della Motorizzazione、自動車化研究局)で試験を受ける「Carro d'Assalto Modello 1936」。1935年11月12日。
[[1936年]]に完成した、2番目の試作車「Carro Cannone Modello 1936」は車体前部左側のヴィッカース=テルニ 37 mm砲に加えて、戦闘室上面の旋回小砲塔に[[フィアット レベリM1935重機関銃|フィアット レベリ M35 8 mm機関銃]]を連装で装備していた。小砲塔を外した状態での試験も行われた。「Carro Cannone Modello 1936」は、フィアット社とアンサルド社が、L3大隊の支援車両の開発を試みたもので、軍が要求したものではなかった。
* [https://i.imgur.com/TJgxX3B.jpeg] - 「Carro Cannone Modello 1936」
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しかし、これらは軍に採用されなかった。
フィアット社とアンサルド社は、不特定の外国からの要請により、両社の自己資金によるプライベートベンチャーとして、L3軽戦車を発展させた輸出用戦車として、砲塔に2挺のブレダ M38 8 mm機関銃を備えた、3番目の試作車「M6中戦車」を試作した。開発は1937年暮れに始まり、1939年10月26日に軍に披露された。
* [https://i.imgur.com/pbRGLDj.png] - M6中戦車
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L6に先だって採用された[[M11/39]]中戦車の足回りは[[重ね板ばね|リーフスプリング]]型式で、その後も量産されたイタリア製[[中戦車]]・[[重戦車]]はすべて同型式を踏襲したので、結果的に、L6はイタリア戦車中最も特徴的な足回りを持つことになった。
M6中戦車の試作時には、武装が決まらず、暫定的に砲塔にブレダ M38 8 mm機関銃を連装で装備したが、生産型では、試作車に比べ大型化した砲塔にブレダ M35 20 mm機関砲が搭載された。この砲塔設計は同時期に作られた[[AB 41 (装甲車)|AB41]]装甲車にも流用された。この20 mm機関砲の搭載は、地上目標だけでなく、航空目標の攻撃も企図したものであったが、実際に完成した砲塔は、航空目標を攻撃するのに十分な仰角をとれなかった。
なお、5 t軽戦車の試作と同時期の1937年に、スペインの国民戦線では、L3/35を基に、「C.C.I. Tipo 1937」(1937年型歩兵戦車)という、ブレダ M35 20 mm機関砲を旋回砲塔形式で搭載した軽戦車が試作された他、ドイツから供給されたI号戦車A型4輌が砲塔にブレダM35 20 mm機関砲を搭載するよう改造されている。
L6はL3の代替として開発されたものの、生産は結局開戦後の1941年からとなり、この時にはすでに能力的に見劣りするものとなっていたため、生産は翌1942年末で打ち切られ、その後は[[セモヴェンテ da 47/32]][[自走砲]]用に車台のみが[[1943年]]まで生産された。
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