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ヨハンネス・ベッサリオン

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ヨハンネス・ベッサリオン(Johannes Bessarion, 1399年? - 1472年)は、東ローマ帝国出身の人文主義者正教会、のちにカトリック教会の聖職者。本来の名前はバシレイオス・ベッサリオン(Basilius Bessarion,ギリシア語:(Βασίλειος Βησσαρίων)。

東ローマ帝国からイタリアプラトン哲学を伝え、ネオプラトニズム隆盛の一因となった。中世ギリシア語では「ヨアニス・ヴィサリオン」(ヴァシリオス・ヴィサリオン)。

ニカイア府主教としてフィレンツェ公会議の際、プレトンとともにイタリアを訪れた。正教会・カトリック教会の合同に反対したプレトンらと違って、ベッサリオンは合同賛成派であり、公会議終了後もフィレンツェに留まり、カトリック教会に改宗。1439年に枢機卿およびカトリック教会のコンスタンティノポリス総大司教(名義のみで実際のコンスタンティノポリス在住ではない)になった。

ベッサリオンはラテン語にも通じており、数多くのギリシア語文献をイタリアにもたらしたことで知られる。