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サミー・ソーサ

ドミニカ共和国の野球選手 (1968-)

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サミー・ソーサ(Samuel Sosa Peralta、1968年11月12日-)は、アメリカメジャーリーグテキサス・レンジャーズに所属するドミニカ共和国出身の野球選手。ポジションは外野手(右翼手)、2005年以降は主に指名打者。右投げ右打ち。ニックネームは"Slammin' Sammy"(スラミン・サミー)。1998年にはマーク・マグワイアと熾烈なホームラン・ダービーを繰り広げ、世界的スーパースターになるとともに母国ドミニカ共和国の国民的英雄になった。

サミー・ソーサ
Sammy Sosa
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国・サン・ペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1968-11-12) 1968年11月12日(55歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1985年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 1989年6月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

略歴

ソーサは貧しい家庭に育ち、オレンジジュースの販売や靴磨きで生計を助け、木の枝をバット替わりにし牛乳の紙パックをグラブ替わりに野球をしていた[1]

レンジャース・ホワイトソックス

1985年ドラフト外でテキサス・レンジャースと契約。1989年6月16日ヤンキース戦でメジャーデビュー。シーズン途中の7月29日シカゴ・ホワイトソックスへトレードで移籍。2年目の1990年は153試合に出場してリーグ7位の32盗塁を記録し、二塁打三塁打本塁打盗塁の4つの部門でリーグで唯一となる2桁以上の成績を残した[1]。しかし打率は233と低く、リーグで4番目に多い150三振を記録した。

1991年は開幕戦で2本塁打5打点の活躍も、その後は打率が2割で推移し[2]不振のためシーズン途中マイナーに降格した。ホワイトソックスはためらいもなく[1]1992年3月30日ジョージ・ベルとのトレードシカゴ・カブスケン・パターソンとともに放出した。

シカゴ・カブス

移籍1年目の1992年故障者リスト入りしたため67試合の試合出場にとどまったが、1993年は33本塁打・36盗塁で球団史上初めて30-30を達成し[1]、6月30日から7月2日にかけて9打席連続安打を放ち球団タイ記録(1902年以降)となり、9月29日には1試合4盗塁で球団記録タイ記録となった[3]

1994年は打率.300・25本塁打・70打点とビル・バックナー以来13年ぶりにチーム3冠を達成した[4]1995年は36本塁打・34盗塁で再び30-30を達成した。オールスターに初めて選出され、シルバースラッガー賞を初受賞した。

1996年は8月20日に死球を受け、この試合を最後にシーズンを終えてしまった。本塁打数は40をマークし、5月16日のアストロズ戦では、1イニング2本塁打と球団史上初の快挙を達成した。7月には打率.358・10本塁打・29打点の活躍でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを初めて受賞した。[5]

1997年は全162試合(161試合に先発出場)に出場して球団記録を更新する174三振[6]。この年1998年から4年総額4,250万ドルで契約延長した[7]

 
カブス時代のソーサ

1998年マーク・マグワイアとともにロジャー・マリス1961年記録した年間最多本塁打記録61を破り、最終的にソーサが66本、マグワイアが70本を記録した。5月24日時点でソーサの本塁打数は9でマグワイアに対し15本も差があったが、翌日からの30日間に21本塁打を放ち、6月には月間新記録となる20本塁打を記録した[1]。9月13日にマグワイアに5日遅れでマリスの記録を上回り、9月23日にシーズン11回目となる複数本塁打を放ち、ハンク・グリーンバーグのメジャー記録に60年ぶりに並んだ[1]

本塁打王になれなかったが、158打点で打点王。塁打数はリーグ最多の416を記録した。これは1948年スタン・ミュージアルが429塁打を記録して以降最多である[8]。チームをワイルドカードでプレーオフ進出に貢献し、MVPの投票で32票中30票の1位票を集めMVPを受賞した[9]

1998年1999年2001年の3シーズンに60本塁打以上をマークしたがいずれのシーズンも本塁打王のタイトルを獲得していない(1998年、マグワイア:70本、ソーサ:66本、1999年、マグワイア:65本、ソーサ:63本、2001年、ボンズ:73本、ソーサ:64本)。しかし2000年(50本塁打)と2002年(49本塁打)の2回本塁打王となっている。

1999年に制定されたハンク・アーロン賞の初代受賞者となっている。2000年ホームランダービーではケン・グリフィー・ジュニアを破りチャンピオンになっている[10]2001年史上初めて3回目の60本塁打を達成し、2回目のMVPを受賞した。425塁打・103長打・長打率.737はいずれも1930年にハック・ウィルソンが記録した423塁打・97長打・長打率.723を上回る球団新記録となった[11]

球団とは2002年から4年総額7,200万ドルで契約延長した[12]。 

2003年4月4日500本塁打を達成。最盛期には大リーグを代表するホームラン打者であったが、「コルクバット事件」や薬物疑惑が発覚してからは低迷し2004年、80打点で100打点を10年ぶりに下回った。


オリオールズ

 
スプリングトレーニングのソーサ

2005年2月2日ボルチモア・オリオールズへトレードで移籍。オリオールズにはラファエル・パルメイロが在籍していたため史上初めて500本塁打コンビとなった。しかし14本塁打、45打点と1992年以来の低水準だった。2005年末にFA申請したものの、2006年シーズンが始まっても所属チームが決まらず、通算600本塁打を目前にしながら去就が注目されていたところ、ワシントン・ナショナルズから50万ドルでのメジャー契約が提示されたものの拒否、事実上の引退状態となっていたが(公式の表明はせず)、2006年7月、シカゴ地元紙に2007年シーズンからの復帰の意向を明らかにし、シーズンオフにはトレーニングと併行して各球団との交渉を行った。

レンジャーズ復帰

復帰に際しては日本の球団への加入も検討したと言われるが、2007年1月17日に、古巣であるレンジャーズとのマイナー契約に基本合意。キャンプでのメジャー復帰を目指していたが、オープン戦ではブランクを感じさせない好調ぶりでメジャー契約に切り替えとなり、開幕メジャーの25人枠入りも果たした。

2007年4月26日ジェイコブス・フィールドで行われたクリーブランド・インディアンズ戦で通算44球場目となる本塁打を放ち、フレッド・マグリフケン・グリフィー・ジュニアの持つメジャーリーグ記録を更新した。

4月は7本塁打の量産ぶりも、5月以降は一転沈黙。足踏み状態が続いていたが、6月20日の古巣カブス戦でメジャー史上5人目の通算600号本塁打となる今季第12号を放ち、地元テキサスのファンは大歓声で祝福した。その記念ボールは同チームの大塚晶則投手がブルペンでキャッチ、その後ボールはソーサの手に渡った。

シーズン後半戦は欠場がちとなったが、114試合の出場ながら、21HR、92打点とまずまずの成績で、なお一線で活躍できることを示し、翌年以降の現役続行を表明した。ところが、オフのミッチェル報告書に端を発する大騒動の中で、ソーサの薬物疑惑も再燃。同報告書には名前が無かったものの、司法省の開示資料の中にソーサの名前があることが報じられた。同年フリーエージェントとなった。

2008年シーズン

2008年は開幕時点で所属チームが決まらず、5月28日2009年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ代表としての試合を最後に引退を考えている事を明らかにした[13]

コルク入りバット使用事件

2003年6月3日、当時の本拠地シカゴで行われたデビルレイズ戦で、折れたバットの中に使用の禁止されているコルクが入っているのが見つかった。ソーサは主審のティム・マクレランドから退場処分を受け、後に更に7試合の出場停止処分が下された。[14]発覚後、ESPN等のスポーツ誌は、1919年のブラックソックス事件に関わる有名なフレーズをもじって、"Say It Ain't Sosa!"(嘘だと言ってよソーサ!)という見出しをつけこの事件を報じた[15]。本人は試合前の打撃練習のエキシビジョンで使用するためのものを誤って使用した、と弁明している。

プレースタイル

 
打席に立つソーサ (2000年9月ブッシュスタジアム)

とにかく調子の波が大きいのが特徴。ホームランの固め打ちがあったかと思えば、次の打席からはひたすら三振を繰り返すことも珍しくない。「当たれば飛ぶ」選手の最高峰とも言え、その飛距離も、全盛時にはバリー・ボンズを凌ぎメジャーNO.1と讃えられた。

ホームランばかりが注目されるが、足も遅くない。1993年に33本塁打、36盗塁1995年に36本塁打、34盗塁と、2度の「30-30」を記録している。2000年代に入ってからは盗塁も少なくなっているものの、それ以前は20盗塁前後は当たり前であった。

慈善活動

故郷のドミニカ共和国に総額120万ドルを投じて、オフィスビル「30-30プラザ」を設立。市民に対して、職を供給している。

また、国を問わず、難病に苦しむ子供たちの病院を訪れたり、障害者のための基金を運営するなど、様々な慈善活動に熱心に取り組んでいる。

年度別打撃成績
































O
P
S
1989 ※1 58 183 27 47 8 0 4 13 7 5 11 47 .257 .303 .366 67 5 2 2 2 6 0.669
1990 CWS 153 532 72 124 26 10 15 70 32 16 33 150 .233 .282 .404 215 2 6 4 6 10 0.686
1991 CWS 116 316 39 64 10 1 10 33 13 6 14 98 .203 .240 .335 106 5 1 2 2 5 0.575
1992 CHC 67 262 41 68 7 2 8 25 15 7 19 63 .260 .317 .393 103 4 2 1 4 4 0.710
1993 CHC 159 598 92 156 25 5 33 93 36 11 38 135 .261 .309 .485 290 0 1 6 4 14 0.794
1994 CHC 105 426 59 128 17 6 25 70 22 13 25 92 .300 .339 .545 232 1 4 1 2 7 0.884
1995 CHC 144 564 89 151 17 3 36 119 34 7 58 134 .268 .340 .500 282 0 2 11 5 8 0.840
1996 CHC 124 498 84 136 21 2 40 100 18 5 34 134 .273 .323 .564 281 0 4 6 5 14 0.887
1997 CHC 162 642 90 161 31 4 36 119 22 12 45 174 .251 .300 .480 308 0 5 9 2 16 0.780
1998 CHC 159 643 134 198 20 0 66 158 18 9 73 171 .308 .377 .647 416 0 5 14 1 20 1.024
1999 CHC 162 625 114 180 24 2 63 141 7 8 78 171 .288 .367 .635 397 0 6 8 3 17 1.002
2000 CHC 156 604 106 193 38 1 50 138 7 4 91 168 .320 .406 .634 383 0 8 19 2 12 1.040
2001 CHC 160 577 146 189 34 5 64 160 0 2 116 153 .328 .437 .737 425 0 12 37 6 6 1.174
2002 CHC 150 556 122 160 19 2 49 108 2 0 103 144 .288 .399 .594 330 0 4 15 3 14 0.993
2003 CHC 137 517 99 144 22 0 40 103 0 1 62 143 .279 .358 .553 286 0 5 9 5 14 0.911
2004 CHC 126 478 69 121 21 0 35 80 0 0 56 133 .253 .332 .517 247 0 3 4 2 9 0.849
2005 BAL 102 380 39 84 15 1 14 45 1 1 39 84 .221 .295 .376 143 0 3 3 2 15 0.671
2006 試合出場なし
2007 TEX 114 412 53 104 24 1 21 92 0 0 34 112 .252 .311 .468 193 0 5 3 3 11 0.779
2008 試合出場なし
通算 18年 2354 8813 1475 2408 379 45 609 1667 234 107 929 2306 .273 .344 .534 4704 17 78 154 59 202 0.878
  • 数字は2007年までのもの。太字はリーグ1位。
  • ※1=テキサス・レンジャーズ→シカゴ・ホワイトソックス

タイトル・記録

脚注

  1. ^ a b c d e f The Ballplayers - Sammy Sosa” (英語). BaseballLibrary.com. 10月3日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  2. ^ Sammy Sosa - Hitting Game Log- 1991 2008年1月9日閲覧.
  3. ^ Sammy Sosa 1993 Career Highlights” (英語). 4月26日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  4. ^ Sammy Sosa 1994 Career Highlights” (英語). 4月26日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  5. ^ Sammy Sosa 1996 Career Highlights” (英語). 4月26日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  6. ^ Chicago Cubs Batting Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月9日閲覧.
  7. ^ Sosa Signs 4-Year, $42.5 Million Deal - New York Times2008年1月9日閲覧.
  8. ^ Single-Season Leaders & Records for Total Bases - Baseball-Reference.com 2008年1月9日閲覧.
  9. ^ [http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1998.shtml Baseball Awards Voting for 1998 - Baseball-Reference.com}2008年1月9日閲覧.
  10. ^ Sammy Sosa 2000 Career Highlights” (英語). 4月26日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  11. ^ Sammy Sosa 2001 Career Highlights” (英語). 4月26日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  12. ^ Dodgers agree to deal with Nakamura | The Japan Times Online 2008年1月9日閲覧.
  13. ^ Sosa not pursuing MLB job, says he intends to retire in 2009” (英語). ESPN.com. 10月3日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  14. ^ コルク入りバットは軽量なためスイングスピードが上がり長打を生みやすい、安定したスイートスポット=真芯が得られる、などとも言われている。逆に純粋な飛距離は2、3メートル落ちるという説もある。
  15. ^ Associated Press (2003年6月5日). “Say it ain't so, Sammy” (英語). The Japan Times Online. 12月10日閲覧。accessdateの記入に不備があります。

外部リンク

獲得タイトル・記録
先代
マーク・マグワイア
バリー・ボンズ
ナ・リーグ本塁打王
2000年
2002年
次代
バリー・ボンズ
ジム・トーミ
先代
アンドレス・ガララーガ
トッド・ヘルトン
ナ・リーグ打点王
1998年
2001年
次代
マーク・マグワイア
ランス・バークマン
先代
n/a
ナ・リーグハンク・アーロン賞
1999年
次代
トッド・ヘルトン
先代
ラリー・ウォーカー
ナ・リーグMVP
1998年
次代
チッパー・ジョーンズ