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鹿浜

東京都足立区の町名

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世界アジア日本東京都足立区鹿浜

鹿浜(しかはま)は、東京都足立区西部の地名住居表示では鹿浜一丁目から鹿浜八丁目まで存在する。郵便番号は〒123-0864。

隣接する地域は北は加賀および皿沼、東は谷在家および江北、南は椿および堀之内、西は埼玉県川口市東領家

地域

足立区の西部、荒川北岸に位置し、区内最大の町域面積を誇るのが鹿浜である。

地名の由来

「鹿浜」の名称が行政地名として登場するのは江戸時代の「鹿浜村」が最初であった。「鹿浜」の「鹿」はかつて「シカ」ではなく「シシ」と読まれていた。「シシ」とは水分を大量に含んだ土のことを表し、短絡的に考えても「水気に富んだ浜」という意味が推察できる。足立区の古名は「渕江」という名称であったが、これは足立区が湿地帯に属していたためであった。このことから考えても、鹿浜地区が湿地帯の一角を成していたことが推察できよう。

交通

公共交通

人口密集地帯でありながら近隣に鉄道駅が存在しないが、当地域と川口駅赤羽駅赤羽岩淵駅王子駅王子神谷駅西新井駅北千住駅などを結ぶ路線バスが多数運行されている。

2008年3月30日の日暮里・舎人ライナー開業により、東側隣接地域に江北駅(江北所在)、西新井大師西駅西新井所在)、谷在家駅(谷在家所在)の3駅が開設された。

道路・橋梁

施設

行政

  • 鹿浜地域学習センター(鹿浜図書館併設)(鹿浜六丁目8-1)
  • 押部皿沼谷在家住区センター(西部福祉事務所併設)鹿浜八丁目27-15

保育・教育

  • 足立区立鹿浜西小学校(鹿浜二丁目24-1)
  • 足立区立鹿浜小学校(鹿浜四丁目20-22)
  • 足立区立北鹿浜小学校(鹿浜五丁目27-1)
  • 足立区立鹿浜中学校(鹿浜五丁目18-1)

公園

  • 江北公園(鹿浜一丁目2-1)
  • 江北公園(鹿浜一丁目7-1)
  • 古内公園(鹿浜一丁目15-1)
  • 島糀谷公園(鹿浜二丁目22-1)
  • 都市農業公園(江北公園の1ブロック)(鹿浜二丁目44-1)
  • 鹿浜二丁目児童遊園(鹿浜二丁目24-2)
  • 鹿浜校趾公園(鹿浜プール併設)(鹿浜三丁目14-1)
  • 北鹿浜公園(交通公園併設)(鹿浜三丁目26-1)
  • 鹿浜東公園(鹿浜四丁目16-13)
  • 江北公園(鹿浜五丁目7-8)
  • 江北公園(鹿浜五丁目9-1)
  • 江北公園(鹿浜五丁目10-1)
  • 一本木公園(鹿浜六丁目18-1)
  • 押部公園(鹿浜六丁目8-1)
  • 押部西公園(鹿浜六丁目33-1)
  • 押部南公園(鹿浜七丁目21-1)
  • 押部北公園(鹿浜八丁目12-4)
  • 荒川鹿浜橋緑地(鹿浜地区荒川河川敷一帯)

銀行・郵便局

商業店舗・商店会

史跡

  • 金刀比羅神社(鹿浜一丁目5-1)
  • 氷川神社(<糀屋氷川>鹿浜二丁目18-20)
  • 氷川神社(<島氷川>鹿浜二丁目28-4)
  • 天祖神社(鹿浜三丁目12-3)
  • 北野神社(鹿浜四丁目10-19)
  • 八幡神社(<押部八幡>鹿浜七丁目19-3)
  • 長楽寺(鹿浜一丁目13-16)
  • 宝蔵寺(鹿浜三丁目20-5)
  • 阿弥陀院(鹿浜七丁目19-7)

地域行事

歴史

宝蔵寺開山墓碑と伝えられる正和元年(1312年)の板碑を始めとして、中世の頃に立てられた数々の板碑が残されているため、鹿浜の地にはこの頃から人が住んでいたことが考えられる。しかし、鹿浜村の名は、江戸時代初期までは文献に登場していない。

鹿浜村の範囲は現在の鹿浜地区よりも広く、南は現在の新田地区の隅田川岸まで、北は加賀皿沼を越えて現在の入谷地区まで達していた。また、現在の新田地区もかつては「鹿浜新田」という鹿浜村の分村であった。

大正時代に行われた荒川放水路の開削によって鹿浜は分断され、足立区成立時に放水路以北は北鹿浜町、放水路以南(字が道明塚耕地、萱野耕地、仲道耕地、古道耕地の地域)は南鹿浜町とされた。現在の鹿浜地区の大部分はこの旧北鹿浜町に属する地域である。そのうち加賀・皿沼などの他地区に混在していた地域は、住居表示の実施時に周辺の町名に再編された。旧南鹿浜町は現在新田地区の一角をなしている。

年表

  • 1889年5月1日 - 東京府南足立郡鹿浜村が周辺の村と合併し、江北村が誕生。南足立郡江北村大字鹿浜となる。
  • 1932年10月1日 - 南足立郡が東京市足立区となる。鹿浜は、荒川放水路より北部が北鹿浜町、南部が南鹿浜町と町名が定められる。
  • 1960年4月1日 - 土地区画整理事業施行により、南鹿浜町の一部が新田一~三丁目に編入される。
  • 1961年2月1日 - 南鹿浜町の荒川河川敷内を除く地域が新田一~三丁目に編入される。
  • 1968年12月1日 - 北鹿浜町・北堀之内町・上沼田町・加賀皿沼町の一部に住居表示が実施され、鹿浜一~五丁目が設置される。
  • 1971年5月1日 - 北鹿浜町の一部に住居表示が実施され、江北七丁目に編入される。
  • 1975年7月1日 - 北鹿浜町・北堀之内町・上沼田町・加賀皿沼町の一部に住居表示が実施され、鹿浜五丁目の範囲が広がると同時に、鹿浜六~八丁目が設置される。
  • 同日 - 北鹿浜町の一部に住居表示が実施され、加賀一・二丁目と皿沼一~三丁目、谷在家二丁目に編入される。
  • 1985年2月1日 - 北鹿浜町の一部に住居表示が実施され、入谷七丁目に編入される。
  • 1989年5月15日 - 荒川河川敷内に住居表示が実施され、北鹿浜町・南鹿浜町などの旧来の地名が鹿浜一丁目などの住居表示が実施された地名に編入される。(この時に南鹿浜町の地名は消滅)
  • 1997年3月1日 - 北鹿浜町の残存地域に住居表示が実施され、舎人公園に編入される。

関連項目

  • メトロセブン(赤羽駅~葛西臨海公園駅間を主に環七通りに沿って結ぶ鉄道建設構想)

参考文献