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豪喜 (会話 | 投稿記録)
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=== 大関時代 ===
大関獲りでは[[千代大海龍二|千代大海]]・[[出島武春|出島]]・[[武双山正士|武双山]]・[[雅山哲士|雅山]]らに遅れをとったが、大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、大関としては合計4度の優勝(2001年3月場所、2001年7月場所、2003年7月場所、2004年9月場所)を経験、[[横綱]]候補の1番手だった時期もあった。しかし、怪我の多さ(2001年5月場所と9月場所は腰痛、2002年7月場所と2002年11月場所と2003年9月場所は腕の怪我)や精神的な脆さ(若貴兄弟や曙に注目が集まったおかげでプレッシャーに押しつぶされずに稽古に集中できたと本人が語っている)<ref name="ref34" /> もあり、途中休場して綱取りのチャンスを無下にしてしまうことも多かった。2001年1月場所は5大関が2日目までに2敗、4日目までに10敗を喫する不甲斐ない有様で、唯一下位に対する壁になっていた魁皇も4日目の栃乃洋戦で右上手を取りながら寄り切りに敗れた際には「前に出ればよかったけど、失敗した雰囲気が悪いね。大関陣がのろわれてる? 分からない」と話していた<ref>2001年1月11日付 日刊スポーツ紙面</ref>。
 
2001年3月場所は千秋楽で武双山に上手投げで勝ち2度目の優勝。5月場所は綱取り場所となったが腰痛で途中休場。7月場所は14日目に武蔵丸に上手投げで勝ち3度目の優勝。9月場所も綱取り場所となったが腰痛で途中休場。2002年5月場所は優勝した武蔵丸に勝ち11勝。7月場所は腕の怪我で途中休場。9月場所も優勝した武蔵丸に勝ち12勝。11月場所は腕の怪我で途中休場。2003年7月場所は千秋楽で千代大海に勝ち4度目の優勝。9月場所は3回目の綱とり場所になったが右腕の怪我で負け越し。と大関になる前から言われていた、魁皇は2人いる強い魁皇と弱い魁皇が、という事が大関になってからも続き強さと脆さが隣り合わせだった。