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養蚕の推奨、[[新羅]]への出兵、[[宋 (南朝)|宋]]への遣使などの政策を積極的に実施した。
 
兄である穴穂天皇([[安康天皇]])の崩御後、帝位継承の邪魔となる兄弟や従兄たちを粛清した後即位した。このとき誅殺した[[葛城円|葛城円大臣]]の娘の[[葛城韓媛]]を妃とし白髪皇子([[清寧天皇]])を得た。また吉備上道臣田狭から妻の[[吉備稚媛]]を奪い[[磐城皇子]]・[[星川稚宮皇子]]を得た。皇后は大鷦鷯天皇([[仁徳天皇]])の皇女である[[草香幡梭姫皇女]]で血縁上は母にあたり、間に子はない。
王位継承争いは他の時代にも見られたが王位継承のライバルとなる親族をこれほど多く次々と殺戮したことは前例にないと言われている{{Sfn|水谷千秋|2001|p=34}}。
 
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||3年|| 4月|| [[伊勢神宮]]の[[斎宮]]に任じた[[稚足姫皇女|栲幡皇女]]が流言により自殺
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||4年|| 2月|| [[大和葛城山|葛城山]]で狩りを行う。
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||5年|| 4月|| [[百済]]から[[池津媛]]の代わりに王弟の[[昆支王|昆支]]が派遣される
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||16年|| 7月|| [[秦酒公]]に[[養蚕業|養蚕]]・[[紡績]]技術の普及を命じる
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||17年|| 3月|| [[贄土師部]]の設置
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||18年|| 8月|| [[物部目]]が伊勢の[[朝日郎]]を討伐
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||19年|| 3月|| [[孔王部|穴穂部]]を置く
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== 皇居 ==
都は、近畿の[[泊瀬朝倉宮]](はつせのあさくらのみや)。[[稲荷山古墳 (行田市)|稲荷山古墳]][[稲荷山古墳出土鉄剣|出土金象嵌鉄剣銘]]に見える「斯鬼宮(しきのみや ・磯城宮)」も朝倉宮を指すと言われる(別に[[河内国|河内]][[志紀郡|志紀]]([[大阪府]][[八尾市]])とする説もある)。伝承地は[[奈良県]][[桜井市]]黒崎(一説に岩坂)だが、[[1984年]]、同市脇本にある[[脇本遺跡]]から、5世紀後半のものと推定される掘立柱穴が発見され、朝倉宮の跡とされ話題を呼んだ。これ以降一定期間、初瀬に皇居があったと唱える人もいる。(近年の発掘調査で石垣を伴う区画施設が検出され,[[武 (倭王)|倭王武]](雄略天皇)の支配拠点とみることに異論はないだろう <ref>坂靖「ヤマト王権中枢部の有力地域集団」 国立歴史民俗博物館研究報告 第211 集 2018 年3月 256頁</ref>。)なお、『[[日本霊異記]]』によれば、[[橿原神宮|磐余宮]](いわれのみや)にもいたという。
 
== 陵・霊廟 ==
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[[天皇陵|陵]](みささぎ)の名は'''丹比高鷲原陵'''(たじひのたかわしのはらのみささぎ)。[[宮内庁]]により[[大阪府]][[羽曳野市]]島泉8丁目にある「[[島泉丸山古墳|島泉丸山古墳(高鷲丸山古墳)]]」・「[[島泉平塚古墳|島泉平塚古墳(高鷲平塚古墳)]]」に治定されている(古墳2基を合わせて治定)。それぞれ直径75メートルの[[円墳]]、一辺50メートルの[[方墳]]。宮内庁上の形式は[[円墳|円丘]]。
 
[[古事記]]』には、[[顕宗天皇]]が父(市辺押磐皇子)の仇討ちをすべく雄略陵を破壊しようとしたので、意祁命(後の[[仁賢天皇]])が自ら雄略陵の墳丘の一部のみを破壊して溜飲をさげさせたとある。また『[[日本書紀]]』にも、顕宗が陵を破壊しようとしたが皇太子億計(仁賢)がこれを諌めて思い止まらせたとする。
 
上記とは別に、大阪府松原市西大塚にある宮内庁の'''大塚陵墓参考地'''(おおつかりょうぼさんこうち)では、雄略が被葬候補者に想定されている<ref>外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)P 49-52。</ref>。遺跡名は「[[河内大塚山古墳]]」で、墳丘長335メートルの[[前方後円墳]]である。ただし埴輪が無い等の特徴から前方後円墳終末期のものである可能性が高く、そうであれば雄略天皇の崩年と築造年代に数十年の開きがある。なお、同地に関しては[[安閑天皇]]を被葬候補者として挙げる研究者<ref>十河良和「日置荘西町窯系埴輪と河内大塚山古墳」『埴輪論叢』六(埴輪検討会、2007年)</ref><ref>岸本直文『倭王権と前方後円墳』(塙書房、2020年)</ref>もいる。
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一方で、'''有徳天皇'''(おむおむしくましますすめらみこと)という異名もある。『書紀』4年2月条では[[葛城山]]で[[一言主]]神と邂逅した雄略天皇が神と共に猟を楽しみ、帰りは来米水([[高取川]])まで送られた。その豪胆さに感嘆した百姓達は、口々に「有徳天皇」と讃えたという<ref group="注">ただし、『古事記』では一言主の威を畏れた雄略天皇が、弓と矢を捨て衣服まで脱いで伏し拝んだと記されている。</ref>。
 
[[草香幡梭姫皇女]]を始めとして、雄略天皇の皇后・妃には実家が誅された後に決められたものが多い。{{要出典範囲|王権の強化のため、有力皇族や豪族を征伐したのち、その残党を納得させてヤマト王権に統合するために妃を取るということであろう。兄である安康天皇のやり方に倣っただけではなく、雄略天皇の治世では、皇族だけでなく有力豪族にも拡大適用してヤマト王権の強化を強行し、征伐された皇族・豪族からの恨みを買って|date=2018年8月|}}「雄略=暴君」の記述が残されていると思われる。なお前述のように[[猪名部真根]]に[[恩赦]]を与えた記録もある。
 
=== 少子部蜾蠃 ===
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=== 地方の伝承 ===
[[相模国|相模國]][[一之宮]]・[[寒川神社]]では雄略天皇の御代に[[勅使]]による[[幣帛]][[奉幣|奉弊]]<ref>{{Cite web|和書|title=御由緒 {{!}} 八方除 寒川神社 |url=https://samukawajinjya.jp/about/history.html |website=寒川神社公式サイト |access-date=2023-06-14 |language=ja}}</ref>、[[白山中居神社]]には雄略天皇9年に護国鎮護のために剣を奉納したとの伝承がある<ref>{{Cite web|和書|title=石徹白の歴史・沿革 |url=http://www.gujo.ed.jp/itoshiro/rekisi/rekisi.htm |website=www.gujo.ed.jp |access-date=2023-06-14}}</ref>。また[[湯島天神]]は雄略天皇2年1月に陛下の[[勅|勅命]]により[[天之手力雄命]]を祀る神社として創建されたとの伝承が残っている<ref>{{Cite web|和書|title=湯島天満宮縁起 |url=https://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/engi.htm |website=www.yushimatenjin.or.jp |access-date=2023-06-14}}</ref>。
 
== 歌 ==
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: 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は こよひは鳴かず 寝ねにけらしも
; 現代語訳
: ''夕になるといつもは[[小倉山 (京都市)|小倉山]]で鳴く鹿が、今夜は鳴かない。寝てしまったようだ。''
: [[舒明天皇]]作とも言われている。
 
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=== 武烈天皇 ===
系図上は孫にあたる小泊瀬天皇([[武烈天皇]])の紀に「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」とあることから、「大悪天皇」の異名を持ち名前が似通う大泊瀬大王(雄略天皇)は同一人物ではないかとの説もある。
 
== 雄略天皇を扱った関連作品 ==
; 小説
: 『ワカタケル大王』[[黒岩重吾]] [[文藝春秋]]、2002年
: 『ワカタケル』[[池澤夏樹]] [[日経BP]]、2020年
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[井上光貞|authorlink=井上光貞]]|date=1973-10|title=日本の歴史1 神話から歴史へ|series=[[中公文庫]]||publisher=[[中央公論社]]|isbn=4-12-200041-6|ref={{Harvid|井上|1973}}}}
* {{Cite book|和書|author=佐伯有清 編|authorlinkeditor=[[佐伯有清]]|date=1988-2|title=雄略天皇とその時代||publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=978-4-642-02145-6|ref={{Harvid|佐伯|1988}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[直木孝次郎|authorlink=直木孝次郎]]|date=1990-6|title=日本神話と古代国家|series=[[講談社学術文庫]]||publisher=[[講談社]]|isbn=4-06-158928-8|ref={{Harvid|直木|1990}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[安本美典|authorlink=安本美典]]|date=1992-9|title=倭の五王の謎|series=廣済堂文庫||publisher=[[廣済堂出版]]|isbn=4-331-65153-3|ref={{Harvid|安本|1992}}}}
* {{Cite book|和書|author=安本美典|authorlink=安本美典|date=2005-7|title=大和朝廷の起源||publisher=[[勉誠出版]]|isbn=978-4-585-05324-8|ref={{Harvid|安本|2005}}}}
* {{Cite book|和書|author=直木孝次郎|authorlink=直木孝次郎|date=2009-3|title=直木孝次郎古代を語る6 古代国家の形成―雄略朝から継体・欽明朝へ||publisher=吉川弘文館|isbn=978-4-642-07887-0|ref={{Harvid|直木|2009}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[森公章|authorlink=森公章]]|date=2010-4|title=倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像|series=日本史リブレット 人 002||publisher=[[山川出版社]]|isbn=978-4-634-54802-2|ref={{Harvid|森|2010}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[河内春人|authorlink=河内春人]]|date=2018-1|title=倭の五王−王位継承と五世紀の東アジア|series=中公新書||publisher=中央公論社|isbn=978-4-121-02470-1|ref={{Harvid|河内|2018}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[瀧音能之|authorlink=瀧音能之]]|date=2018-8|title=「日本書紀」と「宋書」で読み解く!謎の四世機と倭の五王|series=青春新書INTELLIGENCE||publisher=青春出版社|isbn=978-4-413-04548-3|ref={{Harvid|瀧音|2018}}}}
* {{Citation|和書|author=[[水谷千秋]]|date=2001-9-20|title=謎の大王 継体天皇|publisher=文藝春秋|series=文春新書|ref={{SfnRef|水谷千秋|2001}} }}
 
== 関連項目 ==