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1957年1月13日、[[浅草国際劇場]]にて、ショーを観に来ていた少女から[[塩酸]]を顔にかけられ浅草寺病院に緊急搬送されて入院した。現場に居合わせたブロマイド業者らによって塩酸をかけた少女は取り押さえられ警察に引き渡された。犯人の少女はひばりと同年齢(19歳)の熱烈なファンだったというが、ハンドバッグに「ひばりちゃんの美しい顔をいためねば承知できない」というメモを所持していた<ref>{{Cite book |和書 |author=世相風俗観察会 |title=現代世相風俗史年表:1945-2008|publisher=河出書房新社 |year=2009-03 |page=79 |isbn=9784309225043}}</ref>。この事件を切っ掛けにひばりは田岡に[[ボディーガード]]を要請し<ref name="週刊朝日670825">{{Cite journal |和書 |title= 一つの戦後風俗史 『落ちない太陽 美空ひばりの二十年』 |journal = [[週刊朝日]] |issue = 1967年8月25日号 |publisher = [[朝日新聞社]] |pages = 111 }}</ref>、代わりに興行権を[[神戸芸能社]]に委ねる<ref name="週刊朝日670825"/>。その後、[[歌舞伎座]]公演に復帰(奇跡的に顔に傷は残らなかった)。また、紅白の裏番組として放送されていたラジオ東京テレビ(現:[[TBSテレビ]])の『オールスター大行進』に出演していたため出場していなかった紅白歌合戦に3年ぶりに出場し、出場2回目にして[[渡辺はま子]]、[[二葉あき子]]らベテラン歌手を抑えて初めて紅組トリ(大トリ)を務めあげ、当時のひばりは既に芸能界における黄金期を迎えていた。
 
1958年4月1日、[[山口組三代目]]・[[田岡一雄]]が正式に[[神戸芸能社]]の看板を掲げた。同年4月、美空ひばりは神戸芸能社の専属となり、同年7月、新芸プロを離れ{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}、8月1日、[[ひばりプロダクション]]を設立して{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}、副社長に田岡一雄が就任した。同年8月18日{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}、東映と映画出演の専属契約を結んだ{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。それに合わせて[[京都市]][[左京区]]岡崎法勝寺町に居を構える{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。『ひばり捕物帳』シリーズや『べらんめえ芸者』シリーズ、『[[ひばりの佐渡情話]]』(1962年)など、東映は1950年代後半から1960年代にかけてタイトルに"ひばり"を冠した映画を13本製作<ref>{{Cite book | 和書 | author = 岡田茂 |year = 1992 |title = クロニクル東映 1947―1991 |volume = 1 |publisher = 東映 |page = 97 }}</ref>、続々ヒット映画にも恵まれた。1960年から始まった『べらんめえ芸者』シリーズでは二作目以降、岡田に頼まれ、[[高倉健]]を相手役として迎えた<ref>{{Cite book | 和書 | title = 高倉健 Ken Takakura 1956-2014 | series = 文春ムック | publisher = [[文藝春秋]] | year = 2015 | pages = 168-169 | id = ISBN 978-4-16-008621-0 }}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=立松和平|authorlink=立松和平|year=2003|title=映画主義者 深作欣二|publisher=文藝春秋|isbn=4-89036-181-2|page=41}}</ref><ref>{{Cite news | title = 高倉健「歌」と「旅」:言葉の本質を伝える低音の響き 「健さん」らしい、哀惜の情 | newspaper = [[毎日新聞]] | date = 2014-12-24 | url = http://mainichi.jp/shimen/news/m20141224ddm010200038000c.html | accessdate = 2015-10-4 | agency = MANTANWEB | publisher = [[毎日新聞社]] | archiveurl = https://megalodon.jp/2015-0818-1314-02/mainichi.jp/shimen/news/m20141224ddm010200038000c.html | archivedate = 2015-10-4 }}</ref><ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2018/08220555/?all=1 元最高幹部が明かす 「高倉健」と「山口組」の知られざる交流]</ref>。『べらんめえ芸者』シリーズは、[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]と[[笠原良三]]の脚本で始まったもので<ref name="笠原和夫傑作選">{{Cite book|和書|author=笠原和夫|authorlink=笠原和夫 (脚本家)|year=2018|title=笠原和夫傑作選 第一巻 博奕打ち 総長賭博―初期~任侠映画篇|publisher=[[国書刊行会]]|chapter=解題 『風流深川唄』 文・伊藤彰彦|isbn=978433606309-0|pages=456-458}}</ref>、笠原和夫は脚本家デビューしてすぐに美空ひばりの主演映画を書くという幸運に恵まれ<ref name="笠原和夫傑作選"/><ref>{{Cite book | 和書 | title = 映画はやくざなり | author = 笠原和夫| year = 2003 | publisher = [[新潮社]] | isbn= 978-4104609017 |page=17 }}[http://president.jp/articles/-/7180?page=2 『映画はやくざなり』(1) | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online]</ref>、東映調の娯楽映画のスキルが磨かれた<ref name="笠原和夫傑作選"/>。[[東千代之介]]や高倉健、[[里見浩太朗]]らはひばりとも共演で人気を高めた{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。ひばりは東映と専属契約を結んだ1954年から1963年まで10年間<ref name="埼玉新聞111103"/><ref name="ogawa">小川順子「[https://cicir.nii.ac.jp/naidcrid/1200056815491390572174724092160 チャンバラ映画と大衆演劇の蜜月 : 美空ひばりが銀幕で果たした役割]」『日本研究』33、[[国際日本文化研究センター]]、2006年10月31日、73-92頁</ref>、多くの時代劇、[[剣戟映画|チャンバラ映画]]に主演し、東映時代劇の黄金期を支え、歌手であると同時に映画界の銀幕のスターとしての人気を得た<ref name="ogawa"/><ref name="LCBOX">"LCBOX [http://l-c.co.jp/blog/kyoto/?p=1919 「美空ひばり座」オープン!京都太秦に“引っ越し”]"([https://megalodon.jp/2015-0902-0157-03/l-c.co.jp/blog/kyoto/?p=1919 アーカイブ〈ウェブ魚拓〉])2015年10月4日閲覧。)</ref>。専属期間だった10年間だけで、東映でのひばり出演作は102本に及ぶ<ref name="埼玉新聞111103"/>。ひばりは「岡田茂さんは東映時代の恩人。岡田さんなくしては、映画俳優としての自分の存在はなかった」と話し<ref name="埼玉新聞111115">{{Cite news| author = 脇田巧彦 |title = 最後の活動屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録!! 東映六十年(48) 輝きの裏で悲しい出来事も |date = 2011-11-15 |newspaper = [[埼玉新聞]] | publisher = [[埼玉新聞社]] | page = 10 }}</ref>、岡田茂は「美空ひばりは東映の女優の中で、会社にとって最も重要な役割を果たした」<ref name="ogawa"/>「錦之助さんともども東映の土台を作った偉大なスター」と評している<ref name="埼玉新聞111115"/>。生涯で170本を超える映画に出演し{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}、そのほとんどが主演で、映画の題名に『ひばりの〇〇』と付いた作品は47本で日本一である{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。題名に『ひばり』が付いているだけで安定してお客が入った{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]を代表する映画女優であった<ref>[http://www.hibari.org/syuen-sakuhin.html 美空ひばりの主演作品] 美空ひばり 思い出のあの曲を</ref>。ひばりは女優として日本映画史をみてもズバ抜けた興行力があり、俳優としても日本映画に貢献した{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。ひばり作品に芸術作品・秀作、ましてや[[映画の賞#日本|映画賞]]に掛かった作品は一本もなく{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}、今日、ひばりの映画女優としての側面には必ずしも多くの光が当たっているとはいい難いが{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}、生涯、娯楽作品に徹し、ファンもそれを喜んだ{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]は、[[ブルーリボン賞 (映画)#歴代各賞|1961年度の第12回]]でひばりに大衆賞を授与した{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。「映画主演で13年間大衆に愛され親しまれて来た功績」と信念が貫かれたことが認められての授与理由で、ひばりが喜んだことは言うまでもない{{sfn|西川|2021| pp=154 - 179}}。
 
1960年、『[[哀愁波止場]]』で[[第2回日本レコード大賞]]歌唱賞を受賞、「'''歌謡界の女王'''」の異名をとるようになった。
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<!--美空ひばり遺影碑を撮影した画像を追加しました。遺影碑や銅像は著作権の項目確認の上、写真を取ることは銅像作成者の著作権侵害に該当しないことを確認の上です。詳しくは「ノート:美空ひばり」を参照して下さい。 この美空ひばり遺影碑の写真画像の配置は「遺影碑」の性格上、下段のこのエピソード項目に配置しました。上段の項目には不釣合いなので写真配置変更はご遠慮下さい-->
 
1988年、復帰第一弾として発表した「[[みだれ髪]]」は[[福島県]][[いわき市]]塩屋を舞台に作詞されたとしており、そ縁で、「[[みだれ髪塩屋埼灯台]]近くには歌碑、遺影碑、銅像などが建つ「雲雀乃苑が整備されている<ref name="sono">{{Cite web|和書|title=雲雀乃苑|url=https://kankou-iwaki.or.jp/spot/10243|website=いわき市観光サイト|accessdate=2024-10-17|publisher=一般社団法人いわき観光まちづくりビューロー}}</ref>。こ地には1988年10月2日に「みだれ髪歌碑が建立されてい<ref name="sono" />ひばりここを訪れるファンが増え続け、1990年5月26日新たな「美空ひばり遺影碑てられた<ref name="sono" />。そして周辺の道路420メートル区間もいわき市が整備を行い「ひばり街道」として1998年に完成した。さらに2002年5月25日には幼少期「永遠のひばり主演映画「像」が建立された<ref name="sono" />。その後、2024年春に京都市の[[悲しき口笛東映太秦映画村]]」の内にあった「京都太秦美空ひばりをモデルにした銅像も建立座」が老朽化で取り壊された。毎年約30万人ファに伴い、その入口にあったブロや観光客ズ像同年10月17日に雲雀乃苑へ移設された<ref name="sono" /><ref>{{Cite web|和書|title=京都・太秦映画村から福島県いわき市移設 美空ひばりを偲んで訪像 「塩屋の岬」に 「みだ髪」の地 鎮魂のシンボル|url=https://www.minpo.jp/news/moredetail/20241004119721|website=|accessdate=2024-10-17|publisher=福島民報}}</ref>
 
1989年8月21日、35枚組・517曲を収録した『美空ひばり大全集 今日の我れに明日は勝つ』がCDとカセットテープで発売され、1989年11月20日現在で6万3000セット(日本コロムビア調べ)が販売された<ref>『[[毎日新聞]]』1989年12月9日付東京夕刊、1頁。</ref>。定価6万円(税込)と音楽ソフトとしては高額ながら[[オリコンチャート|オリコン]]では最高9位(1989年[[9月4日]]付アルバムランキング)を記録した<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/29490/full/ 松田聖子、オリコン史上最高額CDによるランクイン達成!!]、ORICON NEWS、2006年7月27日 7:00。</ref><ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2096772/full/ 【オリコン】B’z、男性歌手史上最高額でアルバムTOP10]、ORICON NEWS、2017年9月5日 4:00。</ref>。