綾城
綾城(あやじょう)は現在の宮崎県綾町にあったとされる山城。築城は1331年~1334年。足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われる。伊東四十八城の一つ。別名「竜尾城」。
綾城 (宮崎県) | |
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模擬天守 | |
別名 | 竜尾城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 |
なし 複合式望楼型3重3階(昭和60年、1985年木造模擬) |
築城主 | 細川義門 |
築城年 | 元徳3年(1331年) |
主な改修者 | 綾氏 |
主な城主 | 綾氏、伊東氏、島津氏 |
廃城年 | 慶長20年(1615年) |
遺構 | 土塁、曲輪、空堀 |
位置 |
北緯32度00分11.9秒 東経131度14分57.3秒 / 北緯32.003306度 東経131.249250度 座標: 座標オプションが認識できません 座標: 北緯32度00分11.9秒 東経131度14分57.3秒 / 北緯32.003306度 東経131.249250度 座標: 座標オプションが認識できません |
地図 |
歴史
細川小四郎義門の子、細川義遠は綾氏を名乗り、綾氏は数代この城にて綾を支配したがその後伊東氏の配下に入り、綾城は伊東四十八城の一つとして伊東氏の支城となる。1577年(天正5年)に伊東氏が家臣の離反と島津氏の侵略を受け一時的に没落した際は最後まで伊東氏につき、落城。 伊東氏没落後は島津氏の支城となり、1615年に江戸幕府の一国一城令により、綾城は廃城となった。
現在の綾城は、日本城郭協会に依頼した中世山城の築城についての数次にわたる調査に基づいて考察され、昭和60年春に戦国初期城楼建造物として構築された[1]もので、当時の綾城がこのような建築物であったとしても不都合な点はないが、かつての綾城がこのような建築物であったというわけではない[2]。
脚注
- ^ 綾城綾町役場
- ^ 綾城(別名・竜尾城)kみむの丸岡城と日本の城郭めぐり