寒水川
概要
みやき町北部の背振山地、七曲峠付近を源流とし、みやき町を南北に流れ、みやき町江口の北茂安体育館付近で筑後川に合流する。筑後川との合流点直前で二つに分流し、もう一方は開平江と呼ばれ、みやき町旧三根町を流れ、福岡県久留米市城島町下田付近で筑後川と合流する。
流域の詳細
上流域
源流から平野部に出るまでの区間。流域は主に旧中原町の山田地区。渓流となっており、ヤマメやタカハヤなどが生息する。山田地区の寒水川流域には棚田が発達する。山田地区の「山田水辺公園」は、親水公園として整備されており[1]、夏休みには県内外から多くの家族連れが水遊びにやってくる。トイレや更衣室も整備されているため、特に峠を越えた福岡市都市圏からの訪問客などから手軽な水遊びスポットとして人気があるようである。また、左岸側にはヒマワリ畑があり、秋には大きなヒマワリが見ごろを迎える。[2]
土砂災害に見舞われることもあり、2021年の豪雨では大規模な土砂崩れが発生し、川をせき止めた。[3]
中流域
山田地区を抜け、旧中原町綾部地区に入る。川岸はコンクリート護岸されることが多くなり、ヨシが繁茂する。綾部地区には日本最古の天気予報を行ったとして有名な綾部神社が鎮座する。[4]流域には水田が広がり、寒水川の水も農業用水として利用される。また、中流域では川沿いに多くのハゼが植えられ、秋には紅葉が美しい。このハゼは、江戸時代後期の藩政改革として昭和初期にかけてみやき町付近で発展した和ろうそく産業の原料として植えられたものといわれ、[5]みやき町立中原小学校の校歌(3番)にも「秋は錦の櫨紅葉」とうたわれる。[6]現在もJR長崎本線中原駅北側には当時を伝えるレンガ造りのロウソク工場の煙突が残っている。[5]寒水川は旧中原町の簑原地区(東側)と原古賀地区(西側)の境界となりながら旧中原町内をゆっくりと流れる。JR長崎本線と交わるところでは、明治時代に建てられたといわれるレンガ積みの眼鏡橋が残っている。[7]鉄道の下をくぐり、国道34号線と交差する。この付近では河岸段丘がよく発達し、右岸側の三養基高等学校は河岸段丘上に位置する。長崎街道もこの付近を通っており、佐賀の乱における「寒水川の戦い」はここを舞台として展開された。そのまま旧中原町を通り抜け、旧北茂安町に入る。
下流域
国道34号線を境に、クリークが発達し始める。旧北茂安町に入ると、寒水川は水田地帯のクリーク網の中を流れるようになる。みやき町東尾付近で支流、山ノ内川と合流し、佐賀平野の東端付近を通瀬川(づうせがわ)、切通川(きりとおしがわ)などと並行しながら南流する。こうした付近の河川とも、クリークを通して接続している。下流域では流れはほとんどなく、平坦な砂地の河床と川岸にヨシが繁茂する光景が続く。潮止堰はみやき町江口の筑後川合流地点に一番近い堰で、この堰より下流は感潮域となっている。この付近で開平江川と分流する。開平江川は全体が感潮域となっており、旧三根町のクリーク地帯を流れながら久留米市城島町下田大橋の上流で筑後川に合流する。
支流
・山ノ内川
脚注
- ^ “寒水川山田水辺公園”. みやき町観光協会. 2023年12月7日閲覧。
- ^ “山田ひまわり園”. 佐賀県観光連盟. 2023年12月7日閲覧。
- ^ “寒水川上流で土砂崩れ みやき町が緊急安全確保を発令”. 佐賀新聞. 2023年12月7日閲覧。
- ^ “伝統・文化”. みやき町. 2023年12月7日閲覧。
- ^ a b “中原駅北の蝋燭工場跡地”. みやき町観光協会. 2023年12月7日閲覧。
- ^ “みやき町立中原小学校校歌”. みやき町立中原小学校. 2023年12月7日閲覧。
- ^ “中原(なかばる)5連橋梁”. 日本の石橋を守る会. 2023年12月7日閲覧。
参考文献
・中原町史編纂委員会(編)「中原町史」 中原町、1982年
関連項目
・みやき町