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{{Infobox 河川
'''寒水川'''(しょうずがわ)は、[[佐賀県]]東部を流れる[[筑後川]]水系の[[一級水系|一級河川]]である。
| 名称 = 寒水川
 
| 画像 = [[File:寒水川 風天山より望む.jpg|300px|風天山より望む寒水川]]
[[みやき町]]北部の[[脊振山地|背振山地]]に源流を発し、[[みやき町]]を南北に貫流して[[筑後川]]にそそぐ。
| 画像説明 = 綾部の扇端部から佐賀平野の丘陵地帯へ流れる寒水川中流。風天山頂上から遠望。
| 水系等級 = [[一級水系]]
| 水系 = 筑後川
| 種別 = [[一級河川]]
| 延長 = 14.9
| 水源 = [[脊振山地]]
| 河口 = [[筑後川]]
| 流域 = [[みやき町]]
| 地図 = {{Maplink2|zoom=11|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=300|frame-height=300|frame-lat=33.33|frame-long=130.44
|type=line|stroke-color=#0000cc|stroke-width=1}}{{small|寒水川の流路※下流は寒水川放水路を経由する実質的本流で、指定上の経路とは異なる}}
}}
'''寒水川'''(しょうずがわ)は、[[佐賀県]]東部を流れる[[筑後川]]水系の[[一級水系|一級河川]]である。延長約15キロメートル(km)<ref>{{Cite web|和書|title=佐賀県統計年鑑(令和3年版)内 3-4「主要河川」 |url=https://www.pref.saga.lg.jp/toukei/kiji00395941/index.html |publisher=佐賀県 |date=202-03-31 |accessdate=2023-12-09 }}</ref>。
 
== 概要 ==
上流部には綾部川の呼称もあり、『疏導要書』(1834年)や『養父郡村誌』(1882年)にはこちらの名で記される<ref name="角川-寒水川">{{Cite book|和書|title=角川日本地名大辞典 佐賀県 |publisher=角川書店 |year=1982}}「寒水川」頁。(参考:[https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7217254 JLogos])</ref>。
[[みやき町]]北部の[[脊振山地|背振山地]]、七曲峠付近を[[水源|源流]]とし、[[みやき町]]を南北に流れ、[[みやき町]]江口の[[北茂安町|北茂安]][[体育館]]付近で[[筑後川]]に合流する。[[筑後川]]との合流点直前で二つに[[分流]]し、もう一方は開平江と呼ばれ、[[みやき町]]旧[[三根町]]を流れ、[[福岡県]][[久留米市]][[城島町]]下田付近で[[筑後川]]と合流する。
 
[[みやき町]]北部の[[脊振山地]]にある七曲峠付近を源流とし、同町を南北に流れ、最下流の同町江口で本流と[[放水路]]に分流、放水路は南へ流れ通瀬川(づうせがわ)を合わせて筑後川に合流、本流は南西へ流れ'''開平江'''(かいたいえ)に合流、旧[[三根町]]域を流れて[[福岡県]][[久留米市]][[城島町]]下田付近で筑後川と合流する{{R|角川-寒水川|佐賀県1}}<ref name="角川-開平江川">『角川日本地名大辞典 佐賀県』、「開平江川」頁。(参考:[https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7216401 JLogos])</ref><ref name="歴史地名-寒水川">{{Cite kotobank|word=寒水川|encyclopedia=平凡社「日本歴史地名大系」|accessdate=2023-12-09}}</ref><ref name="三根町史1">[[#三根町史|『三根町史』]]、3-7,22-43頁</ref>。
 
寒水川放水路は、江口で分流して河口から21 km{{R|改修事業}}の地点で筑後川に合流するまでの約600メートル(m)の区間で、河川改修により2010年完成した。この開削と同時に合流点に建設された寒水川水門は幅17.2 m・高さ10.9 m・2連のローラーゲート水門で、洪水時に筑後川本流からの逆流を防止する役割をもつ<ref name="佐賀県1">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.saga.lg.jp/kiji00312081/index.html |title=筑後川水系東圏域河川整備計画 |pages=1-3,11-12,27,29,31 |publisher=佐賀県 |date=2015-09-24 |accessdate=2023-12-09 }}</ref><ref>[https://k-keikaku.or.jp/%E2%91%A5%E5%AF%92%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E5%BA%83%E5%9F%9F%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E6%94%B9%E4%BF%AE%E4%BA%8B%E6%A5%AD/ 寒水川広域河川改修事業], [https://k-keikaku.or.jp/%E2%91%A5%E5%AF%92%E6%B0%B4%E5%B7%9D%E6%B0%B4%E9%96%80/ 寒水川水門], 九州地方計画協会『九州技報』, 46号, 2010年7月. 2023年12月9日閲覧。</ref>。川幅は本流(旧流)より広く実質的な本流となっている。
 
通瀬川は筑後川合流点の直前で合流し合流点には通瀬川水門が設けられている。また通瀬川[[ポンプ場|排水機場]]が寒水川水門の横に設けられており、通瀬川からの排水により寒水川の水量低減が図られる。
 
寒水川放水路への流れは堤防が連続する一方、河川管理指定上の本流{{R|佐賀県1}}で開平江に通じる旧流とは寒水川樋門に隔てられている。
 
開平江は蛇行していた筑後川の旧河道を南向きに流れる延長約2 kmの川筋で、一端は旧三根町江見で切通川と、もう一端は筑後川に通じる。下田の城館の堀だった部分が洪水の際に筑後川とつながり本流へと変わったと言われている。切通川(きりとおしがわ)の河口部(江見江)とともに下田・芦塚をぐるりと囲むような流路で、併せてこの付近では江見川や境川とも呼ばれていた。1935年(昭和10年)の筑後川洪水の後に開平江河口の水門拡築が行われている{{R|角川-寒水川|佐賀県1|角川-開平江川|歴史地名-寒水川||三根町史1}}<ref>『角川日本地名大辞典 佐賀県』、「切通川」頁。(参考:[https://jlogos.com/docomosp/word.html?id=7216759 JLogos])</ref><ref>{{Cite kotobank|word=寒水川|encyclopedia=平凡社「日本歴史地名大系」|accessdate=2023-12-09}}</ref>。筑後川合流点は[[佐賀県道・福岡県道133号坊所城島線|下田大橋]]の上流で、開平江水門と寒水川排水機場がある。
 
== 流域の詳細 ==
==== 上流域 ====
[[File:Toxicodendron succedaneum's forest in Mount Takatori Miyaki.jpg|thumb|川に面した鷹取山のハゼノキ林]]
[[水源|源脊振山地の北西-南東方向の谷を]]から[[平野れる{{R|平野部]]に出るまでの区間三根町史1}}[[流域]]は主に旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]の山田地区。[[渓流]]となっており、[[ヤマメ]]や[[タカハヤ]]などが生息する。山田地区の寒水川流域には[[棚田]]が発達する。山田地区の「山田水辺公園」は、[[親水公園]]として整備されており<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.miyakikankou.jp/main/28.html |title=寒水川山田水辺公園 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町観光協会}}</ref>、[[夏休み]]には[[佐賀県|県内]]外から多くの家族連れが[[水遊び]]にやってくる。[[便所|トイレ]][[更衣室]]も整備されているため、特に[[]]を越えた[[福岡市]]都市圏からの訪問客などから手軽な[[水遊び]]スポットとして人気があるようである。また、左岸側には[[ヒマワリ]][[畑]]があり、[[]]は大見ごろを迎える秋咲[[ヒマワリ]]見ごろを迎え<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/312ae096-47d9-4d7d-826a-e52e9be9d11f |title=山田ひまわり園 |access-date=2023-12-07 |publisher=佐賀県観光連盟}}</ref>
 
山田地区右岸の鷹取山麓では[[縄文土器]]の出土例があり、ほか[[製鉄]]遺物とみられる鉄滓も出土している{{R|角川-寒水川}}。
 
[[土砂災害]]に見舞われることもあり、[[令和3年8月の大雨|2021年の豪雨]]では大規模な[[土砂災害|土砂崩れ]]が発生し、川をせき止めた<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/725433 |title=寒水川上流で土砂崩れ みやき町が緊急安全確保を発令 |access-date=2023-12-07 |publisher=佐賀新聞}}</ref>
 
==== 中流域 ====
[[File:Nakabaru Five Arch Bridge of Nagasaki Line.jpg|thumb|長崎本線が横断する中原5連橋梁]]
山田地区を抜け、旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]綾部地区に入る。川岸は[[コンクリート]][[護岸]]されることが多くなり、[[ヨシ]]が繁茂する。綾部地区には日本最古の[[天気予報]]を行ったとして有名な[[綾部神社]]が鎮座する<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.town.miyaki.lg.jp/kanko/map/_3574.html |title=伝統・文化 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町}}</ref>流域には[[田|水田]]が広がり、寒水川の水も[[農業用水]]として利用される。また、中流域では川沿いに多くの[[ハゼノキ|ハゼ]]が植えられ、秋には[[紅葉]]が美しい。この[[ハゼノキ|ハゼ]]は、[[江戸時代]]後期の[[藩政改革]]として[[昭和]]初期にかけて[[みやき町]]付近で発展した[[和蝋燭|和ろうそく]]産業の原料として植えられたものといわれ<ref name=":0みやき観光-蝋燭">{{Cite web |和書|url=https://www.miyakikankou.jp/main/50.html |title=中原駅北の蝋燭工場跡地 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町観光協会}}</ref>みやき町立中原小学校の[[校歌]](3番)にも「[[]][[]]の[[ハゼノキ|櫨]][[モミジ|紅葉]]」とうたわれる<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.education.saga.jp/hp/nakabaru-e/?content=%e6%a0%a1%e6%ad%8c |title=みやき町立中原小学校校歌 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町立中原小学校}}</ref>現在も[[中原駅|JR長崎本線中原駅]]北側には当時を伝える[[煉瓦|レンガ]]造りの[[和蝋燭|ロウソク]][[工場]]の[[煙突]]が残っている。<ref name=":0" />寒水川は旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]の簑原地区(東側)と原古賀地区(西側)の[[境界]]となりながら旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]内をゆっくりと流れる。[[長崎本線|JR長崎本線]]と交わるところでは、[[明治|明治時代]]に建てられたといわれる[[煉瓦|レンガ]]積みの[[眼鏡橋]]が残っている。<ref>{{Cite web R|url=http://niemonbridge.com/saga/miyakimati/nakabaru5.html |title=中原(なかばる)5連橋梁 |accessみやき観光-date=2023-12-07 |publisher=日本の石橋を守る会蝋燭}}</ref>[[鉄道]]の下をくぐり、[[国道34号|国道34号線]]と交差する。この付近では[[河岸段丘]]がよく発達し、右岸側の[[佐賀県立三養基高等学校|三養基高等学校]]は[[河岸段丘]]上に位置する。[[長崎街道]]もこの付近を通っており、[[佐賀の乱]]における「寒水川の[[戦闘|戦い]]」はここを舞台として展開された。そのまま旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]を通り抜け、旧[[北茂安町]]に入る
 
寒水川は簑原地区(東側)と原古賀地区(西側)の[[境界]]となりながら旧中原町内をゆっくりと流れる。[[長崎本線|JR長崎本線]]と交わるところでは、[[明治|明治時代]]に建てられたといわれるレンガ積みの[[アーチ橋]]が残っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://niemonbridge.com/saga/miyakimati/nakabaru5.html |title=中原(なかばる)5連橋梁 |access-date=2023-12-07 |publisher=日本の石橋を守る会}}</ref>。鉄道の下をくぐり、[[国道34号]]と交差する。この付近では[[河岸段丘]]がよく発達し、右岸側の[[佐賀県立三養基高等学校|三養基高等学校]]は河岸段丘上に位置する。[[長崎街道]]もこの付近を通っており、[[佐賀の乱]]における「寒水川の戦い」はここを舞台として展開された。そのまま旧中原町を通り抜け、旧[[北茂安町]]に入る。
 
原古賀の寒水地区はかつて、流域の[[粘土]]を用いて焼いた「寒水ガラガラ」と呼ばれる[[土鈴]]の産地だった。この土鈴は[[英彦山神宮]](福岡県)参詣の土産物「英彦山がらがら」の原型として古い歴史を持ち、[[文治]]2年(1186年)[[綾部城 (肥前国)|綾部城]]主奥平四郎太夫が[[神器]]を模して作らせたのが起源という云われがあって、実際に寒水でも英彦山でも類似した古い形式である[[猿]]形の土鈴が出土している。ここが産地となった背景に[[肥前国|肥前]]では領主の英彦山信仰(彦山信仰)が篤かったことがある。信仰は庶民に広まり、盛んに[[代参]]講が行われその土産として英彦山がらがらを持ち帰って配り、各家で魔除けとすることが定着していた。なお、寒水での生産は途絶えており、唯一残っているのは福岡県内の1軒の窯元が継承する「英彦山がらがら」(同県知事指定の[[伝統工芸品]])のみ{{R|角川-寒水川}}<ref>{{Cite news|和書|title=東肥前の神々 寒水ガラガラ |newspaper=佐賀新聞 |date=2016-10-22 |url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/4454 |access-date=2023-12-09}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=岩本教之 |title=コラム 「英彦山がらがら」口ばっかり |url=https://adeac.jp/tagawa-lib/text-list/d300010/ht000890 |journal=新・田川紀行 |page=183 |date=2023-03 |accessdate=2023-12-09 |isbn=978-4-9913008-0-6}}</ref>。
 
==== 下流域 ====
[[File:1953 flood level sign in Miyaki, Saga.jpg|thumb|昭和28年の洪水位を示す表示(みやき町江口の江口集落)]]
[[国道34号|国道34号線]]を境に、[[筑紫平野#堀(クリーク)|クリーク]]が発達し始める。旧[[北茂安町]]に入ると、寒水川は[[田|水田]]地帯の[[クリーク]]網の中を流れるようになる。[[みやき町]]東尾付近で支流、[[山ノ内川]]と合流し、[[佐賀平野]]の東端付近を通瀬川(づうせがわ)、切通川(きりとおしがわ)などと並行しながら南流する。こうした付近の河川とも、[[クリーク]]を通して接続している。下流域では流れはほとんどなく、平坦な[[砂|砂地]]の[[川底|河床]]と[[岸|川岸]]に[[ヨシ]]が繁茂する光景が続く。[[堰|潮止堰]]幾分か[[みやき町]]江口の[[筑後川]]合流地点に一番近い[[堰]]で、この[[堰]]より下流は[[感潮河川|感潮域]]となっている。この付近で開平江川と[[分流]]から連続する。開平江川は全体が[[感潮河川|感潮域]]となっており、旧[[三根町]]の[[クリーク]]平坦な砂帯を流れながら[[久留米市]][[城島町]]下田大橋上流で[[筑後底|河床]]と川岸合流ヨシが繁茂する光景が続く
 
この地域は筑後川下流域の洪水常襲地帯にあり、度々氾濫に見舞われてきた。1953年(昭和28年)の洪水([[昭和28年西日本水害|28水]])では寒水川、通瀬川、切通川、井柳川の堤防が決壊、上流からの氾濫流が加わって一帯が広く浸水した。その後も水害があり、寒水川では2001年に決壊、2006年に越水が生じている{{R|佐賀県1}}<ref name="改修事業">{{Cite web|和書|url=http://www.qsr.mlit.go.jp/site_files/file/s_top/jigyo-hyoka/080728/kasen04.pdf |title=事業評価 筑後川河川改修事業 |page=25 |publisher=九州地方整備局 |year=2008 |accessdate=2023-12-09 }}</ref>。
==== 上流域 ====
[[水源|源流]]から[[平野|平野部]]に出るまでの区間。[[流域]]は主に旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]の山田地区。[[渓流]]となっており、[[ヤマメ]]や[[タカハヤ]]などが生息する。山田地区の寒水川流域には[[棚田]]が発達する。山田地区の「山田水辺公園」は、[[親水公園]]として整備されており<ref>{{Cite web |url=https://www.miyakikankou.jp/main/28.html |title=寒水川山田水辺公園 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町観光協会}}</ref>、[[夏休み]]には[[佐賀県|県内]]外から多くの家族連れが[[水遊び]]にやってくる。[[便所|トイレ]]や[[更衣室]]も整備されているため、特に[[峠]]を越えた[[福岡市]]都市圏からの訪問客などから手軽な[[水遊び]]スポットとして人気があるようである。また、左岸側には[[ヒマワリ]][[畑]]があり、[[秋]]には大きな[[ヒマワリ]]が見ごろを迎える。<ref>{{Cite web |url=https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/312ae096-47d9-4d7d-826a-e52e9be9d11f |title=山田ひまわり園 |access-date=2023-12-07 |publisher=佐賀県観光連盟}}</ref>
 
筑後川流域では、昭和中期になって破堤氾濫のみならず内水氾濫が問題視されるようになり、1950年代から川沿いの各地に排水機場が続々と設置されてきた。その初期のものが1951年(昭和26年)に米国対日援助見返資金を用いた国の直轄事業で設けられた6つのポンプ場で、寒水川排水機場はその1つである<ref>{{Cite journal|和書|author=永溝茂 |url=https://k-keikaku.or.jp/%e7%ad%91%e5%be%8c%e5%b7%9d%e6%8e%92%e6%b0%b4%e6%a9%9f%e5%a0%b4%e7%be%a4%e3%81%ae%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e3%81%8b%e3%82%89%e6%a9%9f%e8%83%bd%e9%ab%98%e5%ba%a6%e5%8c%96%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%ad%a9%e3%81%bf/ |title=筑後川排水機場群の建設から機能高度化への歩み |publisher=九州地方計画協会 |journal=九州技報 |volume=36 |year=2005 |month=01 |accessdate=2023-12-09 }}</ref>。
[[土砂災害]]に見舞われることもあり、[[令和3年8月の大雨|2021年の豪雨]]では大規模な[[土砂災害|土砂崩れ]]が発生し、川をせき止めた。<ref>{{Cite web |url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/725433 |title=寒水川上流で土砂崩れ みやき町が緊急安全確保を発令 |access-date=2023-12-07 |publisher=佐賀新聞}}</ref>
 
河川整備計画では、筑後川合流点にて50年に1度程度の洪水に対応し、洪水時に最大160立方メートル毎秒(m<sup>3</sup>/s)の流量を確保するよう掘削や堤防の維持を行う目標が設定されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.saga.lg.jp/kiji00312081/index.html |title=筑後川水系東圏域河川整備計画 |pages=22-23, 28 |publisher=佐賀県 |date=2015-09-24 |accessdate=2023-12-09 }}</ref>。この値は、従前の50 - 60 m<sup>3</sup>/sから寒水川放水路の開削や拡幅、排水機場の増設により増強されている{{R|改修事業}}。
==== 中流域 ====
山田地区を抜け、旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]綾部地区に入る。川岸は[[コンクリート]][[護岸]]されることが多くなり、[[ヨシ]]が繁茂する。綾部地区には日本最古の[[天気予報]]を行ったとして有名な[[綾部神社]]が鎮座する。<ref>{{Cite web |url=https://www.town.miyaki.lg.jp/kanko/map/_3574.html |title=伝統・文化 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町}}</ref>流域には[[田|水田]]が広がり、寒水川の水も[[農業用水]]として利用される。また、中流域では川沿いに多くの[[ハゼノキ|ハゼ]]が植えられ、秋には[[紅葉]]が美しい。この[[ハゼノキ|ハゼ]]は、[[江戸時代]]後期の[[藩政改革]]として[[昭和]]初期にかけて[[みやき町]]付近で発展した[[和蝋燭|和ろうそく]]産業の原料として植えられたものといわれ、<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.miyakikankou.jp/main/50.html |title=中原駅北の蝋燭工場跡地 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町観光協会}}</ref>みやき町立中原小学校の[[校歌]](3番)にも「[[秋]]は[[錦]]の[[ハゼノキ|櫨]][[モミジ|紅葉]]」とうたわれる。<ref>{{Cite web |url=https://www.education.saga.jp/hp/nakabaru-e/?content=%e6%a0%a1%e6%ad%8c |title=みやき町立中原小学校校歌 |access-date=2023-12-07 |publisher=みやき町立中原小学校}}</ref>現在も[[中原駅|JR長崎本線中原駅]]北側には当時を伝える[[煉瓦|レンガ]]造りの[[和蝋燭|ロウソク]][[工場]]の[[煙突]]が残っている。<ref name=":0" />寒水川は旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]の簑原地区(東側)と原古賀地区(西側)の[[境界]]となりながら旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]内をゆっくりと流れる。[[長崎本線|JR長崎本線]]と交わるところでは、[[明治|明治時代]]に建てられたといわれる[[煉瓦|レンガ]]積みの[[眼鏡橋]]が残っている。<ref>{{Cite web |url=http://niemonbridge.com/saga/miyakimati/nakabaru5.html |title=中原(なかばる)5連橋梁 |access-date=2023-12-07 |publisher=日本の石橋を守る会}}</ref>[[鉄道]]の下をくぐり、[[国道34号|国道34号線]]と交差する。この付近では[[河岸段丘]]がよく発達し、右岸側の[[佐賀県立三養基高等学校|三養基高等学校]]は[[河岸段丘]]上に位置する。[[長崎街道]]もこの付近を通っており、[[佐賀の乱]]における「寒水川の[[戦闘|戦い]]」はここを舞台として展開された。そのまま旧[[中原町 (佐賀県)|中原町]]を通り抜け、旧[[北茂安町]]に入る。
 
佐賀平野東部では7河川を接続して洪水調節や利水を行う[[佐賀導水事業]]が展開されており、東佐賀導水路が寒水川を横断してはいるものの、寒水川はセミバック堤と寒水川水門を有するため接続対象外となっている。ただし、最下流で合流する通瀬川は接続対象である<ref>{{Cite journal|和書|author=久保朝雄 |url=https://k-keikaku.or.jp/%e4%bd%90%e8%b3%80%e5%b0%8e%e6%b0%b4%e4%ba%8b%e6%a5%ad%e5%ae%8c%e6%88%90_h21%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e7%ae%a1%e7%90%86%e3%82%92%e7%9b%ae%e6%8c%87%e3%81%97%e3%81%a6/ |title=佐賀導水事業完成 ~H21からの管理を目指して~ |publisher=九州地方計画協会 |journal=九州技報 |volume=44 |year=2009 |accessdate=2023-12-09 }}</ref>。
==== 下流域 ====
[[国道34号|国道34号線]]を境に、[[クリーク]]が発達し始める。旧[[北茂安町]]に入ると、寒水川は[[田|水田]]地帯の[[クリーク]]網の中を流れるようになる。[[みやき町]]東尾付近で支流、山ノ内川と合流し、[[佐賀平野]]の東端付近を通瀬川(づうせがわ)、切通川(きりとおしがわ)などと並行しながら南流する。こうした付近の河川とも、[[クリーク]]を通して接続している。下流域では流れはほとんどなく、平坦な[[砂|砂地]]の[[川底|河床]]と[[岸|川岸]]に[[ヨシ]]が繁茂する光景が続く。[[堰|潮止堰]]は[[みやき町]]江口の[[筑後川]]合流地点に一番近い[[堰]]で、この[[堰]]より下流は[[感潮河川|感潮域]]となっている。この付近で開平江川と[[分流]]する。開平江川は全体が[[感潮河川|感潮域]]となっており、旧[[三根町]]の[[クリーク]]地帯を流れながら[[久留米市]][[城島町]]下田大橋の上流で[[筑後川]]に合流する。
 
== 支流 ==
* [[山ノ内川]]{{R|佐賀県1}}
* 通瀬川{{R|佐賀県1}}
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor=中原町史編纂委員会(編)「|title=中原町史|publisher=中原町|year=1982|ncid=BN03183467}}
* {{Cite book|和書|editor=三根町史編さん委員会|title=三根町史|publisher=三根町|year=1984|month=03|ncid=BN10342946|ref=三根町史}}
 
== 関連項目 ==
* [[みやき町]]
 
== 外部リンク ==
* [https://www.town.miyaki.lgmiyakikankou.jp/indexmain/28.html 寒水川山田水辺公園] - みやき町公式webサイト]観光協会
* 川の防災情報 : 水位観測所付近の川の断面図 寒水川 [https://www.river.go.jp/kawabou/pc/tm?ofcCd=10497&itmkndCd=4&obsCd=83 中津隈8号橋] / Yahoo!天気・災害 [https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/river/8909060080/ 寒水川の水位情報]
・[https://www.google.com/maps 地図-Googleマップ]
 
{{Normdaten}}
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[[Category:佐賀県の河川]]
[[Category:筑後川水系|*]]
[[Category:みやき町]]