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{{単一の出典|date=2023-07-26}}
[[画像ファイル:乾パン.jpg|thumb|right|200px|小型乾パン]]
'''乾パン'''(かんパン)は、保存、携帯の目的でく焼き締めた[[ビスケット]]の一種。軍隊用の保存食であるハードタック([[堅パン]])に分類されており、[[日本人]]の嗜好に合わせて作られている
 
軍隊用の保存食であるハードタック([[堅パン]])に分類されており、[[日本人]]の嗜好に合せて作られている。
 
== 概要 ==
[[画像ファイル:Army and Navy hard tack.jpg|thumb|right|200px|[[19世紀]]ごろのアメリカの軍用堅パン(ハードタック)]]
[[堅パン]]の起源は古く、[[ヨーロッパ]]では[[古代ローマ|ローマ時代]][[兵糧]]として支給されていた記載がある。現在では[[非常食]]として用途の他に、軍隊や登山者の携行食糧として用いられる。[[含水率|含水量]]が少ないため貯蔵性に優れており、特に多くの食料品が凍結してしまうような低温下においても平常時とほとんど変わらない状態を維持するためことから、寒冷地における重要な糧食となっている。
 
日本における乾パンの始祖は、[[天保]]13年(1842)([[1842年]])[[韮山反射炉]]で有名な伊豆[[韮山代官所|韮山代官]]、[[江川英龍|江川太郎左衛門担庵公]]が非常時に備え、保存できる軍用の携帯食としてパンを焼き始めたものである。外国文化の取り入れに熱心だった当時、[[]]は「[[兵糧丸]]」、[[長州藩]]は「備急餅」、[[薩摩藩]]は「蒸餅」と名付けた軍用パンを作り、非常時に備えていた。
 
乾パンは、[[明治時代|明治]]の[[大日本帝国陸軍]]が[[欧米]]の軍用[[軍用食糧|軍用ビスケット]]を改良して作った[[レーション|携帯口糧]]であり、「重焼麺麭 じゅうしょうめんぽう(重焼=(=〈回数を'''重'''ねて'''焼'''いた、麺麭=[[パン]]、すなわち[[ビスケット]]のこと) 」と呼ばれた。1枚の大きさは後述する大型乾パンほどのサイズであった。のちに「乾麺麭(かんめんぽう、乾燥させたパン、の意)」と呼称され、[[昭和時代|昭和]]にはさらなる改良が行われ、味形共に現在の小型乾パンと変わらないものとなり、名称/呼称も「乾パン」となった。
 
包装を[[缶詰]]にしさらに保存性を高めた製品がある。缶詰の製品には糖分を補うため、唾液を出やすくする目的で、しばしば[[氷砂糖]]や[[金平糖]]が同梱されている。乾パンは[[小麦粉]]、[[砂糖]]、[[食塩]]、[[ショートニング]]などに[[酵母|イースト]]を加えて[[発酵]]させた後、140-150℃で焼き上げる。[[水分]]が少ないため、食感は最初は硬くて味のないビスケットのようであるが、めば口の中に[[コムギ|小麦]]の香ばしさと甘みが広がる。栄養価を高め食味を向上させるため、黒[[ゴマ]]を加える場合もある。
 
非常食用の物は平均2.3%ほど(メーカーにより割合が微妙に僅差する)[[ベントナイト]]を添加し、膨潤性(水分を含むと体積が増加する)を持たせて満腹感を持続させ腹持ちを良くしたものが多い。ベントナイトは[[珪藻土]]とともに[[加藤清正]]が[[熊本城]]の築城に際して[[篭城]]を想定し[[芋茎#乾燥したもの|芋茎]]とともに非常食用の[[土壁]]としても利用した(※→[[芋茎#乾燥したもの(いもがら)]]を参照)
 
飢餓・大災害・戦災に遭った国・地域に対し、緊急援助物資として送られることも多い。燃料や水すら満足に確保できないほど困窮している状況下では調理の必要がなく、飲料水がなくてもある程度喫食できることでありがたが重宝されることもあるが、困窮の程度があまりひどくない場合には味の面で不評を買うこともある([[菓子]]として普及した戦後のものは、かなり美味になっている)。
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== 日本陸軍の乾パン ==
[[1877年]]に[[西南戦争]]が発生した。この時、海軍の戦闘用糧食であった「[[堅パン|ハードビスケット]]」、略称ハービスを参考とし、乾麺麭が非常糧食として採用された。分類は非常用の予備食料で、携行量は1食分を2枚とし、計6枚であった<ref>『戦場の衣食住』86頁</ref>。
 
[[1890年]][[6月24日]]-から[[6月30日]]まで肉入乾麺麭が試験された。試験機関は[[第3師団 (日本軍)|第三師団]]軍医部であり、[[国立病院機構名古屋医療センター|名古屋営戍(えいじゅ)病院]]にて看護学修得兵19名、2[[]]により実施された。試験内容は記日程において肉入乾麺麭および湯茶のみを飲食するものである。1班は定時に飲食し、もう1班は不定期に飲食した。肉入乾麺麭は1枚100g、[[牛肉]]が混入されて焼き上げられており、2枚で1食分である。この乾パンは極めて硬く、1食に30-40分を要し、まうえ、食べるためには1日平均1,707ccの湯茶を必要とした。また、これは[[日本人]]の味覚に合わず、連続して飲食し得るものではなかった<ref name="#1">『戦場の衣食住』92頁</ref>。
 
[[1895年]]、[[日清戦争]]において乾パンに改良が施された。これは西南戦争中に使用された大型の乾麺麭を小型化し採用したものである。経緯として主戦場となる[[中国大陸]]では水が乏しく、食べるにあたり水の必要な[[アルファ化米|糒(ほしい)]]に代る食料が必要だったことがげられる。日本陸軍は[[月堂]]に小型[[ビスケット]]製造の指示を与えた。しかし月堂のみでは生産が間に合わず、地方の各社、また、だけでなく一般の[[菓子]]屋も動員された。この乾パンの名称は戦時用ビスケットである。り、この製品は後に重焼麺麭して改良された<ref>『戦場の衣食住』92頁< name="#1"/ref>。
 
[[1904年]]6月から7月にかけ携帯口糧試験が行われた。既存の携帯口糧は糒・牛缶・[[塩|食塩]]が使用され、そのうち糒が主軸となっていた。これを改め、ビスケットを用いるよう希望されていた。そこで大ビスケットと小ビスケット、糒(ほしい)が試験された。試験目標は以下の通りである。
 
[[1904年]]6月から7月にかけ携帯口糧試験が行われた。既存の携帯口糧は糒・牛缶・[[塩|食塩]]が使用され、うち、糒が主軸となっていた。これを改め、ビスケットを用いるよう希望されていた。そこで大ビスケットと小ビスケット、糒(ほしい)が試験された。試験目標は以下の通りである。
* 栄養が完全であること。体力を維持する諸要素を含むこと。
* 重量容積ともに可能な限り小さく、また、携行に便利であること。
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* 佳味、または佳味の食となること。しかし、佳味過ぎるのは浪費されるために適さない。
* 補給し易く、かつ価格が可能な限り低廉であること。
西洋の陸軍では乾パンと同時に[[スープ]]が提供されたが、[[日本軍]]では汁類の配給が行われず、完全なビスケット食には移行しなかった。結局、[[日露戦争]]中は糒と重焼麺麭が両方とも用いられた<ref>『戦場の衣食住』98頁</ref>。
 
西洋の[[陸軍]]では乾パンと同時に[[スープ]]が提供されたが、[[日本軍]]では汁類の配給が行われず、完全なビスケット食には移行しなかった。結局、[[日露戦争]]中は糒と重焼麺麭が両方とも用いられた<ref>『戦場の衣食住』98頁</ref>。
日露戦争後、重焼麺麭は乾麺麭に名称変更された。理由は重焼が重傷に通ずるとして嫌われたためである。また、戦争後に、乾麺麭は以下のような欠点が指摘された。
 
日露戦争後、重焼麺麭は乾麺麭に名称変更された。理由は重焼が[[重傷]]に通ずるとして嫌われたためである。また、戦争後に、乾麺麭は以下のような欠点が指摘された。
 
* 連続して食べるには単味過ぎる。
* 食べる際に飲料が必要である。
* 携帯中に容易に壊れる。また、水分があると容易に溶解する。
品質改良は官民が協力して行った。麺麭は小麦粉の粘度が低く、焼き上げた後に衝撃を加えると容易に壊れた。そこでヨーロッパ産の小麦粉を使用し、また、国産小麦粉にも粘度の高い品種を使用した。ほか、品質、配合、製造工程、防湿などに改良が加えられた。新型の乾麺麭が戦闘に用いられたのは青島要塞の攻略戦である<ref>『戦場の衣食住』119-120頁</ref>。
 
品質改良は官民が協力して行った。麺麭は小麦粉の粘度が低く、焼き上げた後に衝撃を加えると容易に壊れた。そこでヨーロッパ産の小麦粉を使用し、まほか、国産小麦粉にも粘度の高い品種を使用した。ほかまた、品質、配合、製造工程、防湿などに改良が加えられた。新型の乾麺麭が戦闘に用いられたのは、[[青島の戦い|青島要塞の攻略戦]]である<ref>『戦場の衣食住』119-120頁</ref>。
大正期に入ると『戦用糧食品製造法大要』がまとめられた。大正5年には携帯糧食の内容が整った。これらの製造は陸軍糧秣本廠、また、軍指定の民間会社が担当した。民間製品は陸軍糧秣本廠が検査を行い、合格したものを買い上げた。この時点での乾麺麭の規格は次のようなものである。
 
[[大正|大正期]]に入ると『戦用糧食品製造法大要』がまとめられた。[[1916年|大正5年]]には携帯糧食の内容が整った。これらの製造は陸軍糧秣本廠、またのほか、軍指定の民間会社が担当した。民間製品は陸軍糧秣本廠が検査を行い、合格したものを買い上げた。この時点での乾麺麭の規格は次のようなものである。
 
* 原料 小麦粉、米粉、胡麻、砂糖、食塩、馬鈴薯、ホップ
* 規格 2個で1食となる。60個を箱に収容する。箱は木製で、内部に[[ブリキ]]の内張を施している。ちなみに1梱包が24.75kg、うち正味内容量が13.5kg。箱の寸度は縦67cm、横38cm、高さ42cmである<ref>『戦場の衣食住』123頁</ref>。
 
なお大型で非常に固く食べづらいことに定評があり、齧ろうとしたら歯が欠けた、割ろうと殴りつけたら手の皮が剥けた、等の証言が残っている。
[[1931年]]、乾麺麭は従来の大型のものからドイツ軍糧食のハードビスケットを参考に小型化され、1食は225g、[[金平糖]]が同封された。これらは袋に包装され、日中戦争以降、軍用食料の国民への普及が意図された。そこで陸軍糧秣本廠の外郭団体として糧友会が組織され、携帯口糧の一般販売を開始した。[[1934年]]当時の乾麺麭の市価は1食分15銭である<ref>『戦場の衣食住』153頁</ref>。
 
[[1931年]]、乾麺麭は従来の大型のものから[[ドイツ軍]]糧食のハードビスケットを参考に小型化され、1食は225g、[[金平糖]]が同封された。これらは袋に包装され、[[日中戦争]]以降、軍用食料の国民への普及が意図された。そこで陸軍糧秣本廠の外郭団体として糧友会が組織され、携帯口糧の一般販売を開始した。[[1934年]]当時の乾麺麭の市価は1食分15銭である<ref>『戦場の衣食住』153頁</ref>。
 
[[1938年]]、『陸軍戦時給与規則細則中改正』により乾麺麭は以下のように規定された。
 
* 小麦粉を主体として製造。包装は乾麺220g、金平糖10gを木綿袋に収容する。口を四つ折りにし、糸で閉じた。寸度は幅145mm、深さ225mmである。梱包はまずブリキ箱に66食を収容、密閉の後、木箱に収める<ref>『戦場の衣食住』163頁</ref>。
 
== 自衛隊の乾パン ==
[[自衛隊]]の非常用糧食に使われているものとしては、'''大'''と'''小'''の2種類がある。
[[Fileファイル:Army food ration 0001.jpg|thumb|right|200px|陸上自衛隊の戦闘糧食I型No.1(乾パン食)に付属するオレンジスプレッド]]
 
=== 大 ===
[[海上自衛隊]]で採用されている。{{要出典範囲|date=2016年9月|大きさはおおよそ縦8cm、横5.5cm、厚さ1.5cm、重さ23g。}}表面に15個の針穴がある。これを10枚1包として1食としている。チューブに入れられたオレンジ[[水飴スプレッド (食品)|スプレッド]]{{efn2|スプレッド (Spread) とは、パンやクラッカーを食べる時に用いる「塗り物」全般のこと。自衛隊の乾パンに付属する「オレンジスプレッド」は、[[みかん]]風味の水飴が食感としては近い。}}も配布される。カニヤ製。
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画像:Navy-Biscuit1.jpg|海上自衛隊の大型乾パンの外装
画像:Navy-Biscuit2.jpg|海上自衛隊の大型乾パン<br />画像上端に見えるものは比較用の[[ミンティア]]のケース
</gallery>
 
=== 小 ===
[[File:Army food ration 0001.jpg|thumb|right|200px|陸上自衛隊の戦闘糧食I型No.1(乾パン食)に付属するオレンジスプレッド]]
[[陸上自衛隊]]と[[航空自衛隊]]で採用されている。表面に2個の針穴がある。[[三立製菓]]製。
 
陸上自衛隊の[[戦闘糧食I型]]No.1では、これを150gと[[金平糖]]15gを同梱して主食とし、オレンジ[[スプレッドおよび[[ソーセージ]]缶の副食と合せて1食分としている。<ref>“!--オレンジスプレッド(Spread)”とは本来はを直接吸い、そのまま乾パンやクラッカーを食べること用いる「塗物」全般、口ことだ中で混ぜなら食す([[アメリカ三角品医薬品局べ#口内調味|口内調味]](FDA)基準では、果実が通の食べ方砂糖を煮詰めて作言われ「[[ジャム]]」のうち、[[糖度]]65%以上でかつフルーツを45%以上含むものをジャムと定義し、糖度65%以下のものはスプレッドと呼ぶ<br />自衛隊乾パンに付属する「オレンジスプレッド寒冷地では固くなってしまうため“[[みか懐に入れたり揉]]風味の水飴”が食感とだりしては近い。</ref>および[[ソーセージ]]缶の副食と合せて一食分とあらかじめ柔らかくしておく工夫もされ-->
{{-}}
 
[[戦闘糧食II型]]では、乾パン150gと金平糖15gを同梱した主食と副食のソーセージはそのまま{{efn2|包装容器はI型の缶から真空パックに変更されている。}}だが、オレンジスプレッドが無くなり、副食にツナサラダ75gが追加されている。
== 脚注・出典 ==
 
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== 脚注・出典 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* 『帝国陸軍 戦場の衣食住』[[歴史群像]] 太平洋戦史シリーズ39、[[学研ホールディングス|学習研究社]]、2002年 ISBN {{ISBN2|4-05-602919-9}}
 
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Hardtack|堅パン}}
* [[クネッケブレッド]] - [[ライムギ|ライ麦]]で作られた[[スウェーデン]]の乾パン
* [[堅パン]]
* [[保存パン]] - 乾燥していない非常食用のパン
* [[ビスケット]]
* [[ポン菓子]] - 輸入小麦に依存する乾パンの後継を意図して、日本陸軍が膨脹玄米ないし膨脹大麦を用いた「圧搾口糧」を開発した
* [[ラスク]]
* [[プレッツェル]]
* [[クラコット]]
* [[クラッカー (食品)|クラッカー]]
* [[クネッケブレッド]](ライ麦で作られたスウェーデンの乾パン)
* [[ショートブレッド]]
* [[スナックバー (菓子類)|スナックバー]]
* [[スコーン]]
* [[保存パン]](乾燥していない非常食用のパン)
* [[ポン菓子]](輸入小麦に依存する乾パンの後継を意図して、日本陸軍が膨脹玄米ないし膨脹大麦を用いた「圧搾口糧」を開発した)
* [[非常食]]
* [[保存食]]
* [[防災用品一覧]]
* [[レーション]]
 
== 外部リンク ==
* [http://10.studio-web.net/~phototec/ THE戦闘糧食] - 「帝国陸軍伝統の非常食 カンパン」の項に、詳しくまとめられている。
* [http://kanpan.jp/stockpile/ お役立ち情報・非常用備蓄食糧とは] - 乾パンの大手メーカー・[[三立製菓]]による乾パンのサイト。
 
{{デフォルトソート:かんはん}}
 
[[Category:パン]]
[[Category:ビスケット]]
100行目:
[[Category:自衛隊の装備品]]
[[Category:レーション]]
 
[[ko:건빵]]