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{{単一の出典|date=2023-07-26}}
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'''乾パン'''(かんパン)は、保存、携帯の目的で
== 概要 ==
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日本における乾パンの始祖は、[[天保]]13年
乾パンは、[[明治
包装を[[缶詰]]にし、さらに保存性を高めた製品がある。缶詰の製品には糖分を補うため、唾液を出やすくする目的で、しばしば[[氷砂糖]]や[[金平糖]]が同梱されている。乾パンは[[小麦粉]]、[[砂糖]]、[[食塩]]、[[ショートニング]]などに[[酵母|イースト]]を加えて[[発酵]]させた後、140-150℃で焼き上げる。[[水分]]が少ないため、食感は最初は硬くて味のないビスケットのようであるが、
非常食用の物は平均2.3%ほど(メーカーにより割合が微妙に僅差する)[[ベントナイト]]を添加し、膨潤性(水分を含むと体積が増加する)を持たせて満腹感を持続させ、腹持ちを良くしたものが多い。ベントナイトは[[珪藻土]]とともに[[加藤清正]]が[[熊本城]]の築城に際して[[篭城]]を想定し
飢餓・大災害・戦災に遭った国・地域に対し
== 日本陸軍の乾パン ==
[[1877年]]に[[西南戦争]]が発生した。この時、海軍の戦闘用糧食であった「[[堅パン|ハードビスケット]]」、略称ハービスを参考とし、乾麺麭が非常糧食として採用された。分類は非常用の予備食料で、携行量は
[[1890年]][[6月24日]]
[[1895年]]、[[日清戦争]]において乾パンに改良が施された。これは、西南戦争中に使用された大型の乾麺麭を小型化し、採用したものである。経緯として、主戦場となる[[中国大陸]]では水が乏しく、食べるにあたり水の必要な[[アルファ化米|糒(ほしい)]]に代わる食料が必要だったことが
[[1904年]]6月から7月にかけ、携帯口糧試験が行われた。既存の携帯口糧は糒・牛缶・[[塩|食塩]]が使用され、そのうち
▲[[1904年]]6月から7月にかけ携帯口糧試験が行われた。既存の携帯口糧は糒・牛缶・[[塩|食塩]]が使用され、うち、糒が主軸となっていた。これを改め、ビスケットを用いるよう希望されていた。そこで大ビスケットと小ビスケット、糒(ほしい)が試験された。試験目標は以下の通りである。
* 栄養が完全であること。体力を維持する諸要素を含むこと。
* 重量容積ともに可能な限り小さく、また、携行に便利であること。
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* 佳味、または佳味の食となること。しかし、佳味過ぎるのは浪費されるために適さない。
* 補給し易く、かつ価格が可能な限り低廉であること。
西洋の陸軍では乾パンと同時に[[スープ]]が提供されたが、[[日本軍]]では汁類の配給が行われず、完全なビスケット食には移行しなかった。結局、[[日露戦争]]中は糒と重焼麺麭が両方とも用いられた<ref>『戦場の衣食住』98頁</ref>。▼
▲西洋の[[陸軍]]では乾パンと同時に[[スープ]]が提供されたが、[[日本軍]]では汁類の配給が行われず、完全なビスケット食には移行しなかった。結局、[[日露戦争]]中は糒と重焼麺麭が両方とも用いられた<ref>『戦場の衣食住』98頁</ref>。
日露戦争後、重焼麺麭は乾麺麭に名称変更された。理由は重焼が重傷に通ずるとして嫌われたためである。また、戦争後に、乾麺麭は以下のような欠点が指摘された。▼
▲日露戦争後、重焼麺麭は乾麺麭に名称変更された。理由は重焼が[[重傷]]に通ずるとして嫌われたためである。また、戦争後に、乾麺麭は以下のような欠点が指摘された。
* 連続して食べるには単味過ぎる。
* 食べる際に飲料が必要である。
* 携帯中に容易に壊れる。また、水分があると容易に溶解する。
品質改良は官民が協力して行った。麺麭は小麦粉の粘度が低く、焼き上げた後に衝撃を加えると容易に壊れた。そこでヨーロッパ産の小麦粉を使用し、また、国産小麦粉にも粘度の高い品種を使用した。ほか、品質、配合、製造工程、防湿などに改良が加えられた。新型の乾麺麭が戦闘に用いられたのは青島要塞の攻略戦である<ref>『戦場の衣食住』119-120頁</ref>。▼
▲品質改良は官民が協力して行った。麺麭は小麦粉の粘度が低く、焼き上げた後に衝撃を加えると容易に壊れた。そこでヨーロッパ産の小麦粉を使用し
大正期に入ると『戦用糧食品製造法大要』がまとめられた。大正5年には携帯糧食の内容が整った。これらの製造は陸軍糧秣本廠、また、軍指定の民間会社が担当した。民間製品は陸軍糧秣本廠が検査を行い、合格したものを買い上げた。この時点での乾麺麭の規格は次のようなものである。▼
▲[[大正|大正期]]に入ると『戦用糧食品製造法大要』がまとめられた。[[1916年|大正5年]]には携帯糧食の内容が整った。これらの製造は陸軍糧秣本廠
* 原料 小麦粉、米粉、胡麻、砂糖、食塩、馬鈴薯、ホップ
* 規格 2個で1食となる。60個を箱に収容する。箱は木製で、内部に[[ブリキ]]の内張を施している。ちなみに1梱包が24.75kg、うち正味内容量が13.5kg。箱の寸度は縦67cm、横38cm、高さ42cmである<ref>『戦場の衣食住』123頁</ref>。
なお大型で非常に固く食べづらいことに定評があり、齧ろうとしたら歯が欠けた、割ろうと殴りつけたら手の皮が剥けた、等の証言が残っている。
[[1931年]]、乾麺麭は従来の大型のものからドイツ軍糧食のハードビスケットを参考に小型化され、1食は225g、[[金平糖]]が同封された。これらは袋に包装され、日中戦争以降、軍用食料の国民への普及が意図された。そこで陸軍糧秣本廠の外郭団体として糧友会が組織され、携帯口糧の一般販売を開始した。[[1934年]]当時の乾麺麭の市価は1食分15銭である<ref>『戦場の衣食住』153頁</ref>。▼
▲[[1931年]]、乾麺麭は従来の大型のものから[[ドイツ軍]]糧食のハードビスケットを参考に小型化され、1食は225g、[[金平糖]]が同封された。これらは袋に包装され、[[日中戦争]]以降、軍用食料の国民への普及が意図された。そこで陸軍糧秣本廠の外郭団体として糧友会が組織され、携帯口糧の一般販売を開始した。[[1934年]]当時の乾麺麭の市価は1食分15銭である<ref>『戦場の衣食住』153頁</ref>。
[[1938年]]、『陸軍戦時給与規則細則中改正』により乾麺麭は以下のように規定された。
* 小麦粉を主体として製造。包装は乾麺
== 自衛隊の乾パン ==
[[自衛隊]]の非常用糧食に使われているものとしては、'''大
=== 大
[[海上自衛隊]]で採用されている。
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=== 小
▲[[File:Army food ration 0001.jpg|thumb|right|200px|陸上自衛隊の戦闘糧食I型No.1(乾パン食)に付属するオレンジスプレッド]]
[[陸上自衛隊]]と[[航空自衛隊]]で採用されている。表面に2個の針穴がある。[[三立製菓]]製。
陸上自衛隊の[[戦闘糧食I型]]No.1では、これを150g
[[戦闘糧食II型]]では、乾パン150gと金平糖15gを同梱した主食と副食のソーセージはそのまま{{efn2|包装容器はI型の缶から真空パックに変更されている。}}だが、オレンジスプレッドが無くなり、副食にツナサラダ75gが追加されている。
== 脚注・出典 ==▼
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* 『帝国陸軍 戦場の衣食住』[[歴史群像]] 太平洋戦史シリーズ39、[[学研ホールディングス|学習研究社]]、2002年
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Hardtack|堅パン}}
▲* [[クネッケブレッド]](ライ麦で作られたスウェーデンの乾パン)
▲* [[保存パン]](乾燥していない非常食用のパン)
▲* [[ポン菓子]](輸入小麦に依存する乾パンの後継を意図して、日本陸軍が膨脹玄米ないし膨脹大麦を用いた「圧搾口糧」を開発した)
== 外部リンク ==
* [http://10.studio-web.net/~phototec/ THE戦闘糧食] - 「帝国陸軍伝統の非常食 カンパン」の項に、詳しくまとめられている。
* [http://kanpan.jp/stockpile/
{{デフォルトソート:かんはん}}
[[Category:パン]]
[[Category:ビスケット]]
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[[Category:自衛隊の装備品]]
[[Category:レーション]]
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