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{{Infobox Weapon
{| align="right" border=1 cellspacing=0 cellpadding=2 style="border: solid 1px #000000; margin-left: 16px"|
|name=
|-
|image= 150 H 14 J Hämeenlinna 2.JPG
|colspan=2 align=center|
|image_size = 300
{| border=0 width=220 cellspacing=0 cellpadding=0
|caption=
|[[Image:Type 38 150mm howitzer.jpg|300px]]
|origin=
|}
|type=
|+
<!-- Type selection -->
|-
|is_ranged= yes
|制式名
|is_artillery= yes
| 三八式十五珊榴弾砲
<!-- Service history -->
|-
|service=
|重量
|used_by=
| 2095kg
|wars=
|-
<!-- Production history -->
|砲口径
|designer=
| 149.1mm
|design_date=
|-
|manufacturer= {{DEU1871}}<br/>{{JPN1889}}
|砲身長
|unit_cost=
| 1880mm
|production_date=
|-
|number= 224門
|砲口初速
|variants=
| 275m/s<ref>一号装薬使用時。二号装薬では200m/s、三号装薬では150m/s。</ref>
<!-- General specifications -->
|-
|spec_label=
|最大射程距離
|weight= *全備重量: 2095 kg
| 5900m<ref>一号装薬使用時。二号装薬では3450m、三号装薬では1700m。</ref>
*砲身重量: 770 kg(閉鎖機共)<ref name=":0">佐山二郎「日本陸軍の火砲 野戦重砲 騎砲 他」188頁、189頁。 </ref>
|-
|length= 後座長: 590 mm<ref name=":0" />
|俯仰角
|part_length= 1880 mm(12.6口径)
| 0~+43度
|width=
|-
|height=
|水平射角
|diameter=
| 左右1.45度
|crew=
|-
<!-- Ranged weapon specifications -->
|使用弾種
|cartridge= {{Flatlist|*破甲榴弾
|破甲榴弾<br>九二式榴弾<br>十一年式榴弾<br>代用弾甲</br>
*九二式榴弾
|-
*十一年式榴弾
|製造国
*代用弾甲}}
| ドイツ 日本
|caliber= 149.1 mm
|-
|barrels=
|総生産数
|action=
|
|rate=
|}
|velocity= 275 m/s{{Efn2|一号装薬使用時。二号装薬では200 m/s、三号装薬では150 m/s}}
 
|range= 5900 m{{Efn2|一号装薬使用時。二号装薬では3450 m、三号装薬では1700 m。}}
'''三八式十五糎榴弾砲'''(さんはちしきじゅうごせんちりゅうだんほう)は、[[日本陸軍]]が明治44年(1911年)に制式制定した[[榴弾砲]]。
|max_range=
|feed=
|sights=
<!-- Artillery specifications -->
|breech=
|recoil=
|carriage=
|elevation= 0 - +43度
|traverse= 左右1.45度
}}
'''三八式十五糎榴弾砲'''(さんはちしきじゅうごせんちりゅうだんほう)は、[[大日本帝国]]が[[1911年]](明治44年)に制式制定した[[榴弾砲]]。
 
== 概要 ==
[[1904年]](明治37年(1904年)、[[日露戦争]]の開戦に伴い、[[大日本帝国陸軍]]がドイツの[[クルップ]]に砲身後座式の近代火砲を数種発注した<ref>{{Efn2|[[三八式野砲]]、[[三八式十二糎榴弾砲]]、[[三八式十糎加農砲]]が同時に発注された。</ref>}}うちの一つ。駐退機を持たない[[克式十五珊榴弾砲]]を補完更新する目的の、[[野戦重砲兵]]向け榴弾砲である。
 
クルップでは、日本陸軍の要望に合わせて若干の修正を加えたものの既存モデルの設計を流用して直ちに製造に取り掛かり、翌明治38年(1905年)には発注数を揃えて出荷したものの、日本に到着したのは[[奉天会戦]]よりも後であり、日露戦争の戦場には間に合わなかった。
 
その後、改めて日本国内で審査を行い、若干の改正を施して1911年([[明治]]44年(1911年)12月をもって'''三八式十五珊榴弾砲'''として制式制定<ref>{{Efn2|[[大正]]11年度制式までは[[フランス語]]読みのサンチの[[漢字]]表記として'''珊'''を用いた</ref>}}され、[[昭和]]に入って'''三八式十五糎榴弾砲'''と改称された。
 
閉鎖機は[[隔螺式#段隔螺式|段隔螺式]]で、装薬可変式の分離薬筒。装薬は一号方形薬だが、照準器が旧式なため同一表尺で異なる弾量の砲弾を発射するのに、弾種別に専用の薬嚢を用いるという、このクラスの重砲としてはあまり用いられない方式<ref>{{Efn2|完全弾薬筒を用いる野砲クラスでは普通に使われる</ref>}}をとっている。
 
移動は8馬輓曳を前提としたが、体格に劣る国産馬での輓曳は事実上不可能であった。このため、陣地変換に際しては分解して荷車に積載せねばならなかったが、元々分解搬送を前提としていない設計であったため、これには多大の時間を要した。もちろん、移動した先での組立て再設置にも時間がかかり、野戦重砲といいながらも実質的には[[攻城]]並みの機動力しか持たなかった。これは本砲最大の欠点となった。<ref>{{Efn2|後継砲の四年式十五糎榴弾砲では予め2車に分離して移動するようになっており、分解結合も迅速容易に行えるよう工夫されている。</ref>}}
 
採用以降、陸軍は野戦重砲兵の主火器として本砲を整備し、[[大阪砲兵工廠]]で国産化もされたが、上記理由により生産期間はそれほど長くはなかった。[[1918年]](大正7年(1918年)に野戦重砲兵連隊が独立編制になる頃から[[四年式十五糎榴弾砲]]との置換えが始まり、[[1935年]](昭和10年(1935年)頃にはいったん予備保管兵器となった。しかし、[[日中戦争]]の勃発により動員され、その後は限定的ながらも[[第二次世界大戦]]の終結まで運用され続けた。
 
本砲の機動力不足を解消する試みは対米開戦後の重砲不足の中で開始され、四年式十五糎榴弾砲に準じた分解式への改造は不調に終わったものの、[[1944年]](昭和19年(1944年)には決定版として自走化が検討され、[[四式十五糎自走砲]](ホロ)として実用化された。
 
本砲の初陣は[[1914年]](大正3年(1914年)の[[青島の戦い|青島攻略戦]]にまで遡るが、野戦重砲として本格的に使用されたのは[[1937年]](昭和12年(1937年)、日中戦争に伴い動員下令となった野戦重砲兵第五旅団隷下の野戦重砲兵第十一連隊および野戦重砲兵第十二連隊に配備されて出征した。両連隊とも[[1939年]](昭和14年(1939年)にいったん復員したが、野戦重砲兵第十二連隊は[[1942年]](昭和17年(1942年)に再動員となり[[フィリピン]]に派遣され、1944年(昭和19~2019)〜[[1945年]](昭和20年)にかけて[[ルソン島]]で米軍と戦い、全滅した。野戦重砲兵第十一連隊も1944年(昭和19年に再動員となったが、本土決戦の準備中に終戦となった。
 
==車載化==
[[Image:Type 38 150mm howitzer.jpg|thumb|250px|後方からの写真]]
[[四式十五糎自走砲]]の主砲として搭載された。軽量な三八式は九七式戦車車体に無理なく搭載でき、直射を含む機動射撃では短射程はあまり問題にならなかった。大きな炸薬量により、米軍戦車を正面から撃破できる貴重な対戦車戦力として重宝された。
{{-}}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
=== 注釈 ===
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
 
* [[15cm sIG33]]
* [[大日本帝国陸軍兵器一覧]]
 
{{DEFAULTSORT:38しき15せんちりうたんほう}}
[[Category:{{大日本帝国陸軍の兵器]]火砲}}
[[Category:大日本帝国陸軍の榴弾砲]]
[[Category:150mm砲]]
 
[[en:Type 38 15 cm howitzer]]