雄平
雄平(ゆうへい、本名・旧登録名:高井 雄平〈たかい ゆうへい〉、1984年6月25日 - )は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手(投手 → 外野手、左投左打)、プロ野球コーチ。
東北楽天ゴールデンイーグルス 二軍打撃コーチ #84 | |
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2024年5月 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市宮前区 |
生年月日 | 1984年6月25日(40歳) |
身長 体重 |
174 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 → 外野手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト1巡目 |
初出場 | 2003年4月22日 |
最終出場 | 2021年11月1日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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派遣歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集川崎市立有馬中学校から宮城県仙台市の東北高等学校に進学する。高校時代は「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本はもとよりメジャーリーグ(MLB)球団のスカウトからも注目された。東北高校の若生正廣監督からは、「投げては後藤伸也以上、打っては嶋重宣以上」という表現で、プロ入りした先輩2人と比較されるほどの潜在能力の高さを評された(全国的注目度が低かったが、仙台都市圏の同学年には名取北高に岸孝之投手がいた)。現に、投手としてストレートで最速151km/h[1]を計測された一方で、打者として高校通算36本塁打を記録している[2]。また、2学年下の後輩にはダルビッシュ有がいた。
2002年のNPBドラフト会議1巡目で、投手として大阪近鉄バファローズとヤクルトスワローズから指名。抽選によるヤクルトの独占交渉権獲得を経て、契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)という条件で入団した[3]。入団当初の背番号は16で、登録名は本名の高井雄平。
プロ入り後
編集2003年には、4月22日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で一軍公式戦へのデビューを果たすと、6月11日の同カードで一軍初勝利。6月28日の対広島東洋カープ(広島市民球場)戦では、5回4失点10奪三振で勝利投手になった。一軍公式戦全体では、27試合の登板で5勝6敗を記録。防御率は5.03で、セントラル・リーグ最多の12暴投を記録した。
2004年には、シーズン前半を二軍で過ごした影響で、一軍公式戦への登板は9試合にとどまった。しかし、後半に一軍へ昇格すると、先発で4勝を挙げた。
2005年には、開幕を初めて一軍で迎えるとともに、前年後半に続いて先発陣の一角を担った。4月3日の阪神タイガース戦(大阪ドーム)では3回表の初打席で能見篤史からバックスクリーンに放つプロ初本塁打を放つ。しかし、その直後に打ち込まれ敗戦投手となる。また、その後の試合でも与四死球の多さが災いして、6月に二軍へ降格し、シーズンを終える。
2006年には、自身の背番号を22に変更した。MLBのロサンゼルス・ドジャースへ移籍していた石井一久の復帰に伴って、石井が復帰前に着用していた背番号16を希望したことによる。一軍公式戦では主に救援要員として36試合に登板したが、防御率は自己ワーストの6点台(6.51)にまで達した。6月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、7回表二死一・二塁の局面で登板したところ、福浦和也に投じた初球が福浦の側頭部を直撃。この投球が危険球と判定されたため、わずか1球を投げただけで退場処分を受けた。一軍公式戦でシーズン唯一の先発登板になった10月12日の対横浜ベイスターズ戦(明治神宮野球場)では、1回表に先頭打者・石井琢朗を四球で出塁させ、3番打者・内川聖一に対しては3つの暴投を記録。1イニング3暴投のNPB一軍公式戦最多タイ記録を達成したばかりか、石井を一塁からノーヒットで生還させる羽目になった。
2007年には、高津臣吾の背番号を11から以前着用していた22へ変更したことに伴って、自身の背番号を41に変更。制球力を上げる目的で、投球フォームもノーワインドアップからセットポジションに変更した。一軍公式戦では、救援陣で唯一の左投手として、チームおよび自身最多の52試合に登板。7月16日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で一軍公式戦初セーブを挙げたほか、15ホールドポイント(3救援勝利12ホールド)を記録した。ショートリリーフ中心の起用ながら、防御率は5.19にまで到達した。通算で6敗を喫したほか、シーズン終盤には一軍から遠ざかった。
2008年には、新任監督の高田繁の方針で、先発要員としての調整を再開。増渕竜義・由規・加藤幹典らと一軍の先発ローテーション入りを争った。しかし、課題の制球難を克服できず、最大の持ち味であったストレートの球速も140km/hを下回るなど、極度の不調に見舞われた。結局、一軍公式戦への登板は1試合(投球イニング2/3回)だけで、シーズン終盤の9月下旬から鬼崎裕司と共にハワイ・ウィンターリーグのワイキキ・ビーチボーイズへ派遣された。
2009年には、投球フォームを大幅に改造したが、前年に続いて一軍公式戦への登板は1試合にとどまった。イースタン・リーグの公式戦でも振るわなかったことから、シーズン終盤の9月30日には、フェニックスリーグから野手に転向することを首脳陣から打診。高井自身は、打診を一旦了承しながらも、後にサイドスローへの転向による投手の継続を直訴した。しかし、シーズン終了後の秋季キャンプ中からは、野手としての練習を本格的に始めている。
2010年には、一軍公式戦への出場機会はなかったが、イースタン・リーグの公式戦で規定打席に到達。打率.283、4本塁打、35打点という成績を残した。
2011年には、登録名を名前だけの「雄平」に変更。イースタン・リーグでは、開幕から7月中旬までに、打率.348、5本塁打、24打点という好成績を残していた。その間に打率トップの座を維持していたことも背景に、オールスターゲーム直前の7月11日には、野手として初めての出場選手登録を果たした。実際には一軍公式戦での野手デビューに至らなかったが、イースタン・リーグ公式戦では、規定打席に到達した打者ではトップの打率.330を記録した[4]
2012年には、野手として初めて開幕を一軍で迎えると、巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)に代打で出場。野手転向後の一軍初安打を記録。5月に出場選手登録をいったん抹消されたが、9月に一軍へ再び昇格すると、シーズン終了まで「1番・中堅手」に定着した[2]。
2013年には、3月30日の対阪神タイガース戦(神宮)で藤浪晋太郎から6回裏の打席で野手転向後初であり自身8年ぶりとなる本塁打を放つなど、開幕から外野手のレギュラーとして一軍で活躍[5]。しかし、13試合目の出場になった4月17日の対中日戦(神宮)で、外野守備中にジャンピングキャッチ後の着地で右膝を負傷。その後の診断で右膝前十字靱帯を断裂していることが判明した[6]ため、5月10日に靱帯の再建手術を受けた[7]上で、残りのシーズンをリハビリに費やした。
2014年には、開幕から一軍に復帰。当初は「2番・中堅手」として起用されていた[8]が、打線の組み替えによって、すぐに5番打者へ定着した。4月終了時点で打率は.224だったが、外野手出身の小川淳司監督からの助言をきっかけに、フルスイングを心掛けたことで徐々に復調[9]。5月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦(神宮)では、先発投手として登板した大谷翔平から2本の本塁打を放ったことで、シーズンの通算本塁打数が自身初の2桁(10本)に到達した[10]。同月は、打率.364、8本塁打、19打点、長打率.646という好成績で、月間MVPを初めて受賞[11]。投手として同リーグの一軍公式戦へ登板した後に野手へ転向した選手の受賞は、1993年9月の仁村徹(中日)以来2人目であった[12]。7月には、故障で戦線を離脱したウラディミール・バレンティンに代わって4番を務めた[13]ほか、セントラル・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームにプロ入り後初めて出場した[14]。一軍公式戦全体では、141試合の出場で、打率.316、23本塁打を記録。外野手として、セ・リーグのベストナインにも初めて選ばれた。シーズンオフの契約交渉では、2度にわたる交渉の末にこの年のNPBで最高の昇給率(380%)による年俸(推定6000万円)で契約を更改した[15]。
2015年には、オープン戦の期間中に開かれた「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」で、野球日本代表のトップチームに初めて招集[16]。3月10日の第1戦に「7番 中堅手」で先発出場した[17]。3月11日の第2戦には途中出場している[18]。レギュラーシーズンでは、「4番・中堅手」として一軍公式戦の開幕を迎えた。後に4番を外れるなど、シーズン全体の成績は低調。打率(.316→.270)、本塁打(23→8)、打点(90→60)のいずれも、前年を大きく下回った。しかし、10月2日の対阪神戦(神宮)では、同点で迎えた11回裏二死一・三塁の打席で能見篤史から安打を記録した。チームはこの適時打によるサヨナラ勝利で、14年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めた。ポストシーズンでは、クライマックス・シリーズ4試合で打率.333を記録するなど打撃が好調で、チームの日本シリーズ進出に貢献。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも5試合に出場したが、打率が.150と振るわず、チームもシリーズ制覇を逸した。レギュラーシーズン中の7月16日には、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[19]が、後の選考に残らなかったため日本シリーズ終了後のプレミア12には出場していない。
因みにこの年のシーズンの7月20日のDeNA戦で、7回先頭打者のアーロム・バルディリスの放った左翼線際のフライを二塁手の山田哲人が落球し、追いついた雄平はそのままフェア判定を受けたのに気づかずファウルと勘違いして観客に向かってエキサイティングシートに投げ込んだ。同日には、日本ハムでも西川遥輝がアウトカウントを間違えて客席に投げ入れる珍プレーが確認された[20]。同じ日にNPBの公式戦で勘違いによるボールの客席への投げ込みが2つ記録された事例は前例がない。
2016年には、一軍公式戦の開幕を「5番・右翼手」として迎えたが、左側腹部筋挫傷で7月27日に出場選手登録を抹消。9月上旬から一軍へ復帰したものの、セ・リーグの規定打席には若干及ばず、打率3割にもわずかに届かなかった。
2017年には、一軍公式戦の開幕から40試合で4番打者を任されるほど好調だった。しかし、6月28日の対巨人戦(福島県営あづま球場)の打席でファウルを放った際に、右手の有鈎骨を骨折[21]。チームのシーズン最終戦で一軍公式戦へ復帰したが、一軍公式戦への出場は71試合、本塁打は2本にとどまった。打席数もセ・リーグの規定打席を大幅に下回ったが、3シーズンぶりに打率3割(.306)を記録している。
2018年には、MLBへ移籍していた青木宣親が8シーズンぶりにチームへ復帰。春季キャンプ中には、青木を中堅手として起用することを前提に前年の正中堅手・坂口智隆と並んで一塁手へのコンバート候補に挙げられていた[22]。レギュラーシーズンでは、「5番・右翼手」の座を堅持し、左投手の先発が予告された試合にスタメンを外れながらも、一軍公式戦には124試合への出場で、3年ぶりにセ・リーグの規定打席へ到達した。さらに、4年ぶりの2桁本塁打(11本)と自己最高の打率.318を記録。得点圏打率も、リーグ2位の.356にまで達した。シーズン終了後の契約更改では、入団16年目(打者転向9年目)で初めて1億円で更改した。投手としてNPBの球団に入った選手の年俸が、野手転向後に1億円まで達した事例は石井琢朗・福浦和也・糸井嘉男に次いで雄平が4人目である[23]。
2019年は6月、7月にスタメンから外れる試合もありながら131試合に出場、打率.273、12本塁打、56打点を記録し年俸は現状維持となる1億円でサインした[24]。また、雄平と自主トレをする「雄平組」と言うチームを結成したことを明かした[25]。メンバーは雄平の他に大村孟、松本直樹、太田賢吾、渡邉大樹、松本友の6人[26]。
2020年は43試合の出場に留まる。年俸は2500万円減となる7500万円でサインした[27]。
2021年は一軍出場が無いまま、9月29日に現役引退を発表した[28]。引退に際して雄平は球団関係者、ファン、家族への感謝の気持ちを表し、思い出の打席として2015年10月2日の対阪神戦のリーグ優勝を決めたサヨナラ安打を挙げた[29][30]。明治神宮野球場で行われた11月1日のシーズン最終戦(対広島)が引退試合となり、5回裏終了時には雄平の引退セレモニーが行われた後[31]、6回表から右翼手として途中出場し、7回裏の第一打席では森浦大輔から左前安打を記録[32]。8回裏の最終打席は島内颯太郎と対戦してニゴロに終わった[32]。試合後には5度胴上げされた[33]。
引退後
編集2021年11月8日、2022年は東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチを務めることが発表された[34][35]。背番号は84。2023年は一軍打撃コーチとなったが[36]、5月25日時点でリーグワーストとなるチーム打率.209や121得点を記録し、5月26日に今江敏晃と入れ替えで、二軍打撃コーチに配置転換された[37]。
選手としての特徴
編集この選手の選手としての特徴に関する文献や情報源が必要です。 (2012年6月) |
投手時代には左腕からストレートで最速154km/h[38]を計測した速球派投手で、スライダー、カーブ、フォークといった変化球も投げていた。プロ入り後は制球難に悩まされ、一軍公式戦での登板試合では、1試合平均の与四球率が5.0を上回ったほか、死球・暴投・悪送球を連発することが多かった。なお、雄平は打者転向後に「プロに入って驚いたのが、ストライクゾーン(が極端に狭くなったように感じられること)」と述懐している。投手時代の晩年には、上述のようにストレートの球速が落ちて、得意のスライダーまで思うように曲がらなくなるほど、投球の感覚が鈍っていたという[2]。
野手としての能力も非常に高く、プロ入り後も投手時代に公式戦で本塁打を放つほど、非凡な打撃センスを持ち合わせていることから2009年のフェニックスリーグには投手登録のまま外野手として出場。リーグ閉幕後の秋季キャンプから、外野手へ正式に転向した。もっとも、7年間のブランクは想像以上に大きく、転向当初は「ど真ん中(のストレート)を普通に振っているのに(バットに)当たらなかったので、とにかく(練習でバットを)振りまくった」という[2]。
ヤクルトで野手転向4年目の2012年には、外野手登録のまま救援投手にも起用する「二刀流」の構想があることが一部で報じられた。翌2013年からNPB一軍公式戦の延長時間制限が撤廃されることも見越した構想で、当時の小川淳司監督から「二刀流」での起用を打診されたこともある。実際には「野手としてのプレーに専念したい」との理由で打診を固辞したため、転向後の公式戦に投手で起用されたことはない[39]。
手動計測ながら、50m走で最速5秒8を記録するなど俊足の持ち主でもある[40]。守備面では、元投手らしい強肩を武器とした守備を披露する。
背番号については、結果的に野村克也・若松勉の両監督時代の功労者である石井一久(16)・高津臣吾(22)・稲葉篤紀(41)の3人の背番号を着用した。
人物・家族
編集実父、実母は中学校の教師。兄・大輔はアクロバットダンサー・大道芸人。タレントのベッキーは小学校・中学校の1学年先輩に当たる。このような縁から、ヤクルトへの入団が決まった際には、ベッキーから直筆サイン色紙が贈られている。
BREATHEの宮田慧とは、中学生時代に所属していたリトルリーグのチームメイトで、雄平と同様に神奈川県内から東北高校へ進学した。このような縁から、ヤクルト入団後の2014年にはBREATHEの楽曲『Tomorrows』を登場曲に採用していた。
2015年までの応援歌の歌詞は『「高」き理想を目指して 熱き血潮を「井(わかし)」て 君よ「雄」々しく羽ばたけ 地「平」の彼方』と、カギ括弧内を合わせると、「高」「井」「雄」「平」と読める様になっていた(2016年から歌詞変更)。尚、この応援歌の原曲は桃太郎電鉄シリーズのサイコロ行進曲(桃鉄15版)であった。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | ヤクルト | 30 | 35 | 30 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | .200 | .200 | .267 | .467 |
2004 | 10 | 17 | 16 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .313 | .313 | .313 | .626 | |
2005 | 18 | 18 | 13 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | .154 | .214 | .385 | .599 | |
2006 | 36 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2007 | 52 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2012 | 47 | 153 | 143 | 14 | 40 | 4 | 0 | 0 | 44 | 8 | 2 | 3 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 19 | 0 | .280 | .313 | .308 | .621 | |
2013 | 13 | 43 | 37 | 6 | 11 | 4 | 1 | 2 | 23 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 10 | 0 | .297 | .395 | .622 | 1.017 | |
2014 | 141 | 597 | 547 | 97 | 173 | 28 | 3 | 23 | 276 | 90 | 10 | 2 | 1 | 0 | 48 | 0 | 1 | 103 | 11 | .316 | .372 | .505 | .877 | |
2015 | 141 | 585 | 551 | 57 | 149 | 33 | 4 | 8 | 214 | 60 | 7 | 4 | 1 | 3 | 27 | 1 | 3 | 82 | 7 | .270 | .307 | .388 | .695 | |
2016 | 108 | 436 | 412 | 44 | 122 | 20 | 0 | 7 | 163 | 55 | 7 | 1 | 1 | 2 | 21 | 2 | 0 | 51 | 9 | .296 | .329 | .396 | .724 | |
2017 | 71 | 300 | 281 | 29 | 86 | 21 | 0 | 2 | 113 | 32 | 2 | 3 | 0 | 2 | 12 | 0 | 5 | 42 | 5 | .306 | .343 | .402 | .745 | |
2018 | 125 | 482 | 446 | 50 | 142 | 19 | 1 | 11 | 196 | 67 | 6 | 1 | 0 | 2 | 33 | 5 | 1 | 62 | 13 | .318 | .365 | .439 | .804 | |
2019 | 131 | 493 | 447 | 55 | 122 | 19 | 0 | 12 | 177 | 56 | 4 | 3 | 1 | 6 | 37 | 4 | 2 | 71 | 4 | .273 | .327 | .396 | .723 | |
2020 | 43 | 113 | 103 | 6 | 23 | 4 | 0 | 0 | 27 | 9 | 3 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 1 | 23 | 2 | .223 | .265 | .262 | .528 | |
2021 | 1 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
通算:19年 | 969 | 3277 | 3030 | 362 | 882 | 154 | 9 | 66 | 1252 | 386 | 41 | 17 | 18 | 18 | 198 | 12 | 13 | 494 | 53 | .291 | .335 | .413 | .748 |
年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | ヤクルト | 27 | 17 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | -- | .455 | 458 | 102.0 | 99 | 14 | 56 | 2 | 7 | 80 | 12 | 0 | 62 | 57 | 5.03 | 1.52 |
2004 | 9 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 223 | 49.0 | 48 | 7 | 29 | 1 | 3 | 54 | 8 | 0 | 26 | 24 | 4.41 | 1.57 | |
2005 | 18 | 11 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | .500 | 330 | 73.2 | 70 | 7 | 42 | 1 | 2 | 74 | 8 | 0 | 37 | 37 | 4.52 | 1.52 | |
2006 | 36 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 5 | .667 | 143 | 27.2 | 29 | 3 | 21 | 0 | 4 | 27 | 8 | 0 | 27 | 20 | 6.51 | 1.81 | |
2007 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 1 | 12 | .333 | 188 | 43.1 | 39 | 3 | 24 | 3 | 0 | 30 | 3 | 0 | 26 | 25 | 5.19 | 1.45 | |
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 0.2 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 13.50 | 4.50 | |
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
通算:7年 | 144 | 37 | 1 | 0 | 0 | 18 | 19 | 1 | *17 | .486 | 1351 | 297.1 | 287 | 35 | 174 | 7 | 16 | 265 | 39 | 0 | 179 | 164 | 4.96 | 1.55 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
投手 | 外野 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2003 | ヤクルト | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | |||||
2004 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||
2005 | 18 | 5 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
2006 | 36 | 2 | 7 | 3 | 0 | .750 | - | ||||||
2007 | 52 | 3 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||
2008 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | - | ||||||
2012 | - | 39 | 77 | 4 | 1 | 3 | .988 | ||||||
2013 | - | 11 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
2014 | - | 139 | 316 | 3 | 7 | 1 | .979 | ||||||
2015 | - | 140 | 254 | 8 | 3 | 2 | .989 | ||||||
2016 | - | 104 | 192 | 7 | 2 | 2 | .990 | ||||||
2017 | - | 69 | 104 | 3 | 2 | 0 | .982 | ||||||
2018 | - | 120 | 175 | 4 | 4 | 1 | .978 | ||||||
2019 | - | 118 | 198 | 2 | 2 | 1 | .990 | ||||||
2020 | - | 30 | 52 | 1 | 1 | 0 | .981 | ||||||
2021 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | ||||||
通算 | 144 | 10 | 22 | 3 | 0 | .914 | 771 | 1386 | 32 | 22 | 10 | .985 |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
編集- ベストナイン:1回(外野手部門:2014年)
- 月間MVP:1回(野手部門:2014年5月)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2015年)
記録
編集- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2003年4月22日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に斉藤宜之から空振り三振
- 初先発:2003年5月1日、対横浜ベイスターズ6回戦(明治神宮野球場)、3回5失点で敗戦投手
- 初勝利:2003年6月11日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、4回裏に2番手で救援登板、3回無失点
- 初先発勝利:2003年6月28日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、5回4失点
- 初完投:2005年5月27日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(札幌ドーム)、8回6失点で敗戦投手
- 初ホールド:2006年4月1日、対阪神タイガース2回戦(明治神宮野球場)、8回表に3番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初セーブ:2007年7月16日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏二死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 打撃記録
- 初打席:2003年4月24日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、5回表にマシュー・ランデルから左邪飛
- 初安打・初打点:2003年5月7日、対読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、4回裏に高橋尚成から右中間へ3点適時二塁打
- 初本塁打:2005年4月3日、対阪神タイガース3回戦(大阪ドーム)、3回表に能見篤史から中越ソロ
- 初盗塁:2012年5月16日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(明治神宮野球場)、2回裏一死に二盗(投手:山田大樹、捕手:山崎勝己)
- その他の記録
- 1試合4二塁打:2017年5月7日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)※史上12人目
- 一軍通算10勝以上でシーズン20本塁打(2014年)※藤村富美男以来59年ぶり4人目[41]
- オールスターゲーム出場:2回(2014年 - 2015年)
背番号
編集- 16(2003年 - 2005年)
- 22(2006年)
- 41(2007年 - 2021年)
- 84(2022年 - )
登録名
編集- 高井 雄平(たかい ゆうへい、2003年 - 2010年)
- 雄平(ゆうへい、2011年 - )
脚注
編集- ^ “雄平、山口俊、濱田達郎から学ぶ 苦難を突破した男たちの成功哲学とは?”. スポーツナビ. (2014年6月21日) 2014年8月12日閲覧。
- ^ a b c d “月間MVP獲得!好調ヤクルト打線を支える雄平の波乱万丈野球人生”. スポニチ Sponichi Annex (2014年6月7日). 2014年6月7日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】雄平の東北高時代…最速151キロ!高校通算36発!投打で活躍”. スポーツ報知 (2020年5月2日). 2021年6月4日閲覧。
- ^ 実際には、最終規定打席に3打席足りなかったものの、打率.345を記録していた楽天の銀次が、首位打者の例外規定によってタイトルを獲得。
- ^ “【阪神】藤浪初黒星「次回につなげたい」”. 日刊スポーツ (2013年3月31日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】雄平、靱帯断裂!今季絶望か”. 日刊スポーツ (2013年4月19日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】雄平全治1年、復帰は来季”. 日刊スポーツ (2013年5月10日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “小川監督、雄平に最強2番ジーター目指せ”. 日刊スポーツ (2014年3月20日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “雄平「まさか獲れるとは」 転向打者の月間MVPはセ2人目”. スポニチアネックス (2014年6月6日). 2015年1月13日閲覧。
- ^ “ヤクルト雄平2発で大谷の白星消す”. 日刊スポーツ (2014年5月29日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “雄平が野手転向5年目で初の月間MVP”. 日刊スポーツ (2014年6月6日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “雄平 転向打者ではリーグ2人目の受賞”. デイリースポーツ (2014年6月6日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “ヤクルト最下位脱出の切り札は4番雄平”. 日刊スポーツ. (2014年7月4日) 2014年7月15日閲覧。
- ^ “ヤクルト雄平、球宴初出場に初々しさ隠せず”. 日刊スポーツ. (2014年7月3日) 2014年7月15日閲覧。
- ^ “雄平 380%アップは今オフ12球団トップ「身が引き締まる」”. スポニチ Sponichi Annex (2014年12月17日). 2015年1月8日閲覧。
- ^ “欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集”. 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日). 2015年3月22日閲覧。
- ^ “ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第1戦 2015年3月10日(火) 東京ドーム 打席結果・投打成績”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月10日). 2016年3月10日閲覧。
- ^ “ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年3月11日). 2016年3月10日閲覧。
- ^ “トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日). 2015年8月4日閲覧。
- ^ ヤクルト雄平、ファウルと勘違い…ボールをスタンドへ 「反省というレベルじゃない」 産経新聞 2015/7/20 22:48 (2024年4月25日閲覧)
- ^ “ヤクルト雄平が右手首骨折、今季絶望的「痛手」監督”. 日刊スポーツ (2017年6月30日). 2018年12月21日閲覧。
- ^ “ヤクルト・雄平&坂口一塁転向も 青木復帰で外野枠縮小”. デイリースポーツ (2018年2月6日). 2018年12月21日閲覧。
- ^ “ヤクルト・雄平、初の大台1億円!来季17年目「キャリアハイ」「全試合出場」目指す”. サンケイスポーツ (2018年12月21日). 2018年12月21日閲覧。
- ^ “ヤクルト雄平が現状維持で更改、キャリアハイが目標”. デイリースポーツ (2019年12月11日). 2019年12月31日閲覧。
- ^ “ヤクルト 巻き返しへ雄平組結成”. 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社 (2019年12月12日). 2021年6月4日閲覧。
- ^ “ヤクルト雄平ら9時間半練習、松本友「楽しいです」”. 日刊スポーツ (2020年1月15日). 2021年6月4日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】雄平は減額制限いっぱい2500万円減の7500万円でサイン 来季へ「相当な覚悟を持って臨む」”. スポーツ報知 (2020年12月11日). 2021年6月4日閲覧。
- ^ “ヤクルト雄平が引退「2015年サヨナラヒットで優勝決めた事が一番印象」”. 日刊スポーツ (2021年9月29日). 2021年9月29日閲覧。
- ^ “雄平選手が引退会見”. 東京ヤクルトスワローズ (2021年10月5日). 2021年10月17日閲覧。
- ^ “ヤクルト・雄平が今季限りで引退 ツバメ一筋19年「皆さんのおかげ」”. BASEBALL KING (2021年9月29日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ “雄平 ヤクルトひと筋19年 引退試合で2打数1安打の活躍“最後の雄姿”飾る”. スポーツニッポン (2021年11月1日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ a b “ヤクルト・雄平、引退試合で痛烈左前打 6回から途中出場し攻守でハッスル | BASEBALL KING”. BASEBALL KING (2021年11月1日). 2021年11月3日閲覧。
- ^ “引退するヤクルト雄平ラストゲームで安打「最後にご褒美いただけたのかな」”. 日刊スポーツ (2021年11月2日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ “新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト (2021年11月8日). 2021年11月8日閲覧。
- ^ “2022コーチングスタッフに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
- ^ “楽天、来季のコーチ陣を発表 引退の川島慶三氏が2軍打撃コーチ、立花義家氏ら4人退任”. Full-Count (2022年10月14日). 2022年10月14日閲覧。
- ^ “最下位の楽天が打撃コーチの配置転換を発表 今江コーチが1軍、雄平コーチは2軍へ”. スポーツニッポン. (2023年5月26日) 2023年5月26日閲覧。
- ^ “雄平 二刀流断念も3戦打率7割5分 小川監督「定位置争いの実力ある」”. スポニチ Sponichi Annex. (2013年2月18日) 2014年8月12日閲覧。
- ^ “雄平「二刀流」再浮上 3時間半ルール撤廃で投手不足”. スポニチ Sponichi Annex (2013年3月12日). 2013年11月18日閲覧。
- ^ “雄平「1番・中堅」定着へ 盗んだ男たちの技を盗む”. スポニチ Sponichi Annex (2013年1月16日). 2013年1月16日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】雄平、投手通算18勝でシーズン20発!59年ぶり4人目の偉業”. スポーツ報知 (2014年9月25日). 2014年9月26日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 雄平 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 雄平 - ウェイバックマシン(2012年4月2日アーカイブ分) - Ameba Blog
- 雄平【ヤキュウマンちゃんねる】 - YouTubeチャンネル