野村耕三
野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月14日 - 2001年〈平成13年〉10月15日)は、日本の作詞家、放送作家[1]、脚本家である。日本作詩家協会理事を歴任した。本名同、ペンネームに山野 良夫(やまの よしお)がある。
のむら こうぞう 野村 耕三 | |
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本名 | 同 |
別名義 | 山野 良夫 やまの よしお |
生年月日 | 1929年10月14日 |
没年月日 | 2001年10月15日(72歳没) |
職業 | 作詞家、放送作家、脚本家 |
ジャンル | 映画、歌謡曲 |
人物・来歴
編集1929年(昭和4年)10月14日に生まれる。明治大学政治経済学部を卒業後、大蔵事務官に任官(昭和26年)、東京国税局 国税調査官などとして働いた経歴を持つ。
1960年(昭和35年)、西河克己監督、児井英生プロデュースの映画『俺の故郷は大西部』に本名で原作を提供、翌1961年(昭和36年)の野口博志監督、児井プロデュース作『早討ち無頼 大平原の男』以降、「山野良夫」名義で原案・原作を提供する。1962年(昭和37年)、野口監督・児井プロデュースの『惜別の唄』では共同脚本に名を連ねる。
その後、ラジオ・テレビの番組構成や、レコードの解説原稿や随筆等を執筆する。 1984年(昭和59年)からは作詞家として作品を発表し始め、北島三郎などに詞を提供した。
フィルモグラフィ
編集- 『俺の故郷は大西部』 : 監督西河克己、脚本山崎巌、1960年 - 原作
- 『有難や節 あゝ有難や有難や』 : 監督西河克己、脚本山崎巌、1961年 - 原作
- 『早討ち無頼 大平原の男』 : 監督野口博志、脚本柳瀬観、1961年 - 「山野良夫」名義・原案
- 『黒い傷あとのブルース』 : 監督野村孝、脚本山崎巌・吉田憲二、1961年 - 「山野良夫」名義・原作
- 『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』 : 監督斎藤武市、脚本山崎巌、1962年 - 「山野良夫」名義・原作
- 『惜別の唄』 : 監督野口博志、共同脚本山崎巌、1962年 - 共同脚本
ディスコグラフィ
編集すべて作詞作品である。
著書
編集註
編集- ^ 安らかなご永眠をお祈りいたします 2001年、日刊スポーツ、2010年1月3日閲覧。
- ^ 総おどり 葉がくれ - 辰巳幸次郎、Yahoo! ミュージック、2010年1月3日閲覧。