近鉄劇場
近鉄劇場(きんてつ げきじょう)は、大阪市天王寺区上本町六丁目にあった劇場。近畿日本鉄道が所有し、子会社の近鉄興業が運営していた。2010年(平成22年)8月26日に大阪新歌舞伎座の新しい劇場を設置した複合ビル「上本町YUFURA」に生まれ変わった(後述)。
近鉄劇場 Kintetsu Theater | |
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情報 | |
通称 | 近鉄劇場・近鉄小劇場 |
正式名称 | 近鉄劇場 |
旧名称 |
近鉄会館 (上六映画劇場・上六地下劇場) |
完成 | 1954年12月 |
開館 | 1985年10月3日 |
開館公演 |
バラエティショー「ザ・シアター」 (近鉄劇場) 劇団第七病棟「ビニールの城」 (近鉄小劇場) |
閉館 | 2004年2月4日 |
最終公演 |
ふるさときゃらばん「パパの明日はわからない」(近鉄劇場) イッセー尾形「最後の最後の上本町」 (近鉄小劇場) |
収容人員 | (2館合計)1,374人 |
客席数 |
近鉄劇場:954席 近鉄小劇場:420席 |
用途 | 演劇 |
旧用途 | 映画館 |
運営 | 近鉄興業株式会社 |
所在地 |
〒543-0001 大阪府大阪市天王寺区上本町6丁目5-28 |
アクセス |
大阪市営地下鉄谷町線・千日前線 谷町九丁目駅から徒歩4分 近鉄大阪上本町駅南向い |
概要・略歴
編集1938年(昭和13年)3月、大阪電気軌道上本町駅南側に設立された映画館「大軌小劇場」が前身。当時は洋画のみならず、ニュース映画と短編映画も上映していた[1]。その後近畿日本鉄道への改組を機に「上六小劇場」と改めたが、1954年(昭和29年)12月、「上六近鉄会館」として改築・再開業した。設計は村野・森建築事務所、施工は大林組が担当[2]。地上階に主に洋画を上映する『上六映画劇場』、地階に主に邦画を上映する『上六地下劇場』が設置された[3]。近鉄会館開業までの天王寺区の映画館は、玉造東宝映画劇場、ヤマト館、三光館、三和劇場の4館のみだった[注 1]。
1985年(昭和60年)、上本町駅ターミナル整備(都ホテル大阪や駐車場、観光バスセンターの建設など)の一環として、全面的な改装を実施、上六映画劇場は近鉄劇場に、地階の上六地下劇場は近鉄小劇場として、同年10月3日にリニューアルオープンした。プロデュースは元『プレイガイドジャーナル』誌の演劇担当の松原利巳が担当した。
近鉄劇場は954席[注 2]を設け、劇団四季やOSK日本歌劇団、ABCミュージカルなどのミュージカルや演劇、コンサートといった公演に使われた。一方、近鉄小劇場は420席を設け、小劇団の公演などが数多く行われた。近鉄劇場、近鉄小劇場とも東京の劇団、上演団体の公演が数多くおこなわれ、大阪に東京演劇の最新動向を伝える役割を果たした。
また、隣接した旧近鉄本社ビル(1936年築)も改装されて近鉄劇場別館ビルとなり「近鉄資料室」が地下に設置されたほか、朝日放送の運営により新進アーティストの作品を展示する「ABCギャラリー」を設置した(のち閉鎖)。また、上本町駅ビルとの間の空間は「シアタースクエア」と名付けられた広場となった。
2000年代に入ると、近鉄グループの再建策の中でレジャー部門の抜本的な見直しが行われることになり、近鉄あやめ池遊園地など遊園地も閉鎖された。またOSK日本歌劇団の解散が行われ当劇場も開業以来赤字が続き、施設の老朽化に加え観客の減少も相まって、2004年(平成16年)2月4日に閉鎖となり、大軌小劇場時代から通算して66年の歴史にピリオドを打った。なお、同年には大阪近鉄バファローズも創設から55年の歴史に幕を下ろした。
近鉄劇場閉鎖から10ヵ月後、同年12月には扇町ミュージアムスクエア(大阪ガスが運営)も閉鎖されたことから、大阪における演劇文化の衰退を危惧する声も聞かれた。
再開発計画
編集閉鎖後は飲食店が一部残った状態で、建物の解体や再開発計画は進まなかったが、難波にあった大阪新歌舞伎座(旧・大阪歌舞伎座)が老朽化のため2009年(平成21年)6月30日をもって閉館し、近鉄劇場跡に移転することが2007年(平成19年)4月に決定した。2008年(平成20年)より旧劇場の解体と新ビルの建設が進められ、2010年(平成22年)1月15日、近鉄は再開発ビルの名称を「上本町YUFURA(ユフラ)」に正式決定、近鉄創業100周年となる同年8月26日に、新歌舞伎座とともにグランドオープンした。「YUFURA」の名称は大阪市内在住の女性によるもので、「ゆらりふらり」と気軽に立ち寄れる場所をイメージして名付けられた[6]。