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近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月28日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部外野手として活躍した人物である。岐阜県出身。

来歴・人物

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岐阜明徳尋常高等小学校卒業。岐阜商業(現・岐阜県立岐阜商業高等学校)在学中には、甲子園に6回出場[1]し、優勝1回(1936年夏。ちなみに同校初優勝でもあった)、準優勝2回(1938年夏1939年春)、ベスト4・1回(1938年春)と活躍した。岐阜商時代は遊撃手で、当時のチームメイトに松井栄造加藤三郎加藤春雄森田定雄国枝利通大島信雄等、後に大学野球プロ野球でも活躍した選手が何人もいる[2]

1940年早稲田大学商学部に入学[3]。程なく東京六大学リーグ戦に出場し始め、3年次の1942年にはリーグ戦優勝に貢献した。1943年10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦最後の早慶戦と呼ばれる試合)では3番・左翼手として出場し、10-1の勝利に貢献した。

しかし、試合から5日後の学徒出陣に伴い、戦地に出征。その後、復学する事は適わず、1945年4月28日神風特攻第二正統隊(草薙隊)員として、第二国分基地鹿児島県[4]より特攻として出撃。沖縄近海で戦死した。享年24。出撃直前に姉に宛てた遺書には「姉上様、永い間、随分可愛がって戴いて本当に感謝して居ります。(中略)では、元気で往きます」とあった[5]

没後の2009年には、早稲田大学會津八一記念博物館にて、近藤にまつわる展覧会が開催された[6]。また、東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている[7]

脚注

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参考文献

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  • 『早稲田大学野球部 栄光の軌跡』/ベースボールマガジン社/1983年
  • 『早稲田大学野球部 百年史 上巻』/飛田忠順稲門倶楽部編/2002年
  • 『1943年晩秋 最後の早慶戦』/早稲田大学大学史資料センター著 、慶應義塾福澤研究センター編/教育評論社/2008年
  • 神山圭介著『英霊たちの応援歌:最後の早慶戦』(文藝春秋,2008年)ISBN 4-16-735406-3
  • 笠原和夫、松尾俊治著『最後の早慶戦 : 学徒出陣還らざる球友に捧げる』(ベースボール・マガジン社,2008年)ISBN 978-4-583-10106-4「学徒出陣最後の早慶戦:還らざる英霊に捧げる」(恒文社,1980年)の増訂