踊る三十七年
『踊る三十七年』(おどるさんじゅうななねん[1]、Gold Diggers of 1937)は、1936年のアメリカ合衆国のワーナー・ブラザースによるミュージカル映画。
踊る三十七年 | |
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Gold Diggers of 1937 | |
監督 | ロイド・ベーコン |
脚本 |
ウォレン・ダフ トム・リード(screenplay constructor) |
原作 |
リチャード・メイボーム マイケル・ウォレス ジョージ・ヘイト 『Sweet Mystery of Life』 (1935年の舞台劇) |
製作 |
ジャック・ワーナー ハル・B・ウォリス |
出演者 |
ディック・パウエル ジョーン・ブロンデル グレンダ・ファレル ヴィクター・ムーア |
音楽 |
ハロルド・アーレン(作曲)& エドガー・イップ・ハーバーグ(作詞)、 ハリー・ウォレン(作曲)& アル・ダビン(作詞) |
撮影 | アーサー・エデソン |
編集 | トーマス・リチャーズ |
製作会社 | ワーナー・ブラザース |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開 |
1936年12月26日 1937年3月 |
上映時間 | 101分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
ロイド・ベーコンが監督し、ミュージカル・シーンはバスビー・バークレーが振付および監督した。当時婚姻中であったディック・パウエルとジョーン・ブロンデルが主演し、他にグレンダ・ファレル、ヴィクター・ムーアが出演した。
楽曲はハロルド・アーレン とエドガー・イップ・ハーバーグ、ハリー・ウォレンとアル・ダビンの2組により作詞作曲された。リチャード・メイボーム、マイケル・ウォレス、ジョージ・ヘイトの戯曲で1935年にブロードウェイで短期間上演された『Sweet Mystery of Life』を基にして制作された[2][3]。ウォレン・ダフが脚本を執筆し、トム・リードがその補助をし、「Screenplay constructor」(脚本建設者)として記された。
1923年の失われたサイレント映画『百花笑えば』、1929年の部分的に失われた映画『ブロードウェイ黄金時代』、バークレーの豪華なミュージカル・シーンが話題となった1933年の『ゴールド・ディガース』、1935年の『ゴールド・ディガース36年』に続き、ワーナー・ブラザースの『ゴールド・ディガース』シリーズ5作目となった。その後『夜は巴里で』が制作された。
ストーリー
編集年配の柔和な病気不安症の舞台プロデューサーのJJホバート(ヴィクター・ムーア)はいつも自分がもうすぐ死ぬと思っている。新作上演を控えているが、パートナーのモーティ・ウェザード(オスグッド・パーキンス)とトム・ヒューゴ(チャールズ・D・ブラウン)はその上演資金を株でなくす。コーラスガールのジェネヴィーヴ・ラーキン(グレンダ・ファレル)のアドバイスにより、JJに100万ドルの保険をかけ、JJが亡くなった場合には上演資金が手に入ることになる。ジェネヴィーヴの友人で元コーラスガールのノーマ・ペリー(ジョーン・ブロンデル)は保険会社の営業のロスマー・ピーク(ディック・パウエル)にベタ惚れである。ロスマーは保険契約証書を書く。
ロスマーの上司であるアンディ・キャラハン(ウィリアム・B・デヴィッドソン)はJJの年齢を知り、健康診断の結果が通らないのではないかと危惧するが、結果は良好であり、ロスマーはJJをできるだけ長生きさせて売上から利益を得ようと決心する。一方、モーティとヒューゴはJJが亡くなったら全てを手に入れることができるため最善を尽くす。うまくいかず、モーティとヒューゴはジェネヴィーヴにJJを誘惑するよう頼むが、ジェネヴィーヴは本当にJJのことが好きになってしまう。JJが倒れてショーを開幕できないと知ったロスマーは、上司のキャラハンに会社を守るためにJJが亡くなったら支払われるはずの金額をJJに投資することを提案する。ショーは成功し、ジェネヴィーヴはJJと、ノーマはロスマーと結婚する[4]。
キャスト
編集- ロスマー・ピーク(ロッシ):ディック・パウエル
- ノーマ・ペリー:ジョーン・ブロンデル
- ジェネヴィーヴ・ラーキン(ジェン):グレンダ・ファレル
- JJホバート:ヴィクター・ムーア
- ブープ・オグルソープ:リー・ディクソン
- モーティ・ウェザード:オスグッド・パーキンス
- トム・ヒューゴ:チャールズ・D・ブラウン
- サリー・ラヴァーン:ロザリンド・マーキー
- アイリーン:アイリーン・ウェア
- アンディ・キャラハン:ウィリアム・B・デヴィッドソン
- ドクター・マクダフィ:オリン・ホーランド
- ドクター・ベル:チャールズ・ハルトン
- ドクター・ウォーショフ: ポール・アーヴィング
- ドクター・ヘンリー:ハリー・C・ブラッドリー
- 保険協会会長:ジョセフ・クレハン
- ルシル・ベイリー:スーザン・フレミング
楽曲
編集楽曲はバスビー・バークレーが制作、デザイン、演出、監督した。当初ハロルド・アーレンとエドガー・イップ・ハーバーグが全ての曲を作詞作曲したが、満足しなかったバークレーは過去の作品で組んだことのあるハリー・ウォレンとアル・ダビンのもとに持ち込んだ。ウォレンとダビンによる楽曲「With Plenty of Money and You」(副題「The Gold Diggers' Lullaby」)はヒットした [5]。
- Speaking of the Weather - ハロルド・アーレン(作曲)、エドガー・イップ・ハーバーグ(作詞)
- Let's Put Our Heads Together - ハロルド・アーレン(作曲)、エドガー・イップ・ハーバーグ(作詞)
- With Plenty of Money and You (The Gold Diggers' Lullaby) - ハリー・ウォレン(作曲)、アル・ダビン(作詞)
- Life Insurance Song - ハロルド・アーレン(作曲)、エドガー・イップ・ハーバーグ(作詞)
- All's Fair in Love and War - ハリー・ウォレン(作曲)、アル・ダビン(作詞) – 104名の白い軍服を着た女性が隊列を組んで幾何学模様を形作る[5]。
- Hush Mah Mouth - ハロルド・アーレン(作曲)、エドガー・イップ・ハーバーグ(作詞) (最終的にカットされた)
製作
編集バスビー・バークレーは『ゴールド・ディガース36年』を単独で監督したが、本作の監督は『四十二番街』でコラボレートしたワーナー・ブラザースのコメディ映画のベテラン監督ロイド・ベーコンが監督した。
JJ役のヴィクター・ムーアはブロードウェイで『エニシング・ゴーズ』初演に主演していたため、『Gift of Gab』以来2年ぶりの映画出演となった[6]。
1936年7月中旬からカリフォルニア州バーバンクにあるワーナー・ブラザースのスタジオで撮影された。12月26日にプレミア公開され、2日後に一般公開された[7]。
受賞歴
編集1937年、バスビー・バークレーは楽曲「All's Fair in Love and War」でアカデミー賞ダンス演出賞にノミネートされた[8]。ハーミズ・パンが『踊る騎士』の「Funhouse sequence」で受賞した。
派生作品
編集1936年12月21日、「ラックス・ラジオ・シアター」で1時間のラジオ版「ゴールド・ディガース」が放送された[9]。番組冒頭で司会のセシル・B・デミルはこの作品について、1933年の『ゴールド・ディガース』のあらすじと『踊る三十七年』の音楽を合わせたものと紹介した。『踊る三十七年』と同様にディック・パウエルとジョーン・ブロンデルが主演した。
出典
編集- ^ 踊る三十七年 - KINENOTE
- ^ Richard Maibaum went on to write such James Bond films as From Russia with Love (1963) and Goldfinger (1964).
- ^ IBDB Sweet Mystery of Life
- ^ IMDb Plot Summary, TCM Full Synopsis
- ^ a b FMiller, rank (ndg) "Gold Diggers of 1937 (1937)" TCM.com
- ^ IBDB Victor Moore
- ^ IMDb Release Dates
- ^ IMDb Awards
- ^ “Radio Day by Day”. The Reading Eagle: p. 20. (1936年12月21日) 2021年6月8日閲覧。
参考文献
編集- Green, Stanley (1999) Hollywood Musicals Year by Year (2nd ed.). Hal Leonard Corporation. p. 64 ISBN 0-634-00765-3