緒方耕一
緒方 耕一(おがた こういち、1968年〈昭和43年〉9月2日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)・コーチ、解説者・評論家。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市 |
生年月日 | 1968年9月2日(56歳) |
身長 体重 |
175 cm 68 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手、二塁手 |
プロ入り | 1986年 ドラフト6位 |
初出場 | 1989年5月13日 |
最終出場 | 1997年8月10日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集熊本県立熊本工業高等学校時代は「1番・遊撃手」を務め、3年時には甲子園大会へ春夏連続で出場。チームメイトにエースの永野吉成、二番手投手の木村重太郎、外野手の杉本拓也がいた。
1986年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。入団後スイッチヒッターに転向。
プロ入り後
編集1988年に二軍でイースタン・リーグの盗塁王を獲得。また、同リーグタイ記録となる1試合6盗塁を記録している。なお、緒方の応援歌がこの時までに作成されたが、その応援歌は初代リリーフ・マーチの歌詞を変更して流用したものであった[1]。
1989年に一軍公式戦初出場を果たし、後の正遊撃手となる川相昌弘とのポジション争いには敗れるが、内外野を兼任して出場機会を獲得。ランニング本塁打で一軍初本塁打を記録するなど、打席数は少ないながら打率.308、13盗塁の成績を残した。同年に台頭した井上真二が高校の2年先輩であったため「熊工コンビ」としてメディアに取り上げられ、とりわけ若い女性の人気を集めた。また、同年のジュニアオールスターゲームへ出場している。
1990年には腰痛で長期離脱した篠塚利夫の穴を埋める活躍で初の規定打席到達を果たすと33盗塁で野村謙二郎と並び初のセ・リーグ盗塁王を獲得したが、同年の日本シリーズで一塁に駆けこんだ際にアキレス腱を故障。
1991年は、上記のアキレス腱の怪我の影響が響いて出場機会を減らし、盗塁数も激減した。
1992年は終盤、故障でまともに出場できない状況であったが、一軍監督の藤田元司はビジターの試合で2番打者で先発させ、1回の表に打席を完了すると回の裏から他の選手を守備に就かせて(出塁時は代走が送られた)打席数を稼ぎ、規定打席に到達させた。
1993年には怪我から復活し、24盗塁で石井琢朗と並び2度目の盗塁王を獲得。NPBにおける盗塁王としては、2リーグ制開始以降、最も少ない記録だった。また、緒方以降、巨人からは2011年の藤村大介まで18年間盗塁王が誕生しなかった。さらに、巨人で複数回盗塁王を獲得したのは2023年シーズン終了時点で緒方が最後である。
1994年は守備・走塁のスペシャリストとして活躍し、のちに伝説の一戦と呼ばれた「10.8決戦」にもダン・グラッデンに代わって守備で途中出場した。同年の日本シリーズではファインプレーを見せた他、第5戦で勝利を決定づける満塁本塁打を放ち、長嶋茂雄監督に「ミラクルボーイ」と言わしめた。右打席はパンチ力があり、この日本シリーズを含めて17本の柵越え本塁打(ほか1本のランニング本塁打)を放っているが、この17本中11本は対戦数の少ない左投手相手に右打席で放ったものである。10.8決戦の前日の10月7日に入籍した。
翌年以降は怪我や不振に苦しみ1997年に代走・守備固め要員ながら一軍で復調したが、1998年一軍出場無しに終わり30歳で現役を引退した。
引退後
編集1999年より、TBS[2]とプロ野球解説者契約を結ぶ[3]。主に「マイクを持った盗塁王」のキャッチフレーズ[4]でTBSラジオナイター中継のベンチリポーターを務めた(一時期、ナイター中継の事前番組・事後番組のパーソナリティも担当)。また、この頃には専門誌『週刊ベースボール』で連載しているイ・リーグのリポート記事「イースタン・チェック」も担当していた[5]。
2002年に巨人二軍外野守備・走塁コーチへ就任、鈴木尚広などに自己のノウハウを伝授。
2003年に退団。
2004年から2005年まで再びTBSラジオでベンチリポーターを務めた。
2006年に巨人二軍外野守備・走塁コーチへ復帰した。
2008年から一軍外野守備・走塁コーチに就任。
2009年には、第2回WBCの日本代表外野守備・走塁コーチに就任。本大会では一塁ベースコーチとして大会連覇に貢献した。
2010年10月24日に翌年の契約を更新しないことが発表され[6]、巨人を退団。同年の日本シリーズからTBSラジオのプロ野球中継解説者に復帰、以前とは異なり放送席での解説を担当することになった(2011年に正式復帰)[7]。
2011年以降は、日刊スポーツの野球評論家も務める[8]。また、日テレG+のイ・リーグ巨人二軍主管試合中継でも解説を担当[9]。
2012年からはTBSラジオに加え、テレビ東京「Neo sports」[10][11]、更に日テレG+では巨人一軍戦中継の解説も担当[12]。10月10日に、野球日本代表の外野守備・走塁コーチに就任したことが発表された[13]。11月13日に、背番号が「73」となったことが発表された[14]。
2018年から、北海道日本ハムファイターズの一軍野手総合コーチに就任[15]。攻撃時は三塁ベースコーチを担当した。
2019年は一軍守備チーフ兼内野守備走塁コーチを務め、攻撃時は一塁ベースコーチを担当した。同年限りで退団。
2020年シーズンからは東京ヤクルトスワローズの二軍外野守備走塁コーチに就任した。
2021年シーズンは二軍内野守備走塁コーチに配置転換された。
2022年シーズンは再び二軍外野守備走塁コーチを務めた。2022年10月31日、同年限りで退団することが発表された[16]。
2023年からは、5年ぶりに日本テレビ(日テレジータス)とGAORA(後者は日本ハム戦のみ。いずれもファーム中継のみ)とTBSテレビ[17](TBSチャンネル・BS-TBSのDeNA戦[18]や広島対巨人戦[19]。こちらは一軍戦を担当)の野球解説者・日刊スポーツの野球評論家を務める[20]。 また、6月にはTwitter、Instagramを開設する。
人物
編集愛称は「熊本のプリンス」「マイクを持った盗塁王」など。非常に誠実な人柄で知られ、巨人時代は先輩後輩を問わず多くの選手・関係者に慕われた。2度の盗塁王に輝き、1989年・1994年と2度の日本一に大きく貢献した功労者でありながら、「他の選手に迷惑がかかるから」という理由で引退試合を断っている[21]。元同僚で共に外野を守った松井秀喜とは親交が深く、94年の日本一パレードでも隣同士だった[22]。引退後も交友関係は続き、松井がタンパベイ・レイズに移籍した直後に独占インタビューを許可された[23]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 巨人 | 76 | 247 | 221 | 31 | 68 | 8 | 2 | 3 | 89 | 22 | 13 | 6 | 12 | 1 | 12 | 0 | 1 | 30 | 1 | .308 | .345 | .403 | .748 |
1990 | 119 | 448 | 401 | 70 | 104 | 20 | 6 | 3 | 145 | 27 | 33 | 12 | 12 | 2 | 28 | 2 | 4 | 72 | 2 | .259 | .313 | .362 | .675 | |
1991 | 80 | 269 | 242 | 33 | 67 | 10 | 5 | 2 | 93 | 22 | 4 | 6 | 3 | 0 | 23 | 0 | 1 | 39 | 0 | .277 | .342 | .384 | .726 | |
1992 | 98 | 411 | 357 | 47 | 102 | 16 | 1 | 6 | 138 | 30 | 7 | 9 | 6 | 0 | 46 | 1 | 2 | 42 | 7 | .286 | .370 | .387 | .757 | |
1993 | 108 | 372 | 338 | 40 | 79 | 11 | 2 | 2 | 100 | 17 | 24 | 5 | 8 | 1 | 25 | 0 | 0 | 44 | 3 | .234 | .286 | .296 | .582 | |
1994 | 113 | 195 | 174 | 22 | 40 | 4 | 4 | 0 | 52 | 7 | 9 | 2 | 5 | 2 | 14 | 3 | 0 | 26 | 0 | .230 | .284 | .299 | .583 | |
1995 | 17 | 35 | 32 | 6 | 8 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 2 | .250 | .314 | .281 | .595 | |
1996 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1997 | 73 | 98 | 86 | 15 | 18 | 3 | 0 | 1 | 24 | 4 | 5 | 1 | 3 | 0 | 8 | 0 | 1 | 10 | 0 | .209 | .284 | .279 | .563 | |
通算:9年 | 685 | 2075 | 1851 | 265 | 486 | 73 | 20 | 17 | 650 | 130 | 96 | 41 | 49 | 6 | 159 | 6 | 9 | 268 | 15 | .263 | .323 | .351 | .674 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
編集- 盗塁王:2回(1990年、1993年)
記録
編集- 初出場・初先発出場:1989年5月13日、阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場) 2番・二塁手で出場
- 初安打:同上、マット・キーオから
- 初盗塁:1989年5月24日、ヤクルトスワローズ6回戦(東京ドーム)
- 初打点:1989年6月2日、阪神タイガース9回戦(東京ドーム) 6回裏に野田浩司から犠飛
- 初本塁打:1989年8月15日、横浜大洋ホエールズ17回戦(東京ドーム) 8回裏に大門和彦からランニング2ラン
背番号
編集- 44(1987年 - 1998年)
- 73(2002年 - 2003年、2006年 - 2010年、2013年、2018年 - 2019年)
- 80(2020年 - 2022年 )
関連情報
編集著書
編集- 『プロが教える守備・走塁入門』(松本匡史と共著。2002年3月。大泉書店)ISBN 9784278046724
- 『緒方耕一 勝利に導くスチール&ラン!』(2012年6月。ベースボール・マガジン社)ISBN 9784583104577
記事
編集- 緒方耕一, 「インタビュー・私の仕事訓/人生訓--野球リポーター 緒方耕一さん」『近代中小企業』 35(12), 60-62, 2000-10, NAID 40000786551
出演番組
編集- プロ野球中継
- エキサイトベースボール(TBSラジオ) ※1999年(当時『TBSエキサイトナイター』) - 2001年、2004年 - 2005年(以上『ザ・ベースボール』)にはベンチリポーターとして出演(初期の番組広告では、解説者として明記)。『ザ・ベースボール』に改題した2000年は「ジャイアンツ・リポーター」の肩書(番組広告より)で出演した。
- 日本テレビ制作巨人主催公式戦中継
- Dramatic Game 1844(日テレG+・日本テレビで放送の一軍戦中継。2012年より日テレG+で放送分の解説を担当[12]。2013年より日本テレビ系列地上波でも放送される中継に出演。3月29日の対広島開幕戦中継では副音声ゲスト出演[24]。その後、5月28日の対ソフトバンク交流戦中継に解説として出演[25]。日本テレビの番組公式サイト内解説者リストには、明記されず)
- ジャイアンツイースタンリーグ(日テレG+で放送の二軍戦中継。2011年より解説を担当[9])
- テレビ東京制作中継(テレビ東京・TXN系列地上波局・BSジャパンほか。2012年より解説)
- 侍プロ野球(TBSチャンネル1。2013年7月12日、中日対巨人戦で初解説[26][27])
- 緒方耕一の痛快!スポーツ天国(TBSラジオ。1999年4月5日 - 9月27日、月曜18:00 - 19:00放送)[28]
- スポーツBOMBER!(TBSラジオ)[28] ※2000年10月 - 2001年3月は新タ悦男と火曜を、2001年10月 - 2001年12月は中澤志月と金曜を、2004年11月 - 2005年3月は佐藤文康と火曜をそれぞれ担当。
- エクスプレス(TBSテレビ。月・火曜スポーツコーナー担当)
- プロ野球ネットワーク/プロ野球東西南北(TBSラジオ)
- キャッチ・ザ・ベースボール(TBSラジオ。『ザ・ベースボール』の直前に放送されたスポーツ情報番組。2001年、2004年 - 2005年に火 - 金曜担当)
- 走れ!緒方。(TBSラジオ。2005年10月 - 2006年3月) ※『初田啓介の激アツ!ビバ!プロ野球!』→『初田啓介の激アツ!エキサイトベースボール!』(スポーツワイド番組)に内包されていたコーナー。火・水曜18:45頃より放送[29]。
- neo sports(テレビ東京・TXN系列ほか。2012年1月15日[11] - )
- BSニュース 日経プラス10(BSジャパン。2013年4月1日 -。スポーツキャスター)
脚注
編集- ^ 巨人では選手別応援歌の流用自体が極めて少ない事例である。なお、リリーフ・マーチは流用時に初代とは全く異なる2代目を作成しており、2024年時点においても使用されている。
- ^ 2001年9月まで、ラテ兼営であったが、10月にラジオを子会社として分離(「TBSラジオ&コミュニケーションズ」への放送免許承継)、2009年4月には持株会社化(東京放送ホールディングスへの社名変更)に伴いテレビも子会社として分離(「TBSテレビ」への放送免許承継。TBSの略称もTBSテレビに継承)された。
- ^ 『TBS50年史』資料編P234掲載のスポーツ番組解説者リストを参照。1999年から2001年現在のプロ野球解説者として明記。
- ^ 『週刊ベースボール』2000年2月21日号「2000年プロ野球全選手写真名鑑」内「主要評論家・解説者名鑑」(P152-153)に掲載された緒方のプロフィール(P152。TBS解説者として記載)でも、同キャッチフレーズが記述されている。
- ^ 『週刊ベースボール』2000年2月21日号「2000年プロ野球全選手写真名鑑」内「主要評論家・解説者名鑑」に掲載された緒方のプロフィールでも、"本誌「イースタン・チェック」でもおなじみ。"と記述。
- ^ 伊原ヘッドコーチがフロント入り、篠塚、西山、緒方3コーチが退団へ
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2011』P273掲載のプロフィールでは、「以前リポーターを務めたが、解説は初めて。」との記述あり。
- ^ 質問募集中です/ニッカンゼミナール 日刊スポーツ 2011年6月27日付
- ^ a b 参考:2011年8月当時の日テレG+公式サイト内イースタンリーグ中継日程表(リンク先は、インターネットアーカイブ2011年8月14日付保存キャッシュ)より、10日・28日の対ロッテ戦中継の解説者として明記。
- ^ テレビ東京の新野球解説者 緒方耕一氏に決定 (PDF) テレビ東京プレスリリース 2012年1月13日配信・同日閲覧
- ^ a b 緒方耕一氏がテレビ東京「neo sports」でプロ野球を分析! - 『エンタ魂』2012年1月13日
- ^ a b 参考:2012年4月当時の日テレG+公式サイト内中継日程表(リンク先は、インターネットアーカイブ2012年4月14日付保存キャッシュ)より、25日の対DeNA戦の解説者として明記。
- ^ 侍ジャパン 監督、コーチ NPB公式サイト (2012年10月10日) 2015年4月15日閲覧
- ^ 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧
- ^ コーチ就任のお知らせ北海道日本ハムファイターズ公式サイト 2017年10月31日掲載
- ^ “コーチの退団について”. 東京ヤクルトスワローズ. 2022年10月31日閲覧。
- ^ TBSラジオは現場に復帰した2018年より、野球中継の自社での放送から撤退し、DeNA主催試合の委託制作のみ行っていたが、こちらも2022年を最後に撤退し、ビジター球団の地元系列局が制作する中継の技術協力のみ継続し、委託分はTBSラジオを窓口としてRFラジオ日本・ニッポン放送・文化放送のいずれかに再委託している。
- ^ DeNA球団との共同制作名義。
- ^ 中国放送(RCC)制作の映像をベースに、実況とスコアテロップをTBSテレビで差し替えて放送する形式で放送。
- ^ 【緒方耕一】巨人秋広優人、打ち損じ打球にもほれぼれする“質の良さ”実戦との差どう埋めるか 日刊スポーツ 2023年2月4日付
- ^ 1998年9月27日 スポーツ報知 2面 など
- ^ 1994年10月31日 スポーツ報知 1 - 3面 など
- ^ “ネオスポーツ 2012年6月24日放送回”. gooテレビ (2012年6月24日). 2016年6月22日閲覧。
- ^ プロ野球開幕戦を生中継!巨人の先発は宮国、解説は山本浩二、副音声に亀梨和也 - 『テレビドガッチ』2013年3月29日11時1分最終更新(予備リンク:『アメーバニュース』への提供・転載 - 同日11時3分付配信)
- ^ 外部リンク『オリコン芸能人事典』で配信された緒方のプロフィールより、ヒストリー(活動年表)のページを参照(2013年5月の情報として掲載)。
- ^ 参考:
- 侍プロ野球 2013「中日×巨人」(2013年7月12・14・28日放送予定分)の番組情報ページ - TBSチャンネル公式サイトより。12日放送分の解説として緒方の名が明記。
- 同日付『毎日新聞』ラテ欄掲載の「TBSチャンネル1」番組表。プロ野球中日対巨人戦中継の情報に解説として緒方の名が明記。
- ^ 当日地上波ではCBCテレビが中京ローカルで、BS放送ではNHK BS1が放送した。この場合はCBCテレビからの同時ネットが多いが、諸事情によりTBSによる実況差し替えとなった。
- ^ a b 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』のデータベースより、「ラジオ番組」→「出演者別リスト」→「お」→「緒方耕一」節を参照。
- ^ 初田啓介の激アツ!ビバ!プロ野球! ホームページ(インターネットアーカイブ2005年12月31日付保存キャッシュ)より、タイムテーブルを参照。
参考資料
編集- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館サーチの書誌情報
- 資料編
- DVD-ROM『ハイブリッド検索編』
- 各種外部リンク
関連項目
編集外部リンク
編集- 緒方耕一official web site
- 緒方耕一Twitter
- 緒方耕一Instagram
- 個人年度別成績 緒方耕一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 『オリコン芸能人事典』のプロフィール(トップページ)
- (ヒストリー) ※番組出演歴が明記。