第28回東京優駿競走
第28回東京優駿競走(だい28かいとうきょうゆうしゅんきょうそう)は、1961年5月28日に東京競馬場で施行された競馬競走である。保田隆芳騎乗のハクシヨウが「髪の毛の差」[1]とも言われるハナ差で人気薄メジロオーを抑えて優勝した。
レース施行時の状況
編集1961年のダービー戦線は有力馬の故障が続き、朝日杯勝ち馬ハクシヨウが繋靭帯炎を発症して一時離脱し、さらに皐月賞馬シンツバメおよびNHK杯勝ち馬チトセミノルも故障で離脱していた[2]。迎えた東京優駿では、復帰戦の皐月賞を1番人気11着、次ぐNHK杯を1番人気4着としたハクシヨウが引き続き1番人気に支持されたものの、混戦模様で「本命なきダービー」と言われた[2][3]。オークス馬チトセホープが連闘で参戦し、クリフジ以来18年振りとなる牝馬によるダービー制覇がなるかと注目されたほか、アズマテンラン、上昇馬ケンロクオー、スプリングステークス勝ち馬ユキロウなどが人気を集めた[2]。
1着賞金はさらに200万円増額され、700万円となった[2]。また、1960年7月の福島競馬から発馬機に関してオーストラリア流のバリヤー式に替わってウッド式が取り入れられていた結果、ゲートが使用された最初の日本ダービーとなった[2][3]。
出走馬と枠順
編集枠番[4] | 馬番[4] | 人気[4] | 競走馬名[4] | 性齢[4] | 騎手[4][5] | 調教師[4][5] |
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1 | 1 | 11 | シンオンワード | 牡3 | 田村駿仁 | 二本柳俊夫 |
2 | 27 | トウレイホープ | 牡3 | 内田守 | 見上恒芳 | |
3 | 4 | ケンロクオー | 牡3 | 古山良司 | 藤本晋 | |
4 | 15 | カネアサヒ | 牡3 | 新関力 | 杉浦照 | |
5 | 19 | ハルノオー | 牡3 | 小野定夫 | 橋本輝雄 | |
2 | 6 | 21 | トリシン | 牡3 | 丸目敏栄 | 荒木静雄 |
7 | 8 | ケンカツプ | 牡3 | 藤本勝彦 | 藤本晋 | |
8 | 7 | ヒデイサミ | 牡3 | 池之上豊 | 松永光雄 | |
9 | 12 | チトセミドリ | 牡3 | 松永高徳 | 伊藤正四郎 | |
10 | 20 | オンワードスピード | 牡3 | 坂本栄三郎 | 二本柳俊夫 | |
3 | 11 | 10 | フジフレーム | 牡3 | 伊藤竹男 | 久保田金造 |
12 | 26 | ヤマミノル | 牡3 | 浅見国一 | 藤本晋 | |
13 | 1 | ハクシヨウ | 牡3 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | |
14 | 3 | アズマテンラン | 牡3 | 高橋英夫 | 二本柳俊夫 | |
15 | 17 | アサカブト | 牡3 | 増沢末夫 | 佐々木猛 | |
4 | 16 | 13 | イカホ | 牡3 | 加賀武見 | 奥平作太郎 |
17 | 5 | ユキロウ | 牡3 | 渡辺正人 | 松山吉三郎 | |
18 | 25 | ヨドノハル | 牡3 | 野平好男 | 伊藤正四郎 | |
19 | 30 | シユマーレンゼー | 牡3 | 森安弘明 | 見上恒芳 | |
20 | 9 | グランドタイム | 牡3 | 境勝太郎 | 中野吉太郎 | |
5 | 21 | 32 | マツノハナ | 牡3 | 石毛善衛 | 田中朋次郎 |
22 | 24 | キンテキ | 牡3 | 森安重勝 | 古賀嘉蔵 | |
23 | 28 | スズカリユウ | 牡3 | 中尾銑治 | 橋本正晴 | |
24 | 2 | チトセホープ | 牝3 | 伊藤修司 | 伊藤正四郎 | |
25 | 18 | ライジングスター | 牡3 | 山岡忞 | 中村広 | |
26 | 16 | キヨクコウ | 牡3 | 梶与四松 | 二本柳俊夫 | |
6 | 27 | 6 | リユウライト | 牡3 | 宮本悳 | 橋本正晴 |
28 | 22 | カズサ | 牡3 | 高松三太 | 田中朋次郎 | |
29 | 31 | スズキオー | 牡3 | 飯塚好次 | 松山吉三郎 | |
30 | 29 | ゴールデンオー | 牡3 | 宇賀神英治 | 浅野武志 | |
31 | 14 | ハードウイン | 牡3 | 野平祐二 | 松山吉三郎 | |
32 | 23 | メジロオー | 牡3 | 八木沢勝美 | 大久保末吉 |
競走結果
編集レース展開
編集発馬からトリシンが逃げて先頭を維持[1]。1番人気のハクシヨウはゲートでの膠着から出遅れると道中で中団の位置につき、後方で外を回るチトセホープをマークする形となった[1]。ゴール前300メートルの地点でチトセホープが抜け出たが、追い込んだハクシヨウは前100mでチトセホープを交わして先頭に立った[1]。残り100メートルに差し掛かるとハクシヨウに目掛けて23番人気メジロオーが大外から急追、最後は内で耐えるハクシヨウ・外で追うメジロオーが馬体を併せてゴールに入線した[1]。前の2頭から1馬身離れた3着にチトセホープが入った[1]。
叩き合いを演じたハクシヨウの保田隆芳、メジロオーの八木沢勝美がともに自身の馬が勝ったと思うほどの接戦で、長い写真判定の結果、ハクシヨウの勝利が決定された[3][1]。メジロオーはハナ差の2着となり、髪の毛1本とまで言われた小さい着差で日本ダービーを逃した[3]。勝ち時計の2分30秒2は、前年のコダマの勝ち時計を0.5秒上回るレコードタイムであった[1]。
惜敗したメジロオーの調教師大久保末吉はこの判定に納得することなく後々まで「絶対に勝っていた」と主張し、馬主の北野豊吉も「負けた気がしない」と語っている[2]。
競走着順
編集着順[4] | 競走馬名[4] | タイム[4] | 着差[4] |
---|---|---|---|
1 | ハクシヨウ | 2:30.2 | |
2 | メジロオー | 2:30.2 | ハナ |
3 | チトセホープ | 2:30.4 | 1 |
4 | ケンカップ | 2:30.6 | 1.1/2 |
5 | ユキロウ | 2:30.7 | 3/4 |
6 | カネアサヒ | 2:30.9 | 1 |
7 | キンテキ | 2:31.0 | 3/4 |
8 | リュウライト | 2:31.3 | 2 |
9 | アサカブト | 2:31.4 | クビ |
10 | グランドタイム | 2:31.7 | 2 |
11 | キョクコウ | 2:31.8 | 1/2 |
12 | ライジングスター | 2:32.1 | 2 |
13 | チトセミドリ | 2:32.2 | クビ |
14 | イカホ | 2:32.2 | アタマ |
15 | ケンロクオー | 2:32.3 | 1/2 |
16 | マツノハナ | 2:32.4 | 1/2 |
17 | スズカリュウ | 2:32.7 | 2 |
18 | アズマテンラン | 2:32.8 | 1/2 |
19 | ハードウイン | 2:32.9 | 3/4 |
20 | ヒデイサミ | 2:32.9 | アタマ |
21 | スズキオー | 2:33.1 | 1.1/2 |
22 | フジフレーム | 2:33.2 | クビ |
23 | オンワードスピード | 2:33.3 | 3/4 |
24 | ハルノオー | 2:33.4 | クビ |
25 | トウレイホープ | 2:33.4 | アタマ |
26 | ゴールデンオー | 2:33.5 | アタマ |
27 | シュマーレンゼー | 2:33.5 | アタマ |
28 | トリシン | 2:33.9 | 2 |
29 | カズサ | 2:34.8 | 6 |
30 | ヤマミノル | 2:35.0 | 1 |
31 | ヨドノハル | 2:36.1 | 7 |
32 | シンオンワード | 2:36.3 | 1.1/4 |
出典
編集- ^ a b c d e f g h 『日本ダービー50年史』中央競馬ピーアール・センター、1983年11月、102頁。
- ^ a b c d e f 『日本ダービー50年史』中央競馬ピーアール・センター、1983年11月、103頁。
- ^ a b c d 『Gallop臨時増刊 日本ダービー70年史』産業経済新聞社、2004年5月12日、50頁。
- ^ a b c d e f g h i j k “1961年3回東京4日( 5月 28日) 9R”. www.jra.go.jp. 2022年5月24日閲覧。
- ^ a b 『日本ダービー50年史』中央競馬ピーアール・センター、1983年11月、186頁。