第1回フィルムフェア賞
第1回フィルムフェア賞(1st Filmfare Awards)は、インドの映画賞。『フィルムフェア』が主催し、1953年のヒンディー語映画を対象としており、1954年に開催された。この年のみ、正式名称は前年に死去した『ザ・タイムズ・オブ・インディア』の映画評論家クレア・メンドンサにちなみ、「クレア賞(Clare Awards)」となっている[1]。
第1回フィルムフェア賞 | |
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受賞対象 | 1953年のヒンディー語映画 |
開催日 | 1954年3月21日[1] |
会場 | ボンベイ州ボンベイ、メトロ・シネマ |
国 | インド |
主催 | 『フィルムフェア』 |
司会 | デーヴィド |
公式サイト | Filmfare |
授賞式
編集授賞式はボンベイのメトロ・シネマで開催され、5部門の受賞作品・受賞者が発表された[1]。主賓として駐印アメリカ合衆国大使ジョージ・V・アレンが招待され、デーヴィドが司会を務め、国歌斉唱はナリーニ・ジェイワントが務めている。授賞式では複数の俳優による歌唱・舞踏パフォーマンスやタラット・マフムード、ギータ・ダット、モハメド・ラフィの演奏が披露され、第二部の演目ではヴィジャヤンティマーラー、スーリヤクマーリーによる古典舞踊が披露された。演目の最後にはカミニ・コウシャルと彼女の劇団による民族舞踊「Lure of Rajasthan」が披露された[2]。
パフォーマンスの終了後、デーヴィドによって受賞者の発表が行われ、投票は抽選で選ばれた『フィルムフェア』の購読者によって行われた[3]。作品賞には『2エーカーの土地』が選ばれ、受賞トロフィーはジョージ・V・アレンからハイデラバード在住の『フィルムフェア』購読者サーイジュディーンに渡され、彼からビマル・ロイに授与された。主演女優賞はミーナー・クマーリー、主演男優賞はディリープ・クマールが受賞した[2]。音楽監督賞にはナウシャドが選ばれた[4]。監督賞にはビマル・ロイが選ばれ、ボンベイ在住の『フィルムフェア』購読者サニー・コルディエロから彼に授与された[2]。ビマル・ロイとディリープ・クマールは、それぞれ監督賞と主演男優賞の歴代最多受賞記録保持者(9回、8回)であり、現在でも破られていない。また、ミーナー・クマーリーは第26回フィルムフェア賞でヌータンに破られるまで、主演女優賞の歴代最多受賞記録(4回)を13年間保持した[4]。受賞発表会場のメトロ・シネマに大勢の映画ファンが押しかけたことから受賞後の祝賀パーティー会場は公表されず、極秘裏にウィリンドン・ジムカーナ・クラブで祝賀パーティーが行われ、会場には100人のゲストが招待された[2]。
授賞式にはハリウッド俳優のグレゴリー・ペックが主賓として招待されていたが、コロンボからの飛行機に遅れが生じたため出席できなかった。彼は到着が遅れたものの、授賞式後の祝賀パーティーには出席している[2][5][6]。
受賞結果
編集作品賞 | |
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監督賞 | 音楽監督賞 |
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主演男優賞 | 主演女優賞 |
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出典
編集- ^ a b c “Tollywood's tryst with Black Lady” (9 March 2014). 2014年4月28日閲覧。
- ^ a b c d e Brigadier Samir Bhattacharya (19 December 2013). NOTHING BUT!: Book Three: What Price Freedom. Partridge Publishing. pp. 214–215. ISBN 978-1-4828-1625-9
- ^ Aswin Punathambekar; Anandam P. Kavoori; Rachel Dwer (2008-08-01). Global Bollywood. NYU Press. pp. 243–244. ISBN 978-0-8147-2944-1
- ^ a b “The Winners - 1953”. Official Listings, Filmfare Awards, Indiatimes. 9 March 2004時点のオリジナルよりアーカイブ。8 May 2013閲覧。
- ^ “'I behaved like Gregory Peck to impress Suraiya'”. The Times of India (2003年6月14日). 2012年9月30日閲覧。
- ^ liveindia.com. “Filmfare Awards Facts”. Liveindia.com. 2012年9月30日閲覧。