Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

立松和平

小説家 (1947-2010)

立松 和平(たてまつ わへい、1947年12月15日 - 2010年2月8日)は、日本小説家である。日本ペンクラブ会員。本名:横松 和夫(よこまつ かずお)。筆名は本名の「横松」のもじりで「立松」にした。

立松 和平
(たてまつ わへい)
ペンネーム 立松 和平
(たてまつ わへい)
誕生 横松 和夫
(よこまつ かずお)
1947年12月15日
日本の旗 日本栃木県宇都宮市
死没 (2010-02-08) 2010年2月8日(62歳没)
日本の旗 日本東京都
職業 小説家作家
国籍 日本の旗 日本
教育 学士
最終学歴 早稲田大学政治経済学部
活動期間 1978年 - 2010年
ジャンル 小説エッセイ
代表作遠雷』(1980年)
『蜜月』(1982年)
『卵洗い』(1992年)
『毒 - 風聞・田中正造』(1997年)
『道元禅師』(2007年)
主な受賞歴 早稲田文学新人賞(1970年)
野間文芸新人賞(1980年)
坪田譲治文学賞(1993年)
毎日出版文化賞(1997年)
泉鏡花文学賞(2007年)
親鸞賞(2008年)
デビュー作 『途方にくれて』(1978年)
配偶者 横松 美千絵
子供 林心平(長男)
山中桃子(長女)
山中聡(娘婿)
公式サイト

関連ページ

http://toyou.zagg.info
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

早大政経学部卒。在学中から国内外を放浪。肉体労働などを経て、郷里の市役所に勤めながら作家を志した。

都市近郊の農村を描く『遠雷』(1980年)で野間文芸新人賞受賞。ほかに『ふたつの太陽』(1986年)、『沈黙都市』(1993年)など。

来歴

編集

栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部へ進学。

1966年大学入学時は学生運動で騒然としていた。早稲田キャンパス新聞会に入会するが政治的対立のため、除名。文章表現研究会に入会し、現代文学に親しむ。また日本各地や沖縄、韓国、東南アジアなどを流浪する。また、大学にもどるとデモに参加していた。

那覇のナイトクラブでバイトした経験を処女作「途方にくれて」として執筆し、雑誌『早稲田文学』に投稿。当時、「早稲田文学」の編集長だった有馬頼義が主宰する若手作家のサロン「石の会」に参加し三浦哲郎高井有一後藤明生色川武大らと知り合う。立松が「小説現代」新人賞に応募して最終選考に残った際、受賞はならなかったが有馬が強く推してくれ、編集者の大村彦次郎に連れられて有馬宅を訪ね、『早稲田文学』に投稿するよう言われたもので、立松は有馬の秘書のようなことをしていた[1]

1970年日本放送協会を落ちたのち、集英社の内定を得て同社の研修を受けていたが『早稲田文学』に「途方にくれて」が掲載されたため就職をやめて留年し、早稲田文学で有馬の手伝いなどをしながら小説を書いた[2]。同年、「自転車」で第1回早稲田文学新人賞を受賞する[2]。翌1971年、早稲田文学の編集室でアルバイト事務員をしていた美千絵と結婚[2]。物書き志望のような人とは付き合わないようにと親から言われていた美千絵とは駆け落ち同然で一緒になった[2]。これ以降、郷里で市役所勤めをするまで、土木作業員、運転手、魚市場の荷役、病院の看護助手など、職を転々する流浪の生活が2年間続く[2]

この間、伝説的な新宿の喫茶店「風月堂」で中上健次と出会う。1972年には妊娠した妻を実家に帰し、3か月のインド旅行に出かける。同年、テレビ・ディレクターだった田原総一朗が、1969年に企画した山下洋輔がバリケードの中でピアノを演奏したイベントを「今も時だ」として小説化。新潮新人賞候補となり、商業誌デビュー。1973年、経済的理由から帰郷し宇都宮市役所に就職。栃木を題材にした小説を書き続ける。1979年退職し、文筆活動に専念。同年に発表した「閉じる家」「村雨」が、芥川賞候補となる。1980年、『遠雷』で野間文芸新人賞を受賞。1981年にはATGにより『遠雷』が映画化される。1984年、宇都宮の家にある本を全部売り払い東京に移住。取材でレバノンを訪れる。福島泰樹に薦められて、ボクシングを始める。ボクシング体験は著書『ボクシングは人生の御飯です』にまとめている。また映画『蜜月』(1984年)では脚本を担当。1985年には、香港-北京ラリーにナビゲーターとして参加。『地上の翼 香港-北京ラリー優勝記』を執筆。1989年12月から1990年1月には、写真家小川義文がチーム監督をつとめたチームで、パリ・ダカールラリーに1号車ナビゲーターとして出場。『パリ・ダカ 砂の水平線(本橋成一写真)』を執筆。1990年大会はリタイアしたものの翌年1991年パリダカールラリーで88位完走を果たす。1986年からテレビ番組『ニュースステーション』のコーナー「こころと感動の旅」に出演し、その独特のトークで注目される。その旅の内容は『雲を友として こころと感動の旅』にまとめている。1991年湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人中上健次津島佑子田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。1993年、作品『光の雨』で「盗作事件」を起こし社会問題となり、それ以後テレビ出演等が急減した[3]1997年、『毒 - 風聞・田中正造』で毎日出版文化賞受賞。2002年3月、歌舞伎座上演『道元の月』の台本を手がけ第31回大谷竹次郎賞受賞。2007年、『道元禅師』で第35回泉鏡花文学賞受賞。

行動派作家として知られ、自然環境保護問題にも積極的に取り組み、徳島県川の学校の講師を務めたこともある。小説のほか紀行文、絵本、戯曲など、純文学作家としては異例なほど著書が多い。また晩年は、仏教への関心を深めており(インドへの関心は若い頃からのもの)、知床の地域の人とともに1995年に知床に「毘沙門堂」を設立し、当時の法隆寺高田良信管長を招いて開堂にこぎつけた。その方面のエッセイ類も多数ある。

2010年2月8日東京都内の病院にて多臓器不全で死去。62歳没[3][4]。1月には体調を崩して入院していた。『大法輪』連載中だった『良寛』と、書き下ろしの小説『白い河 風聞・田中正造』が未完の絶筆となった。

各種の盗作事件

編集

『光の雨』盗作事件

編集

連合赤軍を題材にして、1993年8月号から雑誌『すばる』(集英社)で連載を開始した『光の雨』について、元連合赤軍メンバーの坂口弘(獄中)から、自著の『あさま山荘1972』と酷似しており「盗作」であると抗議された。和平は「盗作」を認め、同年10月号で連載は休止となった。それまでタレントのように活動していた和平は、テレビ出演を自粛し関係者へ謝罪に回らざるを得なくなった。その後、『光の雨』は物語や構成を変えて1998年3、4、5月に雑誌『新潮』(新潮社)で連載し、新潮社より単行本が刊行された。この作品は高橋伴明監督により同名で映画化され、2001年12月に劇場公開された。

『二荒』盗作事件

編集

2008年6月、新潮社より刊行された長編『二荒』が『光の雨』同様、参考文献として挙げていた別の人物から「作品中に自著(福田和美、日光鱒釣紳士物語)からの引用がある」との抗議を受け絶版となり、2度目の「盗作事件」と報道された。その後、再構成や修正を経て勉誠出版より『日光』[1]と改題して出版された。

沖縄県での取材被害事件

編集

立松による取材を拒否したにもかかわらず、内部資料を無断で持ち出され、それを元にした立松のエッセイ中に実名で登場させられてプライバシー暴露の被害に遭い、ショックのあまり体調を崩したという人物の存在が指摘されている[5]。この事件に関連し、1993年から1994年にかけて『週刊金曜日』誌上において、立松と被害者側の論争が展開された[6]

人物

編集

方言

編集

『ニュースステーション』などのテレビ番組に出演した際は、方言を交えて喋っていたが、実際には標準語を普通に話すことができた[7]。友人の高橋三千綱に対して、立松は「テレビに出るときにはわざとああいう話し方するんだ。おれは三千綱と違って何か工夫しないと仕事こねぇから」[7]と説明している。

家族・親族

編集

父は農家の生まれで、満州の商社に勤めていたときに一時帰国して母と見合い結婚をした[8]。その後、徴兵され関東軍の一兵卒となった[8]。終戦後、ソ連軍に連行されたが脱走して一年後に故郷へ復員、宇都宮空襲に遭いながら生き残っていた母とともに宇都宮市郊外に家を建てて暮らした[8]。父は会社員として勤務し、母は食料品店を営み、これを繁昌させた[8]

妻の美千絵(みちえ[2][9]1946年3月30日[2])は小山内薫の孫[2]東京都生まれ[9]実践女子学園高等学校[2]。高校卒業後、5年ほど会社勤めをしたが、結婚相手に巡り合えず退職[9]。その後、有馬頼義から求人(編集人)募集の電話があり早稲田文学の編集室でアルバイトを始めた[9]。「編集はできません」と断ったうえで経理などを担当したが、出版社にいたことがある妹と間違われたと思う[9]、と述べている。まもなくその編集室で立松と知り合い、出会ってわずか8か月後に結婚[9]、のち一男一女をもうけた[2]。結婚後は有馬がはじめた財団法人「東京空襲を記録する会」に勤務し[9]、立松が作家となってからは立松のマネージャー兼アシスタントをつとめた[9]

長女の山中桃子(横松桃子、1977年 - )はイラストレーター・絵本画家で、和平の著書に多くの挿絵を描いている。俳優山中聡は桃子の夫。また長男の心平(1972年 - )は林心平の名で文筆活動を行っている。従甥に俳優の千葉雄大[10]、遠戚に藤田嗣治児玉源太郎らがいる。

 
 
 
 
 
小山内建
(玄洋)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
横松和夫
立松和平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
禮子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
横松心平
(林心平)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小山内薫
 
 
小山内徹
 
美千絵
 
 
桃子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小山内宏
 
 
 
 
 
 
山中聡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中川登女子
 
 
富子
 
 
 
 
 
 
山中崇志(崇史)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岡田三郎助
 
 
市川扇升
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
八千代
 
 
 
小栗信
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蘆原信之
 
 
蘆原敏信(英了)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤田嗣章
 
 
キク
 
 
蘆原義信
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蘆原太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤田嗣治
 
初子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤田嗣雄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
のぶ子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
モト
 
 
 
 
 
 
藤田嗣隆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
児玉源太郎
 
 
 
 
 
 
藤田慎二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ツル
 
 

主な受賞歴

編集

著書

編集
  • 『途方にくれて』集英社、1978年 のち文庫
  • 『ブリキの北回帰線』冬樹社、1978年 のち福武文庫
  • 『今も時だ』国文社、1978年 同
  • 『たまには休息も必要だ』集英社、1979年
  • 『光匂い満ちてよ』新潮社、1979年 のち文庫
  • 『閉じる家』文藝春秋、1979年
  • 『火の車』集英社、1979年 のち文庫
  • 『火遊び』集英社、1980年
  • 遠雷河出書房新社、1980年 のち文庫
  • 『冬の真昼の静か』角川書店、1980年
  • 『回りつづける独楽のように エッセイ集』集英社、1981年
  • 『歓喜の市』集英社、1981年 のち文庫
  • 『雨月』平凡社、1981年
  • 『太陽の王』新潮社、1982年 のち福武文庫
  • 『野のはずれの神様』河出書房新社、1982年
  • 『蜜月』集英社、1982年 のち文庫
  • 『春雷』河出書房新社、1983年 のち文庫
  • 『熱帯雨林』新潮社、1983年
  • 『魂の走り屋』砂子屋書房、1984年
  • 『魂へのデッドヒート』文藝春秋、1984年 のち朝日文庫
  • 『デジャ・ヴュ』朝日出版社週刊本)1984年
  • 『砂糖キビ畑のまれびと』晩声社、1984年 のちちくま文庫
  • 『水の流浪』講談社、1984年
  • 『天狗が来る』集英社、1984年
  • 『性的黙示録』トレヴィル、リブロポート(発売)、1985年 のち河出文庫
  • 『ヤポネシアの旅』主婦の友社、1986年 のち朝日文庫
  • 『世紀末通りの人びと』毎日新聞社、1986年
  • 『ボクシングは人生の御飯です ぼくらはジョーを待っている』光文社(カッパ・ホームス)1986年
  • 『ふたつの太陽』河出書房新社、1986年
  • 『天地の夢』集英社、1987年
  • 『アジア混沌紀行』筑摩書房、1987年
  • 『彼岸の駅』福武書店、1987年
  • 『旅に棲んで ヤポネシア純情紀行』毎日新聞社、1987年
  • 『境界の誘惑 小説と民俗の想像力』岩波書店(作家の方法)1987年
  • 『雲を友として こころと感動の旅』全国朝日放送、1987年
  • 『雷獣』河出書房新社、1988年
  • 『海の声、山の耳』展転社、1988年
  • 『楽しい貧乏』六興出版、1988年
  • 『砂の戦記』新潮社、1988年
  • 『光線』文藝春秋、1989年
  • 『雨のボクシングジム』東京書籍、1989年
  • 『海のかなたの永遠』福武書店、1989年
  • 『釧路湿原』グラフィック社、1989年
  • 『うんたまぎるー』岩波書店、1989年
  • 『太平洋巡礼』JTB日本交通公社出版事業局、1990年
  • 『快楽の一滴 ポルノグラフィア』河出書房新社、1990年
  • 『ヤポネシア讃歌』講談社、1990年
  • 『砂の水平線 パリ・ダカ』平凡社、1990年(本橋成一写真)
  • 『楽土の家』筑摩書房、1990年
  • 『山のいのち』ポプラ社(えほんはともだち)1990年
  • 『黄昏にくる人』福武書店、1990年
  • 『象に乗って』毎日新聞社、1990年
  • 『聖豚公伝』朝日新聞社、1990年 のち文庫
  • 『浦島太郎の馬鹿 旅の書きおき』マガジンハウス、1990年
  • 『緑の星に生まれて』学習研究社、1990年
  • 『人形の骨 初期作品集Ⅰ』六興出版 1990年
  • 『つつしみ深く未来へ 初期作品集Ⅱ』六興出版 1990年
  • 『雨月』阿部出版、1991年
  • 『最後の清流四万十川を行く 豊饒の川よ永遠に』講談社、1991年
  • 『白い空』読売新聞社、1991年
  • 『野生の水 ヤポネシア水紀行』スコラ、1991年
  • 『一瞬のパラダイス 地球片隅紀行 Photograph & essay』鈴木出版、1991年
  • 『真夜中の虹』福武書店、1991年
  • 『瑠璃の波』集英社、1991年
  • 『日溜まりの水 ポルノグラフィア』河出書房新社、1992年 のち文庫
  • 『知床の四季』ソニー・マガジンズ、1992年
  • 『雨の東京に死す』集英社、1992年
  • 『卵洗い』講談社、1992年 のち文芸文庫
  • 『与那国』ソニー・マガジンズ、1992年
  • 『青空 絵本』シーズ、1992年
  • 『悲しみの地平線 ナミビア紀行 ネイチャリングスペシャル』全国朝日放送、1992年
  • 『海のいのち』ポプラ社(えほんはともだち)1992年
  • 『こんなに楽しい多摩川散歩 東京の自然再発見』講談社、1992年(大塚高雄写真)
  • 『贋南部義民伝』岩波書店(シリーズ<物語の誕生>)1992年
  • 『水の流浪』有学書林、1992年
  • 『世紀末通りの人びと』青春出版社・文庫、1993年
  • 『雨のサーキット』東京書籍、1993年
  • 『僕は旅で生まれかわる』PHP研究所、1993年
  • 『楽園物語 麗しの太平洋紀行』青春出版社、1993年
  • 『水の旅川の漁』世界文化社、1993年(大塚高雄写真)
  • 『風月』河出書房新社、1993年
  • 『風と話そう 立松和平対談集』家の光協会、1993年
  • 『貧乏仲間』日本経済新聞社、1993年 のち河出文庫
  • 『立松和平の実りの旅』PHP研究所、1993年
  • 『雷神鳥』文藝春秋、1993年
  • 『アジア河紀行 水の曼陀羅をいく』佼成出版社、1993年
  • 『空飛ぶ鯨』全2巻 読売新聞社、1993年-1994年
  • 『沈黙都市』集英社、1993年
  • 『釧路湿原を歩く 水と草が織りなす生命の海』講談社、1993年
  • 『風と歌おう 立松和平対談集』家の光協会、1993年
  • 『砂の旅人 Sahara』駸々堂出版、1993年(本橋成一写真)
  • 『水の星のさざ波』学習研究社、1993年
  • 『森に生きる』講談社、1993年(江本守男ほか写真)
  • 『その日その日の出来不出来』サンドケー出版局、1994年
  • 『花鳥 ポルノグラフィア』スコラ、1994年
  • 『ダカールへ』文藝春秋(書下し文芸作品)1994年
  • 『永遠の子供』有学書林、1994年
  • 『流氷のおくりもの』講談社、1994年
  • 『米をつくりたいと思った』アドバンテージサーバー、1994年
  • 『天の虫』読売新聞社(よみうりのpicture books 友川かずき絵)1994年
  • 『原風景文集1(山の篇)』随想舎、1994年
  • 『原風景文集2(野の篇)』随想舎、1995年
  • 『原風景文集3(時の篇)』随想舎、1995年
  • 『鳥の道』新潮社、1995年
  • 『竜神 太郎坊無頼控』広済堂出版、1995年
  • 『ペルー蜃気楼紀行』サンドケー出版局、1995年
  • 『神様のくれた魚』山と渓谷社、1995年
  • 『縄文杉に会う』講談社、1995年(日下田紀三写真)
  • 『ドロップアウト』ビレッジセンター出版局、1995年(横尾和博編)
  • 『黙示の華』岩波書店、1995年
  • 『ワニの涙』毎日新聞社、1996年
  • 『黄色いボール』(立松和平との絵本集1 長新太絵)河出書房新社、1996年
  • 『生命のけはい ヤポネシア探究紀行』立風書房、1996年
  • 『アジアの熱い岸辺 北朝鮮、中国、ベトナムをいく』ディーエイチシー、1996年
  • 『楽園世界』トラベルジャーナル、1996年
  • 『ブッダその人へ』佼成出版社、1996年 のち学陽書房人物文庫
  • 『天とくっついた島』(立松和平との絵本集2 スズキコージ絵)河出書房新社、1997年
  • 『純粋な性』マガジンハウス、1996年
  • 『父のふるさと』河出書房新社、1996年
  • 『貧乏自慢』河出書房新社、1997年
  • 『毒 風聞・田中正造東京書籍、1997年 のち河出文庫
  • 『恩寵の谷』新潮社、1997年 のち河出文庫
  • 『いってもいっても地平線 地球見聞録』小学館、1997年
  • 『百年の花咲く』日本放送出版協会、1997年
  • 『おじいさんの机』(立松和平との絵本集3 鈴木まもる絵)河出書房新社、1997年
  • 『母の乳房』河出書房新社、1997年
  • 『一滴の水から ヤポネシア春夏秋冬』浩気社、1997年
  • 『くらかけ山の熊』(立松和平ファンタジー選集1 木村しゅうじ絵)フレーベル館、1997年
  • 『月光のさざ波』文藝春秋、1998
  • 『キツネとのやくそく』(立松和平との絵本集4 黒井健絵)河出書房新社、1998年
  • 『日本列島の香り 国立公園紀行』毎日新聞社、1998年
  • 光の雨』新潮社、1998年 のち文庫
  • 『アジア偏愛日記』東京書籍、1998年 のち徳間文庫
  • 『青春放浪 その時にしかないきらめき』ほるぷ出版、1998年
  • 『仏に会う』NTT出版、1998年
  • 『酪農家族』全4巻 横松桃子イラスト 河出書房新社、1998年-2004年
  • 『地霊』河出書房新社、1999年
  • 『いのちの食紀行』東京書籍、1999年
  • 『知床丸太小屋日記』講談社、1999年
  • 『文学の修羅として 対話・評論・講演』のべる出版企画、1999年(横尾和博編)
  • 『ぼくの仏教入門』ネスコ、1999年
  • 『快楽の樹』新潮社、1999年
  • 『満月の百年』(立松和平との絵本集5 坪谷令子絵)河出書房新社、1999年
  • 『黄ぶな物語』横松桃子絵 アートセンターサカモト、1999年
  • 『歓びの知床』地球丸(アウトドアライブラリー)1999年
  • 『劇的なる農』ダイヤモンド社、1999年
  • 『雪より白い鳥』(立松和平ファンタジー選集2 上田朱絵)フレーベル館、1999年
  • 『スプーン一杯のビール』河出書房新社、2000年
  • 『澄んだ川の水が私の心ヤポネシアの四季』文芸社、2000年
  • 『人生の現在地 まだまだ迷っているぞ、私は。』大和出版、2000年
  • 『染めと織りと祈り』アスペクト、2000年
  • 『街のいのち』横松桃子絵 くもん出版、2000年
  • 『遠雷四部作 資料篇』河出書房新社、2000年
  • 『仏弟子ものがたり』岩波書店、2001年
  • 『田んぼのいのち』横松桃子絵 くもん出版、2001年
  • 『一人旅は人生みたいだ』アーツアンドクラフツ、2001年
  • 『虹色の魚」(立松和平ファンタジー選集3 山本祐司絵)フレーベル館、2001年
  • 『ラブミー・テンダー 新庶民烈伝』文藝春秋、2001年
  • 『聖徳太子 この国の原郷』日本放送出版協会、2002年
  • 『猫月夜』河出書房新社、2002年
  • 『美しいものしか見まい』恒文社21、2002年
  • 『道元』小学館、2002年
  • 『魚になった3兄弟 かしの木おばばの魔法の木』日本放送出版協会、2002年(絵:横松桃子
  • 『はじめて読む法華経 白い睡蓮はいかに咲くか』水書坊、2002年
  • 『川のいのち』くもん出版、2002年(絵:横松桃子
  • 『下の公園で寝ています』東京書籍、2002年
  • 『現代の饗宴 対談集』随想舎、2002年
  • 『小さいことはいいことだ』ウェイツ、2002年
  • 『旅する人 魂の休み場所をさがして』文芸社、2002年
  • 『木喰』小学館、2002年
  • 『日高』新潮社、2002年
  • 『道元の月』祥伝社、2002年
  • 『生命継ぎの海』佼成出版社、2003年
  • 『映画主義者深作欣二』文春ネスコ、2003年
  • 『浅間』新潮社、2003年
  • 『法隆寺の智慧・永平寺の心』新潮選書、2003年
  • 『昔はみんな子供だった 冒険と発見の日々』祥伝社、2003年
  • 『道元という生き方』春秋社、2003年
  • 『ポケットのなかのお釈迦さま 捨身飼虎の物語』白竜社、2003年
  • 『旅でみんな大きくなった』日本放送出版協会、2004年
  • 『遊行 ちまたで仏と出会う日々』佼成出版社、2004年
  • 『ブッダ この世で一番美しいものがたり』PHP研究所、2004年
  • 『すらすら読める奥の細道』講談社、2004年
  • 『沖縄魂の古層に触れる旅』NTT出版、2004年
  • 『知床に生きる 大船頭・大瀬初三郎とオホーツクの海』新潮選書、2005
  • 『軍曹かく戦わず』アートン、2005年
  • 『奇蹟 風聞・天草四郎』東京書籍、2005年
  • 『四万十川に生きる』樹立社、2005年
  • 『きもの紀行 染め人織り人を訪ねて』家の光協会、2005年
  • 『木のいのち』くもん出版、2005年
  • 『知床森と海の祈り』春秋社、2006年
  • 『立松和平日本を歩く』[2]全7巻 勉誠出版、2006年
  • 『不憫惚れ 法昌寺百話』アートン、2006年
  • 『立松和平の日本動物紀行』日経BP社、2006年
  • 『百霊峰巡礼 第1集』東京新聞出版局、2006年
  • 『象が眺める』柏艪舎、2006年
  • 『日本の歴史を作った森』ちくまプリマー新書、2006
  • 『立松和平の旅する文学』洋々社、2006年
  • 『芭蕉の旅、円空の旅』日本放送出版協会(NHKライブラリー)2006年
  • 『桃の花』インデックス・コミュニケーションズ、2006年
  • 『伊勢発見』新潮選書、2006年
  • 『救世聖徳太子御口伝』大法輪閣、2006年
  • 『地球の息』柏艪舎、2006年
  • 『十万分の一秒の永遠 Hashiの仕事と人生をめぐって』アートン、2006年
  • 『芭蕉 「奥の細道」内なる旅』佼成出版社、2007年
  • 『牧場のいのち』くもん出版、2007年
  • 『知床の四季を歩く』樹立社、2007年
  • 『晩年』人文書院、2007年
  • 『道元禅師』東京書籍 上下、2007年/新潮文庫 上中下、2010年
  • 『魂の置き場所』柏艪舎、2007年
  • 『二荒』新潮社 2007年
  • 『人生いたるところにブッダあり-ぼくの仏教入門-』ゴマブックス(ゴマ文庫)、2008年
  • 『浅間 絵物語』山中桃子:絵 柏艪舎(星雲社)2008
  • 『南極にいった男 小説・白瀬南極探検隊』東京書籍 2008年
  • 『寒紅の色』北國新聞社 2008年
  • 『百霊峰巡礼2』東京新聞出版局 2008年
  • 『日光』勉誠出版 2008年
  • 『人生でいちばん美しい場所で』東京書籍 2009年
  • 『織田信長―「信長公記」紀行』勉誠出版 2010年
  • 『白い河 風聞・田中正造』東京書籍 2010年
  • 『良寛』大法輪閣 2010年
  • 『立松和平仏教対談集』アーツアンドクラフツ 2010年
  • 『立松和平全小説』(全31巻)勉誠出版 2010-13年

共著

編集

翻訳

編集

文学碑

編集

2022年11月、塩原温泉観光協会により大正浪漫街道(旧国道400号下塩原バイパス開通により旧道となった区間)の回顧トンネルそばに、那須町産の芦野石にはめ込んだ御影石に長編小説「人生のいちばん美しい場所で」の一節を刻んだ文学碑が建てられた[11]

作家以外の活動

編集

脚注

編集
  1. ^ 有馬『二・二六暗殺の目撃者』立松の解説
  2. ^ a b c d e f g h i j 「プラビ・インタビュー No.38」『プラビ』9月号、実年情報サービス、1990年、4-9頁。 
  3. ^ a b 清水光雄 (2010年3月3日). “立松和平さん:作家:多臓器不全のため2月8日死去62歳”. 毎日新聞: p. 13版、23面 
  4. ^ 作家、立松和平氏が死去 「遠雷」「毒-風聞・田中正造」など産経新聞2010年2月9日
  5. ^ 宮本常一・安渓遊地『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版、2009年、56-57ページ
  6. ^ 安渓遊地「立松和平氏、沖縄で筆の暴力」『週刊金曜日』7号所収、1993年および立松和平「まれびとの立場」『週刊金曜日』8号所収、1993年および安渓遊地「立松和平氏の『まれびとの立場』の盲点」『週刊金曜日』10号所収、1994年
  7. ^ a b 上田耕司・神田友子「追悼――作家立松和平――親友・高橋三千綱が明かすケンカ、風俗通い、文学談義」『週刊朝日』115巻8号、朝日新聞出版2010年2月26日、121頁。
  8. ^ a b c d 文藝春秋編『オカン、おふくろ、お母さん』文藝春秋、2006年、112、113頁。
  9. ^ a b c d e f g h 多田淳子『ソクラテスの妻たち』スリーエーネットワーク、1997年、106-117頁。
  10. ^ "千葉雄大 母のイトコは立松和平氏、加山雄三は21親等「雄の字が一緒」と笑顔". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 11 February 2020. 2020年2月11日閲覧
  11. ^ 立松和平さん文学碑 塩原温泉の大正浪漫街道でお披露目 下野新聞 2022年11月8日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集