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江戸前島

徳川家康入府以前に江戸にあった半島

江戸前島(えどまえじま[1][2])は、中世以前の江戸に存在した東京湾内の小半島。南方へ突き出しており、半島の西側は日比谷入江であった(平川が北から注いでいた)。

現在の東京都中央区日本橋・京橋・銀座の位置に相当し(南端は新橋付近)、半島の中央線は、現在の中央通りである。

歴史

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現在の日本橋から銀座にかけての地域は、かつては南へ突き出した砂州地形の半島だった。西側の平川神田川下流部が日比谷入江へ注ぐ河口部)と東側の隅田川の河口とに挟まれでできた地形だった(さらに古くは、本郷台地の南端の駿河台・神田から南へ伸びる丘陵が侵食された跡の平地に当たる)。

1262年弘長元年)の時点で「武蔵国豊嶋郡江戸郷之内前嶋村」という地名で呼ばれていた記録が残っている[3]。この半島の東岸・西岸が江戸湊となっていた。

徳川家康入府以降は、西側の日比谷入江は(日比谷濠などの内濠を水面として残した以外は)埋め立てられた。また東側の海岸線を利用して楓川三十間堀川が掘削され、次第に内陸部となっていった。東海道の起点を日本橋とした際に、半島の中央線を通して南下するように道を通した。

脚注

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関連項目

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