永山駅
永山駅(ながやまえき)は、北海道旭川市永山1条19丁目1にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はナカ。事務管理コードは▲121803[1]。駅番号はW31。普通列車と快速「なよろ」が停車する。
永山駅 | |
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駅舎(2017年8月) | |
ながやま Nagayama | |
(2.1 km) 北永山 W32► | |
所在地 | 北海道旭川市永山1条19丁目 |
駅番号 | ○W31 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 9.3 km(旭川起点) |
電報略号 | ナカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
483人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1898年(明治31年)8月12日 |
備考 | |
歴史
編集- 1898年(明治31年)
- 1905年(明治38年)4月1日:鉄道作業局に移管[2]。
- 1912年(大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称[2]。
- 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1978年(昭和53年)12月1日:貨物取扱を専用線発着車扱貨物に限定[3]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物・荷物取扱い廃止[4][3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[5][3]。
- 1998年(平成10年):宗谷本線当駅以南と函館本線小樽 - 旭川駅間に自動進路制御装置(PRC)を導入[6]。
- 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに構内改良を実施。分岐器を弾性分岐器に変更[7]。
駅名の由来
編集駅構造
編集跨線橋で結ばれた相対式ホーム2面2線を有する地上駅[8]。2000年(平成12年)までに行われた高速化工事に際し、駅舎が位置する稚内方に向かって右手の上り本線(1番線)側を直進側とする片開き分岐に変更されているが、後述の運転取扱い上の理由から、駅舎側が上り本線、対向側(2番線)を下り本線としての運用が続けられ、いわゆる「一線スルー」とはなっていない[7]。
運転扱いのため終日社員を配置し、みどりの窓口が設置されている。駅舎内に男女別の水洗式便所がある。
運転上の取り扱い
編集宗谷本線は当駅を境に閉塞方式が切替わり、以南が自動閉塞式(CTC、PRC付帯)、以北が特殊自動閉塞式(電子閉塞)である[7]。当駅以北へ進入する際は、車上側機器を設定・確認する必要があるため、下り列車は客扱いの有無にかかわらず停車する[9][7]。一方で、逆の場合は特に機器の設定を行わず通過が可能であることから、前述の高速化工事で上り列車の高速通過が可能なように分岐器を両開きから片開き弾性分岐器に換装している[7]。
のりば
編集番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■宗谷本線 | 上り | 旭川方面 |
2 | 下り | 比布・名寄方面 |
-
駅舎(2004年6月)
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改札口(2018年2月)
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ホーム(2017年8月)
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当駅で交換するキハ54形とキハ40形普通列車(2007年4月)
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2番線に立つ、「電子閉そく開始」の標識(2018年2月)
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1番線に立つ、「電子閉そく終了」の標識(2018年2月)
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跨線橋(2017年8月)
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駅名標(2017年8月)
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
なお、「旭川市統計書」を出典とする値については2018年(平成30年)版からデータ提供元のJR北海道での集計方法が過去の値含めて変更になっているため、2018年版に掲載で最も古い値となる2011年(平成23年)度以降の値は新集計方法での値を用いる。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1912年(大正元年) | 60,923 | (166.9) | [10] | ||
1917年(大正 | 6年)62,489 | (171.2) | |||
1931年(昭和 | 6年)107,382 | (293.4) | |||
1932年(昭和 | 7年)107,426 | (294.3) | |||
1933年(昭和 | 8年)99,768 | (273.3) | |||
1934年(昭和 | 9年)112,448 | (308.1) | |||
1935年(昭和10年) | 106,377 | (290.6) | |||
1936年(昭和11年) | 109,857 | (301.0) | |||
1937年(昭和12年) | 117,577 | (322.1) | |||
1938年(昭和13年) | 122,898 | (336.7) | |||
1939年(昭和14年) | 156,334 | (427.1) | |||
1952年(昭和27年) | 324,035 | (887.8) | |||
1953年(昭和28年) | 312,141 | (855.2) | |||
1954年(昭和29年) | 321,243 | (880.1) | |||
1955年(昭和30年) | 323,691 | (884.4) | |||
1956年(昭和31年) | 350,511 | (960.3) | |||
1957年(昭和32年) | 365,444 | (1,001.2) | |||
1958年(昭和33年) | 388,568 | (1,064.6) | |||
1959年(昭和34年) | 393,739 | (1,075.8) | |||
1978年(昭和53年) | 1,489.0 | [11] | |||
1992年(平成 | 4年)(842.0) | [8] | 一日平均乗降客数:1,684 | ||
2001年(平成13年) | 197,461 | (541.0) | [12] | うち、年間の普通旅客:121,898 | |
2002年(平成14年) | 188,570 | (516.6) | [13] | うち、年間の普通旅客:120,501 | |
2003年(平成15年) | 182,437 | (498.5) | うち、年間の普通旅客:115,399 | ||
2004年(平成16年) | 157,331 | (431.0) | うち、年間の普通旅客:94,787 | ||
2005年(平成17年) | 149,450 | (409.5) | うち、年間の普通旅客:85,631 | ||
2006年(平成18年) | 148,505 | (406.9) | うち、年間の普通旅客:82,703 | ||
2007年(平成19年) | 144,702 | (395.4) | うち、年間の普通旅客:79,156 | ||
2008年(平成20年) | 151,200 | (414.2) | うち、年間の普通旅客:80,113 | ||
2009年(平成21年) | 157,924 | (432.7) | [14] | うち、年間の普通旅客:78,797 | |
2010年(平成22年) | 160,033 | (438.4) | うち、年間の普通旅客:79,096 | ||
2011年(平成23年) | 175,680 | (480.0) | [15] | ||
2012年(平成24年) | 174,470 | (478.0) | |||
2013年(平成25年) | 177,390 | (486.0) | |||
2014年(平成26年) | 171,550 | (470.0) | |||
2015年(平成27年) | 172,752 | (472.0) | |||
2016年(平成28年) | 178,850 | (490.0) | [16] | ||
2017年(平成29年) | 182,865 | (501.0) | 422.4 | [16][JR北 1] | |
2018年(平成30年) | 178,120 | (488.0) | [16] | ||
2019年(令和元年) | 176,660 | (482.7) | 402.8 | [16][JR北 2] | |
2020年(令和 | 2年)123,735 | (339.0) | [16] | ||
2023年(令和 | 5年)285.0 | [JR北 3] |
駅周辺
編集隣の駅
編集脚注
編集- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、238頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 14頁
- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、896頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 16頁
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 17頁
- ^ 「「小樽」と「永山」駅間でPRCの運用を開始 JR北海道」『総合交通』第25巻第5号、総合交通社、1998年4月、46頁、doi:10.11501/2887848、2023年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e 鶴, 通孝、中井, 精也「北辺に生きる鉄路 2000年春の高速化を待望する宗谷本線」『鉄道ジャーナル』第33巻第9(通巻395)号、鉄道ジャーナル社、1999年9月1日、pp.47-57、ISSN 0288-2337。
- ^ a b 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、142頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 平澤, 崇、目黒, 義浩「30 スーパー北斗13号 31 スーパー宗谷1号(連載 美しい風土 心地よい列車で綴る 特急にっぽん縦断2004)」『鉄道ジャーナル』第38巻第12号、鉄道ジャーナル社、2004年12月1日、71頁。
- ^ 旭川市永山町史編集委員会 編『永山町史』旭川市、1981年12月、920-921頁。doi:10.11501/9538693 。2023年1月7日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、885頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ “旭川市統計書 平成20(2008)年度版” (PDF). 旭川市統計書. 旭川市. p. 66 (2008年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月18日閲覧。
- ^ “旭川市統計書 平成20(2009)年度版” (PDF). 旭川市統計書. 旭川市. p. 66 (2009年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月18日閲覧。
- ^ “旭川市統計書 平成28(2016)年度版” (PDF). 旭川市統計書. 旭川市. p. 64 (2016年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月18日閲覧。
- ^ “旭川市統計書 平成30(2018)年度版” (PDF). 旭川市統計書. 旭川市. p. 62 (2018年). 2019年4月22日閲覧。
- ^ a b c d e “旭川市統計書 令和3(2021)年度版” (PDF). 旭川市統計書. 旭川市. p. 62 (2022年). 2022年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月5日閲覧。
JR北海道
編集- ^ “駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)事業計画(アクションプラン). 北海道旅客鉄道. pp. 11-12 (2019年4月). 2019年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月18日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン). p. 10 (2021年4月16日). 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月29日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 永山|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company