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氷見晃堂

1906-1975, 木工芸家。人間国宝。

氷見晃堂(ひみ こうどう 1906年10月30日 - 1975年2月28日)は、木工芸家。

重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)。本名、与三治(よさじ)[1]。木工芸の人間国宝としては2番目の認定者(1970年)である[2]

概要

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石川県金沢市出身[3][1]商家の子であるが、手職を身につけたほうがいいという父と祖父の考えにより、指物北島伊三郎に弟子入りして3年間修行する[3]。さらに木工家池田作美に師事して強い影響を受けた[3]

若いころから砂磨き法を研究し1926年に復活させる[3](砂磨き法とは、江戸時代までよく行われていた木材の加工法で、木材を砂で磨き、柔らかい部分をすり減らし、硬い年輪の部分を浮き上がらせる技法。しばらくは絶えていた技法である)。第二次大戦松田権六の指導により金銀線縮れ象嵌を考案する。初期の作品には精緻な工作で華麗なものが多いが、次第に木材の自然な美しさに重点をうつす。しかし、晩年はまた華麗な象嵌を用いていた。作品は箱の他、机、棚、風呂先など大物作品が多く、材をよく使う[2]

経歴

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  • 1921年 小将町尋常高等小学校を卒業後、指物師の北島伊三郎に師事
  • 1924年 池田作美に師事
  • 1926年 石川県工芸奨励賞美術工芸展覧会入選、砂磨き法を復興
  • 1943年 この年から氷見晃堂を名乗る[3]
  • 1953年 第9回日展北斗賞受賞
  • 1957年 金銀線縮れ象嵌法を考案
  • 1964年 北國文化賞受賞
  • 1970年 重要無形文化財「木工芸」保持者に認定
  • 1971年 紫綬褒章受章
  • 1974年 日本工芸会木竹部会長
  • 1975年 勲四等旭日小綬章受章[2]

脚注

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  1. ^ a b 氷見晃堂 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年7月22日閲覧。
  2. ^ a b c 『人間国宝事典』232頁。
  3. ^ a b c d e 氷見晃堂 東京文化財研究所 2018年7月22日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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