東京都庭園美術館
東京都庭園美術館(とうきょうと ていえん びじゅつかん)は、東京都港区白金台にある都立美術館である。旧朝香宮邸(きゅうあさかのみやてい)とも呼ばれる。
東京都庭園美術館 Tokyo Metropolitan Teien Art Museum | |
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施設情報 | |
前身 |
朝香宮鳩彦王邸 外務大臣公邸 迎賓館 |
専門分野 | 美術 |
事業主体 | 東京都 |
管理運営 | 公益財団法人東京都歴史文化財団 |
建物設計 | 宮内省内匠寮(権藤要吉) |
延床面積 |
2100.47m2 (本館) 4468.02m2(新館) 85.28m2(茶室) 139m2(カフェレストラン) |
開館 | 1983年10月1日 |
所在地 |
〒108-0071 東京都港区白金台五丁目21番9号 |
位置 | 北緯35度38分12.8秒 東経139度43分8.7秒 / 北緯35.636889度 東経139.719083度座標: 北緯35度38分12.8秒 東経139度43分8.7秒 / 北緯35.636889度 東経139.719083度 |
外部リンク | 東京都庭園美術館 |
プロジェクト:GLAM |
沿革
編集武蔵野の面影を残す国立自然教育園に隣接した同館の敷地および建物は、香淳皇后の叔父にあたる朝香宮鳩彦王がパリ遊学後2年をかけて建設し、1947年の皇籍離脱まで暮らした邸宅だった[1]。この土地は白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期には陸軍の火薬庫が一時置かれ、後に皇室財産となっている。[2]
宮邸は朝香宮一家が退去した後、吉田茂によって外務大臣公邸(ただし、外相は総理の吉田が兼務していたので実質的には総理大臣仮公邸)として、1947年から1950年にかけて使用された。1950年には西武鉄道に700万円で払い下げられ、1955年4月に白金プリンス迎賓館として開業し、国賓・公賓来日の際の迎賓館として1974年まで使用された。1971年にホテル建設計画が発表されたが反対運動が起こり[3]、1974年5月からプリンスホテルの本社として使用された後、1981年12月に139億円で東京都に売却され、1983年(昭和58年)に都立美術館の一つとして一般公開される。
2011年より改修工事のため長期休館[4]を経てリニューアルし、2014年11月22日より一部再開[5]。2018年3月21日、西洋庭園やレストランも含めて全面開館した[6]。
施設概要
編集本館
編集旧朝香宮邸である。鉄筋コンクリート造2階建て(一部3階建て)、地下1階で1929年(昭和4年)頃から建築準備に取り掛かり1933年(昭和8年)5月に完成。施工は戸田組(現:戸田建設)[7]。外観は、玄関ポーチの狛犬以外ほとんど装飾がみられないが、内装には当時流行のアール・デコ様式の粋を尽くした瀟洒な建物である。アール・デコ様式の個人住宅は世界中に存在するが、旧朝香宮邸はその中でも質が高く、保全状態が良い。1993年に東京都の有形文化財に指定され、2015年に国の重要文化財に指定された[8]。 建築設計は宮内省内匠寮(担当技師は権藤要吉)であるが、主要な室の内装基本設計はフランスのインテリアデザイナー、アンリ・ラパンが担当している。また正面玄関にある女神像のガラスレリーフや大客室のシャンデリアなどはフランスの宝飾デザイナーでガラス工芸家でもあったルネ・ラリックの作品である。[9]
軍事研究のため欧州に留学していた朝香宮鳩彦王は、1923年、パリ郊外で自動車事故に遭って重傷を負った。看病のため允子妃が急遽渡仏し、夫妻はフランスに長期滞在を余儀なくされた。そうした中、夫妻は1925年にパリ万国博覧会(通称アール・デコ博覧会)を見学し、前述のラパンやラリックの作品に接して感銘を受けた。このことが帰国後に夫妻が「アールデコの館」と称されるこの邸宅を建てるきっかけとなった。19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧州で流行したアール・ヌーヴォー様式(有機的形態と曲線文様を特色とする)に対し、大量生産と工業化の時代に対応した、従来の伝統にとらわれない新しいデザインを目指したものがアール・デコであった。朝香宮邸では、壁面のデザイン、照明器具、扉を装飾するエッチング・ガラス、ラジエーターのグリルなど、至るところにアール・デコのデザインが見られる。なお、允子妃は宮邸竣工後、半年足らずの1933年11月に他界している。[10][11]
1階には玄関、大広間、次室(つぎのま)、小客室、大客室、大食堂などの接客用スペースが配され、2階は殿下書斎、殿下居間、殿下寝室、妃殿下居間、妃殿下寝室、姫宮居間、姫宮寝室、若宮居間、若宮寝室、若宮合の間、北の間など、宮家の私室が配されている。屋上の一部には3階を設け、「ウィンターガーデン」(温室)がある。通常の展示では、建物全体の半分ほどが展示室として公開されている。ラパンが基本設計を担当したのは1階の大広間、次室、小客室、大客室、大食堂、2階の殿下書斎、殿下居間の計7室である[12]。近代日本の上層階級(宮家、旧藩主、政治家、実業家など)の邸宅は、同じ敷地に洋館と和館を建て、前者を表向きの接客空間、後者を内向きの日常生活空間、と使い分ける例が多かった。一方、昭和初期に建てられたこの朝香宮邸は、同じ建物の中で1階を接客空間、2階を日常生活空間としている点、私室もすべて洋間としている点が特色である。[13][14]
ラパンの基本設計になる大広間は、壁面にウォールナット材を用いた重厚なインテリアであるが、天井の照明は直線と円を組み合わせた幾何学的なデザインのものである。この照明は格天井風の枠で天井を40の区画に区切り、それぞれの区画に半球形の窪みを設け、そこに白熱灯を取り付けたものである。その隣の大客室は、壁画、扉パネル、シャンデリアなど、さまざまな部分にフランスのアーティストの作品が使用されている。朝香宮邸の装飾を担当したアーティストとその作品は以下のとおりである。これらの作品はフランスから海路日本へ運ばれたものであった。[15][16][17]
- アンリ・ラパン - 小客室の壁画、大客室の壁羽目板上の壁画、大食堂マントルピース上の壁画(以上油絵)、次室の「香水塔」のデザイン(製作はフランス国立セーヴル陶磁器製造所)
- ルネ・ラリック - 玄関の女神像ガラスレリーフ、大客室のシャンデリア『ブカレスト』、大食堂の天井照明器具のガラス板(パイナップルとザクロのデザイン)
- レオン・ブランショ - 大広間表階段右手の大理石レリーフ『戯れる子供たち』、大食堂壁面の銀灰色レリーフ
- レーモン・シューブ - 大客室扉上タンパンの鉄製装飾
- マックス・アングラン - 大客室扉パネルのエッチング・ガラス装飾
新館(管理棟)
編集1963年(昭和38年)に迎賓館として鉄筋コンクリート造4階建ての新館が建設され、2008年まで講演会やコンサートなどに使用されていた。2009年に耐震診断を行った際に「耐震性に問題がある」と指摘されたため閉鎖された。本館改修工事にあわせて2012年1月より解体され、新たに鉄骨造2階建ての管理棟が建設された[19][20]。改修工事前に本館1階にあった美術館事務所は管理棟2階へ移転し、本館の公開スペースが拡大された[21]。かつての新館には当美術館開館前の1983年9月より東京都歴史文化財団が事務所を置いていたが2009年に江戸東京博物館内へ移転している[22]。
本館の改修工事と、それに付属した旧新館を、管理諸室などを納めた新館として建替えた整備が、2015年度グッドデザイン賞受賞[23]。
茶室など
編集日本庭園内に茶室「光華(こうか)」がある。木造瓦葺平屋建てで1938年(昭和13年)完成。他に倉庫と自動車庫があるが、それらは本館と同時に建設された。
庭園
編集庭園は、芝生広場、日本庭園、西洋庭園の3つのエリアで構成されており、季節ごとにさまざまな花を楽しむことができる。本館等の施設に入館せず庭園のみの入場も可能である。1964年6月1日に「マーブルプール」という名称の大理石で作られた円形のプールが庭園に作られ一般向けに有料で公開され、白金プリンス迎賓館が営業を停止されるまで使用された。その後、プールは埋め立てられたが、プールの縁の大理石は残されている。
展示内容
編集朝香宮家由来の建物と家具や内部装飾そのものが芸術品であるため、「美術館」と銘打ってはいるものの所蔵品による常設展示はなく、企画展示が年に5 - 6回行われている。朝香宮邸やアール・デコ様式との関連を有する資料を中心に収集事業を行っており、コレクションの一部を展示する企画展を開催することもある。また、年に1度の「建物公開」のときは、館内撮影も可能(日時・期間は年によって変動)。
指定文化財
編集重要文化財(国指定)
編集- 旧朝香宮邸 4棟1基[8]
- 本館 附:供待所、内庭境門及び塀
- 茶室
- 倉庫
- 自動車庫 洗場附属
- 正門 東西脇門及び鉄製扉付、東西袖塀附属
- 附:門衛所
- 宅地30,915.95m2(池、鉄筋コンクリート塀を含む)
利用情報
編集- 休館日 - 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)[24]・年末年始・特別整理期間等
- 開館時間 - 概ね午前10時 - 午後6時(入館は午後5時30分まで)
- 入館料 - 展示内容により変動
- 庭園のみの場合は、一般 200円、大学生(短大・専門学校生を含む)160円、中高生・65歳以上 100円、小学生以下および都内在住在学の中学生は無料、他。
交通アクセス
編集脚注
編集- 注釈
- ^ 香水塔はアンリ・ラパンが1932年にデザインし、国立セーヴル製陶所で製作されたものである。香水塔には水が流れるような仕組みが施されていたので宮内省の図面などには「噴水器」との記述がされていたが、朝香宮が上部の照明部分に香水を施し、照明の熱で香りを漂わせたという由来から、後に「香水塔」と呼ばれるようになった。フランス、セーヴル陶製所では" Vase Lumineux Rapin"(ラパンの輝く器)と記録されている。
- 出典
- ^ 港区と皇室の近代:港区立郷土歴史館・宮内庁宮内公文書館共催特別展 図録. 港区立郷土歴史館、2020、p84-89
- ^ (藤森、1993)、p.193
- ^ 『門閥―旧華族階層の復権』佐藤朝泰、立風書房、1987年、p42
- ^ “東京都庭園美術館の大規模改修に伴う全面休館について”. 東京都生活文化局文化振興部企画調整課. 2011年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月11日閲覧。
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ “3月21日(水・祝)より総合開館いたします。”. 東京都庭園美術館 (2018年2月19日). 2018年3月28日閲覧。
- ^ “朝香宮邸(庭園美術館) | 実績紹介:教育・文化施設 | 戸田建設”. 戸田建設株式会社. 2024年5月26日閲覧。
- ^ a b 平成27年7月8日文部科学省告示第119号
- ^ (藤森、1993)、p.198
- ^ 『旧朝香宮邸のアール・デコ』、pp.33 - 34
- ^ (坂本、2004)、pp.38 - 39
- ^ (坂本、2004)、pp.40
- ^ (藤森、1993)、p.188 - 192
- ^ 『旧朝香宮邸のアール・デコ』、pp.13 - 31, 46 - 47
- ^ (藤森、1993)、p.201 - 202
- ^ (坂本、2004)、pp.39 - 40
- ^ 『旧朝香宮邸のアール・デコ』、pp.14 - 20
- ^ “朝香宮のペンギン (1)”. 梅覗軒ブログ (2011年1月22日). 2013年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月11日閲覧。
- ^ [2][リンク切れ]
- ^ “1/ 改修工事レポート 1”. 東京都庭園美術館リニューアル準備室便り. 東京都庭園美術館 (2012年9月4日). 2014年4月7日時点の1/ オリジナルよりアーカイブ。2020年3月1日閲覧。
- ^ “この建物からの卒業”. 東京都庭園美術館リニューアル準備室便り. 東京都庭園美術館 (2012年3月15日). 2012年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月11日閲覧。
- ^ “沿革”. 公益財団法人東京都歴史文化財団. 2020年3月11日閲覧。
- ^ 受賞対象名 - 美術館 [東京都庭園美術館] - GOOD DESIGN AWARD
- ^ “【重要なお知らせ】2021年4月より、毎週月曜日が休館日となります”. 東京都庭園美術館 (2021年3月1日). 2021年4月8日閲覧。
参考文献
編集- 『アール・デコの館 旧朝香宮邸』 増田彰久(写真) 藤森照信(文)、筑摩書房〈ちくま文庫〉、1993年(元版は三省堂、1986年)
- 『旧朝香宮邸のアール・デコ』 東京都庭園美術館編・発行、2004年
- 坂本勝比古「近代殿邸史のなかの朝香宮邸」解説
- 北風倚子 『朝香宮家に生まれて 侯爵夫人・鍋島紀久子が見た激動の時代』 PHP研究所、2008年
- 大給湛子 『素顔の宮家 私が見たもうひとつの秘史』 岩尾光代構成、PHP研究所、2009年
- 『開館30周年&リニューアルオープン記念 東京都庭園美術館30+1』 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都庭園美術館編・発行、2014年11月
- 『アール・デコ建築意匠 朝香宮邸の美と技法』 東京都庭園美術館編、鹿島出版会、2014年12月
外部リンク
編集- 東京都庭園美術館
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