Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

愛燦燦 (美空ひばりの曲)

1986年の美空ひばりのシングル

愛燦燦』(あいさんさん)は、1986年5月29日に発売された美空ひばりシングルである。

「愛燦燦」
美空ひばりシングル
B面 太鼓(オリジナル盤)
津軽のふるさと(1991年盤)
リリース
録音 1986年
日本の旗 日本
ジャンル 歌謡曲
レーベル 日本コロムビア
EP : AH-732
作詞・作曲 小椋佳(作詞、作曲)
チャート最高順位
美空ひばり シングル 年表
函館山から
1986年
愛燦燦
(1986年)
恋港
(1986年)
テンプレートを表示

概要

編集

作詞・作曲にはシンガーソングライター小椋佳が起用された。

本楽曲が製作されることになったきっかけは、「家族愛」をテーマに製作され、ハワイで撮影された『味の素』(うま味調味料)のCM映像のバック音楽をホリプロの若き映像プロデューサーだった岩上昭彦がひばりに歌唱させることを希望したことである。CMソングの製作者は最初から小椋にすることを考えていた。歌手はホリプロの所属歌手を検討したがイメージに合わず、岩上は「家族愛」のテーマに最も合致していると思われるひばりを希望した。当時のひばりは「歌謡界の女王」とも呼ばれていた芸能界大御所であり、無謀とも言えるオファーであったが、ひばりがこのオファーを受諾したため、完成したのが本楽曲である[1]

CMの映像を見た小椋がCM曲として最初に作詞・作曲した歌はテンポも軽やかな「轍(わだち)」という曲だった。しかし、コロムビアの担当ディレクターや広告主である味の素の「包容力がほしい」という意向によって、小椋にCM曲の取替えが伝えられた。そして、小椋が製作したのが「愛燦燦」である[1]。CMの映像では農家の主婦が中心に描かれ、彼女に太陽の光が燦々と当たる様子を見て、小椋は「燦々」という言葉をテーマにして曲作りをした[2]。放映当初は画面にクレジットされずいわば覆面シンガー扱いだったが、声質などからすぐに承知され、発表とともに画面上でもクレジットされるようになった。CMが作品として認められると共に彼女の歌唱力を示すエピソードとなった。

ひばりが亡くなった1989年末の『第40回NHK紅白歌合戦』では、ひばりと同じく三人娘の一人で大親友だった、雪村いづみがひばりの追悼として本楽曲を歌唱した。また、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』では、ひばりの生誕70周年を記念して、作詞・作曲を担当した小椋が生前のひばりの映像とのデュエットを披露した。

本楽曲が発売された5月29日はひばりの49歳の誕生日であり、1986年はひばりがデビュー40周年を迎えた年でもあった。

発売された1986年当時の売上は振るわなかったが、その後ロングヒットとなり、2019年時点ではひばりのシングル売上で歴代12位にランクインされている(日本コロムビア調べ)[3]。ひばりの遺作になった『川の流れのように』と並んでテレビ・ラジオなどで多く取り上げられており、数多くの歌手によってカバーされていることもあって、ひばりの死後も代表曲のひとつとして全世代に親しまれている。

収録曲

編集
オリジナル盤
  1. 愛燦燦
    作詞・作曲:小椋佳、編曲:若草恵
  2. 太鼓
    作詞・作曲:小椋佳、編曲:若草恵


1991年再発売盤
  1. 愛燦燦
    作詞・作曲:小椋佳、編曲:若草恵
  2. 津軽のふるさと
    作詞・作曲・編曲:米山正夫

カバー

編集
愛燦燦

脚注

編集
  1. ^ a b 「うたの旅人」朝日新聞、be on Saturday 2010年12月11日掲載
  2. ^ 女性自身2023年2月14日号・シリーズ人間「もう燃え尽きた…でも、余生も愛燦燦」p58-64
  3. ^ 美空ひばり ベスト30|ディスコグラフィ|美空ひばり、日本コロムビアオフィシャルサイト - 2020年6月16日閲覧。
  4. ^ 川崎鷹也カバーEP「白」特集|レビューと著名人5人のコメントで紐解かれる、川崎が紡ぐ歌声と物語”. 音楽ナタリー (2022年7月22日). 2022年9月15日閲覧。
  5. ^ “村上ゆき「夢一夜」から「じょいふる」までCM名曲カバー”. 音楽ナタリー (ナターシャ). (2012年11月21日). https://natalie.mu/music/news/80316 2016年9月12日閲覧。 
  6. ^ “山崎育三郎カバーアルバムに「女々しくて」「モーツァルト!」劇中歌など11曲”. ステージナタリー (ナターシャ). (2016年6月22日). https://natalie.mu/stage/news/191709 2016年6月22日閲覧。