弐キ参スケ
弐キ参スケ(にキさんスケ、2キ3スケ)は、満洲国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者のことである。
メンバー
編集以下の5人の実力者を指す。「弐キ参スケ」は彼らの名前の末尾からつけられた。
氏名 | 在満期間 | 離満前役職 | 離満後の主な役職 | |
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東條英機(とうじょう ひでキ) | 1935年 - 1938年 | 関東軍参謀長 | 第40代内閣総理大臣 | |
星野直樹(ほしの なおキ) | 1932年 - 1940年 | 国務院総務長官 | 第46代内閣書記官長 | |
鮎川義介(あゆかわ よしスケ) | 1937年 - 1942年 | 満洲重工業開発株式会社社長 | 参議院議員 | |
岸信介(きし のぶスケ) | 1936年 - 1939年 | 総務庁次長 | 第56-57代内閣総理大臣 | |
松岡洋右(まつおか ようスケ) | 1921年 - 1930年、1935年 - 1939年 | 満鉄総裁 | 第63代外務大臣 |
概要
編集第二次世界大戦終結後、5人ともA級戦犯容疑者として逮捕された。鮎川・岸の2人は不起訴となったが、東條・星野・松岡の3人は起訴された。東京裁判において、松岡は公判中に病死し、東條には死刑、星野には終身刑の判決が下った(星野は後に釈放)。
「弐キ参スケ」は、当時の満洲国での実力者を並べ称したものであり、彼ら全員に同盟関係があったというわけではない。岸は東條内閣の閣僚となったが、倒閣工作を行い、閣内不一致で東條内閣を退陣に追い込んでいる。
満洲三角同盟
編集5人のうち、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満洲三角同盟とも称された。3人はいずれも山口県周防地方の生まれ、育ちである。この3人の間には姻戚関係もある。