岡本茂 (内務官僚)
日本の内務官僚
岡本 茂(おかもと しげる、1898年〈明治31年〉5月7日 – 1980年〈昭和55年〉9月30日)は、日本の内務官僚、政治家。山口県知事(官選第27代)、富山県知事(官選第31代)、衆議院議員(4期)。旧姓は小野。
岡本茂 おかもと しげる | |
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生年月日 | 1898年5月7日 |
出生地 | 日本 奈良県 |
没年月日 | 1980年9月30日(82歳没) |
出身校 |
京都帝国大学法学部法律学科卒業 京都帝国大学法学部政治学科卒業 |
前職 | 大阪府内政部長 |
所属政党 |
(自由党→) (無所属→) 自由民主党 |
称号 | 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 奈良県全県区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1952年10月1日 - 1953年3月14日 1958年5月22日 - 1963年10月23日 1967年1月29日 - 1969年12月2日 |
官選 第27代 山口県知事 | |
在任期間 | 1945年10月27日 - 1946年1月25日 |
官選 第31代 富山県知事 | |
在任期間 | 1944年7月 - 1945年10月 |
経歴
編集奈良県出身。小野は奈の三男として生まれ、岡本佐七の養子となる。1924年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学にさらに一年間在学し、1925年に法学部法律学科を卒業。内務省に入省し滋賀県属となる。
1927年、島根県に移り、会計、学務、庶務の各課長を務める。以後、香川県警察部・新潟県警察部の各特別高等警察課長、満洲国国務院民政部総務科長、内務省社会局事務官、滋賀県書記官・警察部長、警視庁衛生部長、同保安部長、内務省計画局都市計画課長、同地方局振興課長、大阪府書記官・総務部長、同内政部長などを歴任。
1944年7月、富山県知事に就任[1]。富山大空襲、終戦への対応に忙殺された。1945年10月27日、山口県知事へ転じたが、1946年1月25日、公職追放となり退官した[1][2]。
1947年、皮革協会専務理事に就任。1952年10月の第25回衆議院議員総選挙で奈良県全県区に自由党から出馬し当選。以後、第28回、第29回、第31回総選挙で当選し、衆議院議員を通算四期務めた。
その他、第1次池田内閣の通商産業政務次官、衆議院懲罰委員長、皮革産業中央会会長、皮革産業協会会長、経済団体連合会理事、自由民主党政調会商工部長などを歴任した。
1969年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲三等からの昇叙)[3]。
1980年9月30日死去、82歳。死没日をもって銀杯一組を賜った[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
議会 | ||
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先代 堀川恭平 |
衆議院懲罰委員長 1968年 - 1970年 |
次代 篠田弘作 |
官職 | ||
先代 上田誠一 |
山口県知事 官選第27代:1945年-1946年 |
次代 青柳一郎 |
先代 西村彰一 |
富山県知事 官選第31代:1944年-1945年 |
次代 吉武恵市 |