小川賢太郎
日本の経営者
小川 賢太郎(おがわ けんたろう、1948年7月29日 - )は、日本の経営者。すき家などを展開するゼンショーの創業者で、代表取締役会長兼社長兼CEO。
おがわ けんたろう 小川 賢太郎 | |
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生誕 |
1948年7月29日(76歳) 日本 石川県 |
出身校 | 東京大学(中退) |
職業 | 実業家 |
子供 | 小川 一政(長男・株式会社ゼンショーホールディングス取締役副社長)、小川 洋平(次男・同社常務取締役) |
2017年より、国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)第2代会長。
来歴
編集石川県出身。東京都立新宿高等学校を経て、東京大学に進学するも、全共闘運動に関わり中退[1]。
港湾労働を経て、ベトナム戦争で「資本主義のもとで貧困をなくす」ことに目覚め、通信教育で中小企業診断士の資格を取得する[2]。
1978年、吉野家に入社。同社の倒産などをきっかけに独立し、1982年にゼンショーを創業。創業時に「全勝」「善意の商売」「禅の心で商売を行う」の3つの意味を込めて社名を命名した[1][3]。横浜市鶴見区の京急本線生麦駅前で、持ち帰り弁当店「ランチボックス」、すき家1号店を開店した[4][5]。
詳細は「ゼンショー#沿革」を参照
その後、M&Aで外食チェーンを次々と傘下に収め、強力なリーダーシップを発揮。2011年3月期連結決算では、連結売上高が日本マクドナルドホールディングスを上回り、外食最大手にまで成長させた[6]。
しかし2014年春には、インターネットなどで『すき家』の過酷な労働実態が話題となり[7][8]、社内に労働環境改善策を提言する第三者委員会が設置され、トップとして意識改革を求められることとなった[9][10]。
2017年1月、ライフコーポレーション創業者の清水信次の後任として、国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)第2代会長に就任した[11]。
脚注
編集- ^ a b フライデー (2010年6月20日). “経済の死角 すき家 小川賢太郎社長が語った「外食日本一への道」”. 講談社 2014年8月3日閲覧。(全文閲覧は要会員登録)
- ^ “全共闘、港湾労働、そして牛丼 小川社長インタビュー[1]発想の原点「資本主義のもとで貧困をなくす」”. 日経BP. (2010年9月21日) 2014年8月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 会社概要 社名の由来 ゼンショーホールディングス
- ^ “沿革:1982年-1990年 | 会社概要 | 企業情報”. ゼンショーホールディングス. 2021年2月19日閲覧。
- ^ “牛丼の「すき家」は横浜発祥だったって本当?”. はまれぽ.com (2012年4月17日). 2021年2月19日閲覧。
- ^ “ゼンショーが外食最大手に 売上高でマクドナルド抜く”. 共同通信社. (2011年5月13日) 2014年8月3日閲覧。
- ^ “「すき家」の人手不足がストライキ騒動までに拡大した理由”. 集英社. (2014年6月10日) 2014年8月6日閲覧。
- ^ “すき家「鍋の乱」で大量閉店の真相 バイトが明かす衝撃の勤務実態”. 日経BP. (2014年5月19日) 2014年8月6日閲覧。
- ^ “「すき家、深夜の1人勤務解消を」第三者委が提言 ゼンショー「是正すべきは是正」”. 日本経済新聞. (2014年7月31日) 2014年8月3日閲覧。
- ^ “それでも「すき家」は店を出す 第三者委員会がビジネスモデルの限界を指摘”. 東洋経済新報社. (2014年8月2日) 2014年8月3日閲覧。
- ^ 流通団体トップにゼンショー小川氏 ライフ清水氏の後任 日本経済新聞