富江利直
富江 利直(とみえ としなお、1910年〈明治43年〉8月15日[3][4] - 没年不明)は、新潟県糸魚川市出身の陸上競技(中距離走)選手。1936年ベルリンオリンピックに800メートル競走と1500メートル競走で出場した。
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Toshinao TOMIE [1][注釈 1] | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 中距離走 | |||
種目 | 800m走・1500m走 | |||
大学 | 明治大学 | |||
生年月日 | 1910年8月15日[3][4] | |||
生誕地 | 新潟県糸魚川市 | |||
身長 | 167cm(1933年)[4] | |||
体重 | 52kg(1933年)[4] | |||
800m | 1分56秒0(1936年)[2][3] | |||
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経歴
編集新潟県西頸城郡糸魚川町大町(現在の糸魚川市大町)出身[5]。糸魚川小学校を経て[5][4]、糸魚川中学校(現在の新潟県立糸魚川高等学校)卒業[4]。明治大学に進学[4]。
明治大学体育会競走部に所属し、1931年・1932年には日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)800m走で優勝[6][注釈 2]。東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)には1931年の第12回大会から1935年の第16回大会まで4回出場している(1934年の第15回には出走していない)[7]。800m走では、1932年に日本陸上競技選手権大会で2位となったほか、フィンランドとの国際競技会(日芬国際対抗)で優勝するなどの活躍を残しており、1932年ランキング2位(1分59秒8)となっている[4]。1934年には第10回極東選手権競技大会に出場した[8][注釈 3]。
明治大学卒業後[8]、1936年のベルリンオリンピックでは800メートル競走と1500メートル競走に出場[9](所属は仙台鉄道管理局[1])。800m走では予選で落選(1分59秒8)、1500m走では予選で途中棄権した[9]。
1937年の第24回日本陸上競技選手権大会では800m走で優勝(2分1秒1)[10]。
備考
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 「Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2024年3月1日閲覧。
- ^ a b “Toshitaka TOMIE”. IOC. 2024年3月1日閲覧。
- ^ a b c “Toshinao Tomie”. Olympedia. 2024年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 日本スポーツ協会 1933, p. トの部4.
- ^ a b 「糸小出身のオリンピック選手!!」『糸魚川市立糸魚川小学校学校だより 白馬童子』第10号、糸魚川市立糸魚川小学校、2020年1月25日、2024年3月1日閲覧。
- ^ “競走部紹介 インカレ歴代優勝者”. 明治大学体育会競走部公式ウェブサイト. 明治大学体育会競走部. 2024年3月1日閲覧。
- ^ “過去の記録 富江利直”. 東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト. 関東学生陸上競技連盟・読売新聞社. 2024年3月1日閲覧。
- ^ a b c “競走部紹介 昭和02年(1927年)~昭和21年(1946年)”. 明治大学体育会競走部公式ウェブサイト. 明治大学体育会競走部. 2024年3月1日閲覧。
- ^ a b “「富江、利直」の検索結果”. 日本代表選手団 記録検索. 公益財団法人日本オリンピック委員会. 2024年3月1日閲覧。
- ^ “過去の優勝者・記録 男子800m”. 第100回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2024年3月1日閲覧。
- ^ a b 「切磋琢磨と正義 1学期を振り返って・夏休みを向かえるにあたり」『小千谷市立南中学校だより ともに』第43号、小千谷市立南中学校、2013年7月22日、2024年3月1日閲覧。
参考文献
編集- 日本スポーツ協会 編『日本スポーツ人名辞典 昭和8年版』日本スポーツ協会、1933年 。
- 新潟日報 2010年11月23日 11面
関連項目
編集外部リンク
編集- 富江利直 - Olympedia