大宮市
大宮市(おおみやし)は、埼玉県県央部に存在していた市。東京都特別区部への通勤率は26.7%、浦和市への通勤率は5.5%(いずれも2010年国勢調査)。市制施行前は北足立郡に所属していた。
おおみやし 大宮市 | |||||
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廃止日 | 2001年(平成13年)5月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 大宮市、浦和市、与野市 → さいたま市 | ||||
現在の自治体 | さいたま市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 埼玉県 | ||||
市町村コード | 11205-4 | ||||
面積 | 89.37km2 | ||||
総人口 |
457,298人 (推計人口、2001年4月1日) | ||||
隣接自治体 | 上尾市、岩槻市、浦和市、川越市、蓮田市、富士見市、与野市 | ||||
市の木 | ケヤキ | ||||
市の花 | サクラ | ||||
市民の日 | 11月3日 | ||||
大宮市役所 | |||||
所在地 |
〒330-8501 埼玉県大宮市大門町三丁目1番地 | ||||
外部リンク | 大宮市(閉鎖) | ||||
座標 | 北緯35度54分23秒 東経139度37分43秒 / 北緯35.90631度 東経139.62856度座標: 北緯35度54分23秒 東経139度37分43秒 / 北緯35.90631度 東経139.62856度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2001年(平成13年)に旧県庁所在地の浦和市、与野市と合併し、新しい県庁所在地としてさいたま市が誕生し当市は廃止された。2003年(平成15年)、同市の政令指定都市移行・区制施行に伴い、おおむね旧市域にあたる部分に西区、北区、大宮区、見沼区の4区が設置された[1]。中心市街地は巨大ターミナル駅である大宮駅周辺で現在でも首都圏有数の繁華街である。旧大宮市域を総称して「大宮地区」と言う。
歴史
編集古代に武蔵国一宮である氷川神社の鳥居前町として、また江戸時代以後は中山道の宿場町である大宮宿として発達した。大宮宿は当初、本村、北原、甚之丞新田、右衛門八分、新宿中町、新宿下町、吉敷新田の7村からなっていたが、後年は宮町、大門町、仲町、下町、吉敷町で構成された。江戸から近い割には大きな宿場であり、1843年(天保14年)時点で人口は1,508人で、県内の中山道の宿場町の中では本庄宿、熊谷宿、鴻巣宿、蕨宿、深谷宿に次ぐ規模であったが、脇本陣は9軒と一番多かった。紀州藩の鷹場本陣も置かれていた。
明治維新の1869年(明治2年)1月28日、廃藩置県によって大宮県が設置されたが、県庁は暫定的に東京府馬喰町四丁目に置かれた。8カ月後の同年9月には浦和県(その後埼玉県)に改称し、県庁は浦和へ置かれ現在に至っており、結局大宮に県庁が設置されることはなかった。1883年には日本鉄道第一期線(上野駅 - 熊谷駅、現・高崎線)が開業したが、浦和駅と上尾駅の間に大宮駅は設置されなかった。明治維新以後、街道の役割が低下し、周囲に田畑が広がるのみであった大宮宿の戸数は243戸まで落ち込んでいたことが原因であった。白井助七らが町の衰退を阻止するため駅の誘致を進め、第二期線(大宮駅 - 青森駅、現・東北本線)の分岐点に1885年、大宮駅が置かれた。のちに駅北側には国鉄大宮工場や大宮鉄道病院、南側には大宮操車場などが所在し、旧国鉄も全国12か所の鉄道の町の一つとして公認し、一転「鉄道の街」として労働者が集い人口が増加していった。その後さいたま市発足後の平成時代の2007年には、東京都千代田区に存在した交通博物館が移転し、現在の大宮区大成町に鉄道博物館が開業した。
1940年に県内5番目に市制施行。東京都心から30 ㎞圏内に位置し、郊外住宅地として戦後も隣接する浦和市同様、高度成長期の東京都市圏の拡大の中で大幅に人口が拡大し、宅地化が進んだ。また大宮駅は1982年には東北新幹線・上越新幹線が開業した他、1983年にはニューシャトル、1985年には埼京線の開業並びに川越線の電化が実現し、鉄道交通網が発達し、大宮駅は県内最大かつ首都圏有数の規模のターミナル駅へと発展した。大宮駅周辺は元々氷川神社がある東口が発展していたが、西口(特に桜木町など)の再開発も進み、新幹線開業の1982年に大宮駅西口DOMショッピングセンターが、1987年には大宮そごうが、1988年には大宮ソニックシティが開業した。埼玉県の県政、文化の中心都市となった浦和市に対して、大宮市は埼玉県の交通、商業の中心都市として発展した。特に商業においては新幹線開業以前から大宮駅東口の顔である百貨店の高島屋大宮店と県内2位の売上となっている大宮駅西口のそごう大宮店などを擁し、さいたま市発足前の時点で大宮市は県内第1位の商品販売額を誇っていた。
1990年代には40万人都市となり、1996年には大宮駅西口に大宮アルシェが開業した他、1999年からはプロサッカークラブ・大宮アルディージャの本拠地となっている。
2001年5月1日に南側に隣接する県庁所在地であった浦和市、浦和市と大宮市に挟まれる形で存在していた与野市と合併し「さいたま市」となって消滅した。
さいたま市発足後には旧市内の南部である現在の大宮区吉敷町(さいたま新都心付近)にコクーンシティが、北部では現在の北区宮原町にもステラタウンがそれぞれ2004年に開業した。そして2022年には大宮駅東口の再開発により、大宮区大門町に大宮門街が開業し、さいたま市民会館おおみや(旧・大宮市民会館)が移転した。
年表
編集市制以前の歴史については、前身の一つである「大宮町 (埼玉県)」も参照。
- 1591年(天正19年) - 浦和宿と上尾宿の間の馬継場であった場所に大宮宿が設けられる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県・岩槻県と合併し、埼玉県となる。
- 1883年(明治16年)7月28日 - 日本鉄道第一区線 上野駅 - 熊谷駅間が開業する。大宮に駅は設けられなかった。
- 1885年(明治18年)
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い[2]、北足立郡大宮宿・土手宿村・上天沼村・下天沼村・高鼻村が新設合併し大宮町となる。
- 1898年(明治31年)7月15日 - 大宮商業銀行が設立。
- 1906年(明治39年)4月16日 - 川越電気鉄道が開業(1941年廃止)。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、秋葉原駅 - 青森駅間が東北本線、大宮駅 - 高崎駅間が高崎線と命名される。
- 1913年(大正2年) - 電灯が使用可能になる[3]。
- 1914年(大正3年)6月-9月 - 町民らが川越電力に対し、電気料金値下げを要求するため同盟消灯を実施。値下げを実現させる[4]。
- 1929年(昭和4年)11月17日 - 総武鉄道(現在の東武野田線)粕壁駅 - 大宮駅(仮駅。現在地とは異なる)間が開業。同線に大宮駅・大宮公園駅・大和田駅・七里駅が開業。
- 1930年(昭和5年)4月12日 - 総武鉄道に北大宮駅が開業。
- 1932年(昭和7年)
- 1940年(昭和15年)
- 1945年(昭和20年)4月13日 - 太平洋戦争末期に小規模な空襲を受ける(宮町・大門町付近)[2]。
- 1948年(昭和23年)7月15日 - 高崎線に宮原駅が開業。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村を編入合併する。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 国道17号大宮バイパスが開通する[2]。
- 1964年(昭和39年)3月20日 - 東北線に東大宮駅が開業。
- 1965年(昭和40年)10月1日 - 埼玉県内の国鉄の駅としては初めて大宮駅に特急電車の停車が開始[2]。
- 1966年(昭和41年)9月29日 - 盆栽町に大宮市立漫画会館(現・さいたま市立漫画会館)が落成する[2]。
- 1969年(昭和44年)12月27日 - 大宮市内の国道17号新大宮バイパスが供用開始[2]。
- 1974年(昭和49年)
- 1980年(昭和55年)11月1日 - 1975年に市制施行35周年記念事業として計画された大宮市立博物館(現・さいたま市立博物館)が開業。
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)9月30日 - 埼京線が開業。
- 1988年(昭和63年)1月30日 - 岩槻市と境界変更。
- 1990年(平成2年)3月10日 - 東北線 上野駅 - 黒磯駅間に「宇都宮線」の愛称が制定される。
- 1996年(平成8年)4月 - インターネットホームページを開設する[8]。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)3月 - 三菱マテリアル(旧三菱金属)中央研究所の原子炉跡地における放射性廃棄物による放射能汚染が発覚。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。旧大宮市役所はさいたま市大宮総合行政センターとなる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行。おおむね旧大宮市域にあたる区域に西区、北区、大宮区、見沼区が設置される。旧大宮市役所庁舎は初代大宮区役所庁舎となり、2019年(令和元年)5月7日に吉敷町一丁目に移転するまで利用された。
- 2014年(平成26年)4月1日 - おおむね旧大宮市域である西区、北区、大宮区、見沼区の推計人口の合計が50万人を超える(西区:85,995人、北区:142,436人、大宮区:111,883人、見沼区:159,799人で合計500,113人)。
人口
編集2018年時点で、おおむね旧市域にあたる4区の総人口は約51万人となっており、川口市(約60万人、旧鳩ヶ谷市分含む)、旧浦和市(約57万人)に次ぐ3番目を維持している。 住民基本台帳人口による合併後のおおむね旧大宮市域にあたる4区の人口変動。すべて4月1日現在(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)[9]。
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なお、さいたま市発足後におけるおおむね旧大宮市域にあたる4区の国勢調査での人口は2005年(平成17年)では472,515人、2010年(平成22年)では487,332人、2015年(平成27年)では505,543人、2020年(令和2年)では524,655人であった。
行政
編集歴代市長
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 期・備考 | 出典 |
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— | 笠原眞作 | 1940年11月3日 | 1941年1月20日 | 市長職務管掌者 埼玉県地方課長として埼玉県より派遣 |
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初 | 今井五六 | 1941年1月20日 | 1944年5月2日 | 1期 | [10] |
2 | 戸田由美 | 1944年5月30日 | 1945年3月17日 | 1期 | [10] |
3 | 加藤睦之介 | 1945年5月26日 | 1946年3月12日 | 1期 | [10] |
4 | 今井五六 | 1946年6月14日 | 1946年11月12日 | 1期(2期目) | [10] |
5 | 津川辰政 | 1947年4月8日 | 1951年4月7日 | 1期・当代以降は公選制により選出 | [10] |
6 | 1951年4月8日 | 1955年5月1日 | 2期 | ||
7 | 清水虎尾 | 1955年5月2日 | 1959年5月1日 | 1期 | [10] |
8 | 秦明友 | 1959年5月2日 | 1963年5月1日 | 1期 | [10] |
9 | 1963年5月2日 | 1967年5月1日 | 2期 | ||
10 | 1967年5月2日 1969年12月21日 |
1969年11月23日 1971年5月1日 |
3期 | ||
11 | 1971年5月2日 | 1975年5月1日 | 4期 | ||
12 | 1975年5月2日 | 1978年6月24日 | 5期 | ||
13 | 馬橋隆二 | 1978年8月6日 | 1982年8月5日 | 1期 | |
14 | 1982年8月6日 | 1986年8月5日 | 2期 | ||
15 | 1986年8月6日 | 1990年8月5日 | 3期 | ||
16 | 新藤享弘 | 1990年8月6日 | 1994年8月5日 | 1期 | |
17 | 1994年8月6日 | 1998年8月5日 | 2期 | ||
18 | 1998年8月6日 | 2001年4月30日 | 3期、合併によるさいたま市の設置に伴い失職 |
歴代助役
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 期・備考 | 出典 |
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初 | 清水虎尾 | 1941年1月20日 | 1943年9月17日 | 1期 | [10] |
2 | 戸田由美 | 1943年9月27日 | 1944年5月30日 | 1期 | [10] |
3 | 清水東洋雄 | 1944年7月9日 | 1945年6月11日 | 1期 | [10] |
4 | 藤倉育太郎 | 1945年10月10日 | 1947年5月22日 | 1期 | [10] |
5 | 1947年5月23日 | 1951年5月22日 | 2期 | ||
6 | 1951年5月23日 | 1955年4月7日 | 3期 | ||
7 | 木村伍郎平 | 1956年1月23日 | 1959年8月31日 | 1期 | [10] |
8 | 柴田賢治郎 | 1959年12月23日 | 1963年12月22日 | 1期 | [10] |
9 | 1963年12月23日 | 1967年12月22日 | 2期 | ||
10 | 大野俊雄 | 1968年4月1日 | 1972年3月31日 | 1期 | [10] |
11 | 1972年4月1日 | 1975年8月31日 | 2期 | ||
12 | 倉持進 | 1975年10月3日 | 1978年9月25日 | 1期 | [10] |
13 | 前原正雄 | 1978年10月5日 | — | 1期 | [10] |
この節の加筆が望まれています。 |
本社を置いた主な企業
編集- さいたま市#経済を参照
姉妹都市・提携都市
編集教育
編集交通
編集JR大宮駅などがあり、詳しくは上記を参照。
施設
編集名誉市民
編集出身著名人
編集脚注
編集- ^ “さいたま市 / さいたまWeb / 将来の行政区の区割りに関する方針について”. www.city.saitama.jp. 2020年1月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大宮のむかしといま』資料-2-11頁。
- ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p.390 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
- ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、395頁。ISBN 4-309-22361-3。
- ^ 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日、117-123頁。
- ^ “統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象” (PDF). 上尾市. p. 4 (2019年5月30日). 2019年10月11日閲覧。
- ^ 高まる週休二日制熱 ためらう国よそ目に『朝日新聞』昭和49年(1974年)10月3日朝刊、21面
- ^ “市報「おおみや」平成8年4月号 ホットライン その6”. 大宮市. 1997年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月11日閲覧。
- ^ http://www.city.saitama.jp/006/013/005/001/jikeiretsu.html さいたま市の人口・世帯(時系列結果)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『大宮のむかしといま』資料-22頁。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
関連項目
編集外部リンク
編集- 大宮市ホームページ(2000年12月5日時点のインターネットアーカイブキャッシュ)