出雲路信直
出雲路 信直(いずもじ のぶなお、1650年4月2日(慶安3年3月2日) - 1703年5月5日(元禄16年3月20日))は、江戸時代初期の京都下御霊神社神主。神道学者。山崎闇斎門人。号は八鹽道翁(やしおじのおきな)。
来歴
編集諱は信直。初め板垣民部信直と称し、のち家号を出雲路と改める。
下御霊神社
編集親族
編集板垣氏の祖は清和源氏義光流(甲斐源氏)武田氏の支流で、板垣信方の嫡子である板垣信憲の次男、板垣正寅[2]に出る。正寅の子が板垣正善である。
脚注
編集- ^ 山口和夫 著「霊元院政について」、今谷明; 高埜利彦 編『中近世の宗教と国家』岩田書院、1998年。ISBN 4872941209。/所収:山口和夫『近世日本政治史と朝廷』吉川弘文館、2017年、229-230頁。ISBN 9784642034807。
- ^ 『遠碧軒記』黒川道祐著による。一名「板垣正演」とも。
参考文献
編集- 『出雲路信直日記』
- 『出雲路家略系譜』
- 『遠碧軒記』黒川道祐著