位封
位封(いふ)とは、日本の律令制において官人に支給した封戸(食封)の1つである。おおよそ三位以上に与えられた。
7世紀半ばの大化改新詔に、大夫(後世の五位相当以上)に食封を給する規定があるが、実際の支給が確認できるのは飛鳥浄御原令期以降である。
8世紀初頭の大宝令では、位封は三位以上に給付することとした。四位・五位には従前の位封に代え位禄を給付することとした。親王・内親王には、品封が支給された。封戸は12世紀初め頃までは支給されていたが、実際には摂関・大臣級のみが対象とされ、それ以外の公卿の位封は滞りがちであった。
ただし、四位・五位の位禄への切り替えは遅れ、慶雲2年11月4日(705年11月24日)まで位封が支給された。五位には翌年切り替えが行われた。しかし慶雲3年2月16日(706年4月3日)には勅が出され、四位の位禄への切り替えを取りやめ、従前の位封の支給とした。また、この時に三位以上の増額も行われている。
だが、その後の財政難によって大同3年10月19日(808年11月10日)に四位の位封を中止し位禄に切替え、三位以上の増額も中止し、大宝令・養老令の規定通りに実施されることとなった。その後、10世紀初頭の延喜式においてもこの規定が用いられたが、この時期から支給は困難となり、遅くても延長3年(925年)頃には位封・品封・位禄の1/4削減が定制化され、『拾芥抄』に見られる数字になったと考えられている[1]。
職事官は年120日以上、散位は2年以上理由なく出勤しなければ支給が停止され、致仕した者は在任中の位封が終身支給された。封主(支給対象者)が死亡した時にはその年の分までその家に支給された。女子の叙位者は男子の半額支給されたが、天皇の后妃である妃・夫人・嬪は男性と同額とされ、後に宮人でも重要な地位を占める尚蔵・尚侍も同様の措置を受けた。
大宝令・養老令 | 慶雲3年制 | 大同3年制・延喜式 | 拾芥抄 | |
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正一位 | 300 | 600 | 300 | 225 |
従一位 | 260 | 500 | 260 | 195 |
正二位 | 200 | 350 | 200 | 150 |
従二位 | 170 | 300 | 170 | 128 |
正三位 | 130 | 250 | 130 | 98 |
従三位 | 100 | 200 | 100 | 75 |
正四位 | * | 100 | * | * |
従四位 | * | 80 | * | * |
- * 印は、代わって、位禄の支給へ切り替えられた。
脚注
編集- ^ 山下信一郎「平安時代の給与制と位禄」(初出:『日本歴史』第587号/増補所収:山下『日本古代の国家と給与制』(吉川弘文館、2012年) ISBN 978-4-642-04601-5)
- ^ 『国史大辞典』「位封」項目(執筆者:水野柳太郎)所収“品封・位封表”及び『平安時代史事典』「位封」項目(執筆者:阿部猛)所収“品封・位封支給戸数”を基に作成。
参考文献
編集- 水野柳太郎「位封」『国史大辞典 1』(吉川弘文館、1979年) ISBN 978-4-642-00501-2
- 阿部猛「位封」『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7