中山神社
中山神社(なかやまじんじゃ)は、岡山県津山市一宮にある神社。式内社(名神大社)、美作国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
中山神社 | |
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拝殿(手前)と本殿(奥) | |
所在地 | 岡山県津山市一宮695 |
位置 | 北緯35度6分0.7秒 東経133度59分40.5秒 / 北緯35.100194度 東経133.994583度座標: 北緯35度6分0.7秒 東経133度59分40.5秒 / 北緯35.100194度 東経133.994583度 |
主祭神 | 鏡作神 |
社格等 |
式内社(名神大) 美作国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
創建 | (伝)慶雲4年(707年) |
本殿の様式 | 中山造 |
別名 | 仲山大明神・南宮 |
例祭 | 4月29日(御田植祭) |
主な神事 | 御注連祭 |
地図 |
社名は現在「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。別称として「仲山大明神」や「南宮」とも。
祭神
編集祭神は次の3柱。これらは『中山神社縁由』に基づく。
- 主祭神
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- 鏡作神(かがみつくりのかみ)
- 相殿神
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- 天糠戸神(あめのぬかどのかみ)
- 石凝姥神(いしこりどめのかみ)
『延喜式頭注』には大己貴命、『作陽誌』には吉備武彦命、『大日本史』や『神祇志料』には吉備津彦命と記されている。他に金山彦命とする説もある。『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、当社の祭神は猿神であるとされている。
歴史
編集創建
編集社伝(『中山神社縁由』)では、慶雲4年(707年)に、伽多野部長者乙丸(肩野物部乙丸とも)が祀っていた大己貴命の宮所を中山神に譲ったことで中山神社が成立したという。なお、乙丸は弓削庄に移住した。
実際の創建としては、和銅6年(713年)美作国が備前国から分立した時に吉備中山から勧請を受けたものと推測する説がある。
概史
編集国史では、貞観2年(860年)に「中山神」の神階が従四位下に昇叙された記事のほか、貞観6年(864年)に官社に列し、貞観7年(865年)に従三位、貞観17年(875年)に正三位に昇叙された旨が記されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では美作国苫東郡に「中山神社 名神大」と記載され、美作国では唯一の名神大社に列している。また、中世からは美作国の一宮として崇敬された。
天文2年(1533年)、尼子晴久の美作攻めの際、境内に陣を置く敵を攻略するために火が放たれ、社殿が焼失した。美作平定後の永禄2年(1559年)、晴久自身によって再建された。
明治4年に近代社格制度において国幣中社に列し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
神階
編集境内
編集- 本殿
- 永禄2年の尼子晴久による再建で、入母屋造妻入の他地方には例を見ない「中山造」と呼ばれる構造をとる。国の重要文化財に指定されている。
- 神門(建造物)
- 鳥居
- 境内正面入口のものは「中山鳥居」と呼ばれる独特の構造である。
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拝殿
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神楽殿
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神門(津山市指定文化財)
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鉾立石
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ケヤキ(津山市指定天然記念物)
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御旅所
摂末社
編集摂末社はかつては112社あったが、尼子晴久の美作攻略の際に焼失し、現在は5社のみが残る。
- 総神殿(惣神殿) - 祭神:山上山下120社。社殿は津山市指定重要文化財に指定されている。
- 国司社(くにししゃ) - 祭神:大国主命。
- 御先社 - 祭神:稲荷神。
- 猿神社 - 祭神:猿多彦神。本殿裏に鎮座。『今昔物語集』等の記述はこの猿神社に由来するものと伝える。
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総神殿(惣神殿)(津山市指定文化財)
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国司社
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御先社
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猿神社
祭事
編集12月に行われる御注連祭(おんしめまつり)は、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)のときに当社を含め各地の社寺で行われた異国降伏祈願に由来するもので、かつては鉾祭・鉾立祭と呼んでいた。
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集- 本殿(建造物)
- 室町時代後期、永禄2年(1559年)の造営。大正3年(1914年)4月17日指定[2]。
津山市指定文化財
編集現地情報
編集所在地
交通アクセス
脚注
編集参考文献
編集- 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』(山川出版社、1991年)197-198頁
- 現地説明板
関連項目
編集- 美甘政和 - 宮司