ミケル・ジョン・オビ
ミケル・ジョン・オビ(Mikel John Obi)ことジョン・マイケル・ンチェクベ・オビンナ(John Michael Nchekube "MIKEL" Obinna、1987年4月22日 - )は、ナイジェリア・ジョス出身の元サッカー選手。元ナイジェリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。レッジーナ1914所属のジョエル・オビはいとこである。
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ナイジェリア代表でのミケル・ジョン・オビ(2018年) | ||||||||||||||
名前 | ||||||||||||||
本名 |
ジョン・マイケル・ンチェクベ・オビンナ John Michael Nchekube Obinna | |||||||||||||
愛称 | ミケル(MIKEL) | |||||||||||||
ラテン文字 | MIKEL | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | ナイジェリア | |||||||||||||
生年月日 | 1987年4月22日(37歳) | |||||||||||||
出身地 | ジョス | |||||||||||||
身長 | 188cm | |||||||||||||
体重 | 86kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | MF | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
2002-2004 | プラテアウ・ユナイテッド | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
2004-2006 | リン | 6 | (1) | |||||||||||
2006-2017 | チェルシー | 249 | (1) | |||||||||||
2017-2018 | 天津泰達 | 31 | (3) | |||||||||||
2019 | ミドルスブラ | 18 | (1) | |||||||||||
2019-2020 | トラブゾンスポル | 19 | (0) | |||||||||||
2020-2021 | ストーク・シティ | 39 | (0) | |||||||||||
2021 | アル・クウェート | 0 | (0) | |||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
2005-2019 | ナイジェリア | 91 | (6) | |||||||||||
2016 | ナイジェリア 五輪 | 6 | (1) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集クラブ
編集18歳でマンチェスター・ユナイテッドFCとチェルシーFCがあらゆる手段を駆使した獲得争いを繰り広げていた選手である。 主に中盤の底でプレーし、ドリブル、スルーパス、FKとハイレベルなスキルを備える。2005 FIFAワールドユースでシルバーボール賞を受賞した。
元マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが3年もの間追い続け、2005年4月末にマンチェスター・ユナイテッドが彼の獲得でFCリン・オスロと合意と発表したが彼の所有権はリンではなくチェルシーが持っていたためチェルシー側がこれを不服として抗議、結局この移籍は取り消された。その後金の積み合いとなったが、最終的にチェルシーが1600万ポンド(当時では約33億円)の移籍金で獲得した。しかし、マンチェスター・ユナイテッドとの関係を悪くしないようにするためか、移籍金の4分の3の1200万ポンドはマンチェスター・ユナイテッドへ、残りの400万ポンドがミケル自身に渡されることで決着した。
チェルシー加入後は主に控え選手として試合に出場していたが、レディングFC戦でレッドカードを提示され、退場となってしまった。その後は出場機会をなくしてしまっていたが、リーグ戦の対ウィガン・アスレティックFC戦で控えとして出場し、リーグ・カップのマクルズフィールド・タウンFC戦で1ゴールを決め、チームの勝利に貢献した。
2017年1月6日には、11年間在籍したチェルシー時代に別れを告げた。
2020年8月17日、ストーク・シティFCに移籍した[3]。
2021年7月1日、アル・クウェートSCに移籍[4]。同年11月4日に退団[5]。
2022年9月27日、現役引退を発表した[6]。
エピソード
編集- 2003年にフィンランドで行われたFIFA U-17ワールドカップに出場した際、ユニフォームに"MICHAEL"のスペルが"MIKEL"と間違ってプリントされていた。それを気に入ったらしく、それからはミケルという名前を登録名としている。
- 2006-07シーズンにチェルシーがFAカップで優勝したが、誤って優勝カップを落として傷をつけてしまった。
- 主将として出場した2018 FIFAワールドカップ ロシア大会では、グループリーグ第3戦目のアルゼンチン戦の4時間前に父親が再び誘拐される事件が発生した[9]。ミケルはそれを知りながら、関係者やチームメイト等には一切明かさず試合にフル出場している(試合は1-2で敗れ、グループリーグ敗退が決定した)。後に父親は拷問による怪我を負うも無事に解放された。
個人成績
編集クラブでの成績
編集2020年3月17日現在 出典:soccerway.com
クラブ | シーズン | リーグ戦 | カップ戦 | リーグ杯 | UCL[* 1] | UEL[* 2] | その他 | 合計 | ||||||||
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リーグ | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | ||
FKリン | 2004 | エリテセリエン | 4 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | - | 4 | 0 | ||||
2005 | 2 | 1 | 0 | 0 | - | - | - | - | 2 | 1 | ||||||
合計 | 6 | 1 | 0 | 0 | - | - | - | - | 6 | 1 | ||||||
チェルシー | 2006-07 | プレミアリーグ | 22 | 0 | 6 | 2 | 4 | 0 | 9 | 0 | - | 1 | 0 | 42 | 2 | |
2007-08 | 29 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 39 | 0 | |||
2008-09 | 34 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | - | - | 49 | 0 | ||||
2009-10 | 25 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
2010-11 | 28 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | - | 1 | 0 | 37 | 0 | |||
2011-12 | 22 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | - | - | 37 | 0 | ||||
2012-13 | 22 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 38 | 0 | ||
2013-14 | 24 | 1 | 2 | 1 | 2 | 0 | 7 | 0 | - | 1 | 0 | 36 | 2 | |||
2014-15 | 18 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 2 | 1 | - | - | 26 | 1 | ||||
2015-16 | 25 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | - | - | 31 | 1 | ||||
2016-17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | |||||
合計 | 249 | 1 | 32 | 3 | 20 | 0 | 59 | 2 | 4 | 0 | 8 | 0 | 372 | 6 | ||
天津泰達 | 2017 | 超級 | 13 | 1 | 0 | 0 | – | – | – | – | 13 | 1 | ||||
2018 | 18 | 2 | 0 | 0 | – | – | – | – | 18 | 2 | ||||||
合計 | 31 | 3 | 0 | 0 | – | – | – | – | 31 | 3 | ||||||
ミドルズブラ | 2018-19 | EFLチャンピオンシップ | 18 | 1 | 1 | 0 | – | – | – | – | 19 | 1 | ||||
トラブゾンスポル | 2019-20 | スュペル・リグ | 18 | 0 | 0 | 0 | – | – | 5 | 0 | – | 23 | 0 | |||
総通算 | 322 | 6 | 33 | 3 | 20 | 0 | 59 | 2 | 9 | 0 | 8 | 0 | 451 | 11 |
ナイジェリア代表
編集出典:national-football-teams.com
ナイジェリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 5 | 1 |
2007 | 4 | 0 |
2008 | 8 | 1 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 8 | 0 |
2011 | 8 | 0 |
2012 | 2 | 1 |
2013 | 17 | 1 |
2014 | 13 | 0 |
2015 | 3 | 0 |
2016 | 5 | 1 |
2017 | 4 | 1 |
2018 | 5 | 0 |
2019 | 4 | 0 |
通算 | 91 | 6 |
代表での得点
編集# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果[* 1] | 大会 |
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1. | 2006年1月27日 | ポートサイド・スタジアム(ポートサイド) | ジンバブエ | アフリカネイションズカップ2006 | ||
2. | 2008年1月29日 | セコンディ・タコラディ・スタジアム(セコンディ・タコラディ) | ベナン | |||
3. | 2012年10月13日 | U. J. エスエネ・スタジアム(キャラバー) | リベリア | アフリカネイションズカップ2013予選 | ||
4. | 2013年6月20日 | アレーナ・フォンチ・ノヴァ(サルヴァドール) | ウルグアイ | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 | ||
5. | 2016年11月12日 | ゴッズウィル・アクパビオ・国際スタジアム(ウヨ) | アルジェリア | 2018 FIFAワールドカップ予選 | ||
6. | 2017年9月1日 | カメルーン |
- ^ 勝(○)、分(▲)、敗(●)
タイトル
編集クラブ
編集- UEFAチャンピオンズリーグ:2011-12
- UEFAヨーロッパリーグ:2012-13
- プレミアリーグ:2009-10, 2014-15
- FAカップ:2006-07, 2008-09, 2009-10, 2011-12
- フットボールリーグカップ:2006-07, 2014-15
- FAコミュニティ・シールド:2009
- テュルキエ・クパス : 2019-20
代表
編集- ナイジェリア代表
- アフリカネイションズカップ: 2013
- ナイジェリアU23
- オリンピック: 2016リオデジャネイロ
脚注
編集- ^ ミケル、チェルシーに別れを告げ中国移籍を表明。クラブからも正式発表:.footballchannel 2017年1月6日
- ^ “Champions League Winner John Obi Mikel Joins Boro”. www.mfc.co.uk (2019年1月24日). 2019年1月24日閲覧。
- ^ “Obi Mikel completes switch”. stokecityfc.com (2020年8月17日). 2020年9月10日閲覧。
- ^ “John Obi Mikel”. Stoke City. 2021年9月14日閲覧。
- ^ “元チェルシーのミケルがクウェートSCを4カ月で退団…出場は2試合のみ”. 超ワールドサッカー. (2021年11月6日) 2022年9月28日閲覧。
- ^ “35歳のミケルが現役引退…チェルシーやナイジェリア代表で活躍”. 超ワールドサッカー. (2022年9月28日) 2022年9月28日閲覧。
- ^ “チェルシーのミケル、誘拐された父親の解放願う”. ロイター. (2011年8月16日) 2011年8月23日閲覧。
- ^ “チェルシーMFミケルの誘拐されていた父親が無事解放”. サッカーキング. (2011年8月23日) 2011年8月23日閲覧。
- ^ “衝撃!W杯ナイジェリア代表主将、試合直前に「父親が誘拐」…誰にも知らせずに戦う”. qoly. (2018年7月3日)
外部リンク
編集- Mikel John Obi - Soccerbase
- soccernet.espn.go.com
- ミケル・ジョン・オビ – FIFA主催大会成績