マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム
マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム(ウルドゥー語:مریم الزمانی بیگم صاحبہ, Maryam uz-Zamani Begum, 1542年10月1日 - 1623年5月19日)は、北インド、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルの妃。同国第4代皇帝ジャハーンギールの母でもある。ハルカー・バーイー(Harka Bai)、ジョーダー・バーイー(Jodha Bai)、ヒール・クンワーリー(Heer Kunwari)とも呼ばれる。
マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム مریم الزمانی بیگم صاحبہ | |
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ムガル帝国后妃 | |
マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム | |
出生 |
1542年10月1日 アンベール |
死去 |
1623年5月19日 アーグラ |
埋葬 | マリヤム・ウッザマーニー廟 |
配偶者 | アクバル |
子女 |
ジャハーンギール ダーニヤール ほか |
父親 | バール・マル |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
編集1542年10月1日、アンベール王国の君主バール・マルの娘として生まれた。 兄弟にはバグワント・ダースがいる。
1562年、父バール・マルはムガル帝国の皇帝アクバルと同盟を結び、ハルカー・バーイーを盟約の証として皇帝に嫁がせた[1]。 同年2月6日、二人の結婚式はアンベール付近のサーンバルで執り行われた[2]。
ハルカー・バーイーはムスリムと結婚したものの、ヒンドゥー教から改宗することはなかった。とはいえ、彼女はムスリム風の「マリヤム・ウッザマーニー」(時代のマリヤ)の称号を名乗った[3]。
1569年8月31日、マリヤム・ウッザマーニーはファテープル・シークリーで、アクバルの皇子サリームを出産した[4][2]。これがのちの皇帝ジャハーンギールである。
1572年9月11日、マリヤム・ウッザマーニーは別の皇子ダーニヤールをアジュメールで出産した[2]。
1605年10月、アクバルが死亡したのちも、マリヤム・ウッザマーニーは皇太后としてジャハーンギールの治世を生きた。
1623年5月19日、マリヤム・ウッザマーニーはアーグラで死亡した[2]。死後、同年から1627年にかけて、マリヤム・ウッザマーニー廟がアクバル廟から1キロの地点に建設された。
脚注
編集参考文献
編集- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。