ポール・ハンリー
ポール・ジェイソン・ハンリー(Paul Jason Hanley, 1977年11月12日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の男子プロテニス選手。「ハンドルズ」(Handles)という愛称で呼ばれている。2005年ウィンブルドン選手権と2011年全豪オープン混合ダブルスで準優勝した。サービスとフォアハンド・ストロークを武器にした選手。身長183cm、体重76kg、右利き。
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ポール・ハンリー | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Paul Jason Hanley | |||
愛称 | Handles (ハンドルズ) | |||
国籍 | オーストラリア | |||
出身地 | 同・メルボルン | |||
生年月日 | 1977年11月12日(47歳) | |||
身長 | 183cm | |||
体重 | 76kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1997年 | |||
引退年 | 2014年 | |||
ツアー通算 | 26勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 26勝 | |||
生涯通算成績 | 451勝325敗 | |||
シングルス | 0勝3敗 | |||
ダブルス | 451勝322敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,871,560 | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト4(2006・07) | |||
全仏 | ベスト4(2003) | |||
全英 | ベスト4(2004) | |||
全米 | ベスト4(2006・07) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全豪 | 準優勝(2011) | |||
全仏 | ベスト4(2005) | |||
全英 | 準優勝(2005) | |||
全米 | ベスト4(2006) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 395位(2000年2月7日) | |||
ダブルス | 5位(2006年11月6日) | |||
来歴
編集ハンリーは普段からダブルスのスペシャリストとして活動し、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。ATPツアーでダブルス26勝を挙げた。ダブルスの自己最高ランキングは5位。彼が息を合わせてきたダブルス・パートナーには、同じオーストラリアのウェイン・アーサーズやケビン・ウリエットなどがいる。
ハンリーは両親がテニス・センターの経営者という家庭に生まれ育ち、早くからテニスに親しんだ。1997年に20歳でプロ転向。2001年からダブルスのスペシャリストとして頭角を現し始め、7月初頭のオレンジ・ワルシャワ・オープンで同じオーストラリアのネイサン・ヒーリーと組んで男子ツアー大会初優勝を果たす。この年はヒーリーとのペアで、ジャパン・オープン・テニス選手権男子ダブルス準優勝もあり、ハンリーとヒーリーは決勝でリック・リーチ/デビッド・マクファーソン組に6-1, 6-7, 6-7の逆転で敗れた。2002年までは男子ツアー最下層のITF男子サーキットでシングルスにも出場していたが、2003年以後は活動をダブルスのみに絞るようになる。
2002年全仏オープン男子ダブルスで、ハンリーは同じオーストラリアのウェイン・アーサーズと組んでベスト8に入った。しばらく様々な選手たちとのペアを試したが、2003年春から大半の試合でアーサーズと組むようになり、彼との組み合わせで2003年に全仏オープン前哨戦の1つのローマ・マスターズに優勝し、初めてのビッグタイトルを獲得する。ハンリーとアーサーズは、2003年全仏オープンと2004年ウィンブルドン選手権で男子ダブルスベスト4に入った。2005年ウィンブルドン選手権混合ダブルスで、ハンリーはタチアナ・ペレビニスと組んだ。2人は決勝戦でマヘシュ・ブパシ/マリー・ピエルス組に4-6, 2-6のストレートで敗れ、優勝のチャンスを逃した。2005年の男子ツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップの予選敗退を最後に、ハンリーとアーサーズはペアを解消した。
アーサーズとのペア解消後、ハンリーは2年間ケビン・ウリエットと組んだ。ハンリーとウリエットの組は、2006年・2007年の2年連続で全豪オープンと全米オープンの男子ダブルスベスト4に入ったが、4度とも決勝進出のチャンスを生かせなかった。2006年から、ハンリーは男子テニス国別対抗戦デビスカップオーストラリア代表選手を務め、これまでにシングルス0勝2敗、ダブルス8勝2敗の成績を挙げている。
ハンリーは2009年と2010年はシーモン・アスペリンと2011年からはルーカス・ドロウヒーやジェイミー・マリー、エリック・ブトラックらとペアを組んでいる。2011年全豪オープン混合ダブルスでは詹詠然とペアを組んで決勝に進出した。決勝ではダニエル・ネスター/カタリナ・スレボトニク組に3–6, 6–3, [7–10]で敗れ準優勝となった。
ハンリーは2014年7月のクロアチア・オープンが最後の出場になり36歳で現役を引退した[1]。
ATPツアー決勝進出結果
編集ダブルス: 51回 (26勝25敗)
編集結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2001年6月25日 | ノッティンガム | 芝 | マーク・クラッツマン | ドナルド・ジョンソン ジャレッド・パーマー |
4–6, 2–6 |
優勝 | 1. | 2001年7月30日 | ソポト | クレー | ネイサン・ヒーリー | イラクリ・ラバーゼ アッティラ・シャーヴォルト |
7–6(10), 6–2 |
準優勝 | 2. | 2001年10月8日 | 東京 | ハード | ネイサン・ヒーリー | リック・リーチ デビッド・マクファーソン |
5–7, 6–7(2) |
準優勝 | 3. | 2002年7月15日 | ボースタード | クレー | マイケル・ヒル | ヨナス・ビョルクマン トッド・ウッドブリッジ |
6–7(6), 4–6 |
準優勝 | 4. | 2002年10月28日 | ストックホルム | ハード (室内) |
ウェイン・アーサーズ | ウェイン・ブラック ケビン・ウリエット |
4–6, 6–2, 6–7(4) |
優勝 | 2. | 2003年1月13日 | シドニー | ハード | ネイサン・ヒーリー | マヘシュ・ブパシ ジョシュア・イーグル |
7–6(3), 6–4 |
優勝 | 3. | 2003年2月24日 | ロッテルダム | ハード (室内) |
ウェイン・アーサーズ | ロジャー・フェデラー マックス・ミルヌイ |
7–6(4), 6–2 |
優勝 | 4. | 2003年5月12日 | ローマ | クレー | ウェイン・アーサーズ | ミカエル・ロドラ ファブリス・サントロ |
7–5, 7–6(5) |
準優勝 | 5. | 2003年8月4日 | ワシントンD.C. | ハード | クリス・ハガード | エフゲニー・カフェルニコフ サルギス・サルグシアン |
5–7, 6–4, 2–6 |
準優勝 | 6. | 2003年8月18日 | シンシナティ | ハード | ウェイン・アーサーズ | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
6–7(3), 4–6 |
優勝 | 5. | 2003年9月29日 | 上海 | ハード | ウェイン・アーサーズ | 曾少眩 en:Ben-Qiang Zhu |
6–2, 6–4 |
準優勝 | 7. | 2003年10月27日 | ストックホルム | ハード (室内) |
ウェイン・アーサーズ | ヨナス・ビョルクマン トッド・ウッドブリッジ |
3–6, 4–6 |
優勝 | 6. | 2003年11月3日 | パリ | カーペット (室内) | ウェイン・アーサーズ | ミカエル・ロドラ ファブリス・サントロ |
6–3, 1–6, 6–3 |
優勝 | 7. | 2004年2月23日 | ロッテルダム | ハード (室内) |
ラデク・ステパネク | ジョナサン・エルリック アンディ・ラム |
5–7, 7–6(5), 7–5 |
準優勝 | 8. | 2004年5月10日 | ローマ | クレー | ウェイン・アーサーズ | マヘシュ・ブパシ マックス・ミルヌイ |
6–1, 4–6, 6–7(1) |
優勝 | 8. | 2004年6月21日 | ノッティンガム | 芝 | トッド・ウッドブリッジ | リック・リーチ ブライアン・マクフィー |
6–4, 6–3 |
準優勝 | 9. | 2004年7月19日 | ロサンゼルス | ハード | ウェイン・アーサーズ | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
3–6, 6–7(6) |
準優勝 | 10. | 2004年11月1日 | ストックホルム | ハード (室内) |
ウェイン・アーサーズ | フェリシアーノ・ロペス フェルナンド・ベルダスコ |
4–6, 4–6 |
優勝 | 9. | 2005年2月14日 | サンノゼ | ハード (室内) |
ウェイン・アーサーズ | イブ・アレグロ ミヒャエル・コールマン |
7–6(4), 6–4 |
準優勝 | 11. | 2005年2月28日 | スコッツデール | ハード | ウェイン・アーサーズ | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
5–7, 4–6 |
準優勝 | 12. | 2005年3月21日 | インディアンウェルズ | ハード | ウェイン・アーサーズ | マーク・ノールズ ダニエル・ネスター |
6–7(6), 6–7(2) |
優勝 | 10. | 2005年5月23日 | ペルチャッハ | クレー | ルーカス・アーノルド・カー | マルティン・ダム マリアン・オード |
6–3, 6–4 |
優勝 | 11. | 2005年7月25日 | インディアナポリス | ハード | グレイドン・オリバー | シーモン・アスペリン トッド・ペリー |
6–2, 3–1, 途中棄権 |
優勝 | 12. | 2005年10月3日 | バンコク | ハード (室内) |
リーンダー・パエス | ジョナサン・エルリック アンディ・ラム |
6–7(5), 6–1, 6–2 |
優勝 | 13. | 2005年10月17日 | ストックホルム | ハード (室内) |
ウェイン・アーサーズ | リーンダー・パエス ネナド・ジモニッチ |
5–3, 5–3 |
準優勝 | 13. | 2006年1月9日 | アデレード | ハード | ケビン・ウリエット | ジョナサン・エルリック アンディ・ラム |
6–7(4), 6–7(10) |
優勝 | 14. | 2006年2月27日 | ロッテルダム | ハード (室内) |
ケビン・ウリエット | ジョナサン・エルリック アンディ・ラム |
7–6(4), 7–6(2) |
優勝 | 15. | 2006年3月6日 | ドバイ | ハード | ケビン・ウリエット | マーク・ノールズ ダニエル・ネスター |
1–6, 6–2, [10–1] |
優勝 | 16. | 2006年5月22日 | ハンブルク | クレー | ケビン・ウリエット | マーク・ノールズ ダニエル・ネスター |
4–6, 7–6(5), [10–4] |
優勝 | 17. | 2006年5月29日 | ペルチャッハ | クレー | ジム・トーマス | オリバー・マラチ シリル・スーク |
6–3, 4–6, [10–5] |
優勝 | 18. | 2006年6月19日 | ロンドン | 芝 | ケビン・ウリエット | ヨナス・ビョルクマン マックス・ミルヌイ |
6–4, 7–6(5) |
準優勝 | 14. | 2006年8月7日 | ワシントンD.C. | ハード | ケビン・ウリエット | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
3–6, 7–5, [3–10] |
準優勝 | 15. | 2006年8月14日 | トロント | ハード | ケビン・ウリエット | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
5–7, 1–6 |
優勝 | 19. | 2006年10月16日 | ストックホルム | ハード (室内) |
ケビン・ウリエット | オリビエ・ロクス クリストフ・フリーヘン |
7–6(2), 6–4 |
優勝 | 20. | 2007年1月15日 | シドニー | ハード | ケビン・ウリエット | マーク・ノールズ ダニエル・ネスター |
6–4, 6–7(3), [10–6] |
準優勝 | 16. | 2007年5月21日 | ハンブルク | クレー | ケビン・ウリエット | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
3–6, 6–3, [7–10] |
準優勝 | 17. | 2007年8月12日 | モントリオール | ハード | ケビン・ウリエット | マヘシュ・ブパシ パベル・ビズネル |
4–6, 4–6 |
優勝 | 21. | 2008年3月1日 | ザグレブ | ハード (室内) |
ジョーダン・カー | クリストファー・カス ロヒール・ワッセン |
6–3, 3–6, [10–8] |
準優勝 | 18. | 2009年4月11日 | カサブランカ | クレー | シーモン・アスペリン | ルカシュ・クボット オリバー・マラチ |
6–7(4), 6–3, [6–10] |
優勝 | 22. | 2009年7月26日 | ハンブルク | クレー | シーモン・アスペリン | マルセロ・メロ フィリップ・ポラーシェク |
6–3, 6–3 |
準優勝 | 19. | 2009年10月25日 | ストックホルム | ハード (室内) |
シーモン・アスペリン | ブルーノ・ソアレス ケビン・ウリエット |
4–6, 6–7(4) |
準優勝 | 20. | 2010年2月14日 | ロッテルダム | ハード (室内) |
シーモン・アスペリン | ダニエル・ネスター ネナド・ジモニッチ |
4–6, 6–4, [7–10] |
優勝 | 23. | 2010年2月27日 | ドバイ | ハード | シーモン・アスペリン | ルーカス・ドロウヒー リーンダー・パエス |
6–2, 6–3 |
優勝 | 24. | 2011年1月9日 | ブリスベン | ハード | ルーカス・ドロウヒー | ロベルト・リンドステット ホリア・テカウ |
6–4, 途中棄権 |
優勝 | 25. | 2011年1月15日 | シドニー | ハード | ルーカス・ドロウヒー | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
6–7(6), 6–3, [10–5] |
準優勝 | 21. | 2012年2月5日 | モンペリエ | ハード (室内) |
ジェイミー・マリー | ニコラ・マユ エドゥアール・ロジェ=バセラン |
4–6, 6–7(4) |
優勝 | 26. | 2012年4月14日 | カサブランカ | クレー | ダスティン・ブラウン | ダニエレ・ブラッチャーリ ファビオ・フォニーニ |
7–5, 6–3 |
準優勝 | 22. | 2012年7月28日 | キッツビュール | クレー | ダスティン・ブラウン | フランティシェク・チェルマク ユリアン・ノール |
6–7(4), 6–3, [10–12] |
準優勝 | 23. | 2012年9月30日 | バンコク | ハード (室内) |
エリック・ブトラック | 盧彦勲 ダナイ・ウドムチョク |
3–6, 4–6 |
準優勝 | 24. | 2013年1月6日 | ブリスベン | ハード | エリック・ブトラック | マルセロ・メロ トミー・ロブレド |
6–4, 1–6, [5–10] |
準優勝 | 25. | 2014年2月23日 | マルセイユ | ハード (室内) |
ジョナサン・マレー | ジュリアン・ベネトー エドゥアール・ロジェ=バセラン |
6–4, 6–7(6), [11–13] |
脚注
編集- ^ “Hanley, Hutchins Retire From Professional Tennis”. atpworldtour.com. ATP Tour, Inc. (2014年9月12日). 2014年10月10日閲覧。