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ナイロビ日本人学校 (Nairobi Japanese School, NJS) は、ケニアの首都ナイロビ近郊、ナイロビ州ランガタ (Lang'ata) にある日本人学校[1]。収容可能な生徒数は135人とされているが、2011年での在籍生徒数は35人にとどまっている[2]

ナイロビ日本人学校
国公私立の別 私立学校
校訓 たくましく豊かに大地を吹く風になれ
設立年月日 1970年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
所在地  ケニア ナイロビ州
P.O. Box 948 – 00502 Karen Nairobi KENYA北緯1度20分08.0秒 東経36度45分07.0秒 / 北緯1.335556度 東経36.751944度 / 1.335556; 36.751944座標: 北緯1度20分08.0秒 東経36度45分07.0秒 / 北緯1.335556度 東経36.751944度 / 1.335556; 36.751944
外部リンク 公式サイト
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沿革

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ナイロビでは、1967年から日本大使館を会場として、青年海外協力隊による補習授業が行われていた[3]。これを拡充する形で、1970年5月9日[2]在ケニア日本国大使館附属日本人学校が、ハーリンガム (Hurlingham) 地区に設立され[3]1976年には、当時中学生として在籍していた生徒の作詞作曲による校歌が制定され、1983年には校章が制定された[4]1980年に現在の校舎が新築され、1981年から現校舎での授業が始まった[3]。現校地は運動場9,000平方メートルを含め、敷地面積28,293平方メートルに、校舎1棟と体育館1棟が設けられている[2]1992年、当時の文部省から在外教育施設の認定を受け、校名がナイロビ日本人学校と改められた[3]

当地の治安はしばしば悪化することがあり、1995年には校長銃撃致死事件(後述)が発生し、2008年には暴動の影響で1週間の休校を余儀なくされた[3]

1999年には、高円宮憲仁親王久子妃2010年3月11日には皇太子徳仁親王(当時。令和時代の天皇)が学校を訪問している[5]

校長銃撃致死事件

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学校がまだ夏休み中だった1995年8月16日、当時55歳で、1993年から着任していた校長が、学校の正門で強盗とみられる2人組に銃撃されて死亡する事件が発生した[6]

この時点までに海外の日本人学校の教員が殺害された事件は、1993年南アフリカ共和国ヨハネスブルグ日本人学校の女性教員が旅行先で殺害された例しかなかった[6]。校長の死は、公務災害と認定された[7]

出典・脚注

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  1. ^ NAIROBI JAPANESE SCHOOL” (PDF). Rosslyn Academy. 2013年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月27日閲覧。 ()
  2. ^ a b c 概要” (PDF). ナイロビ日本人学校. 2017年11月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e 沿革” (PDF). ナイロビ日本人学校. 2017年11月11日閲覧。
  4. ^ 校歌と校章” (PDF). ナイロビ日本人学校. 2017年11月11日閲覧。
  5. ^ 佐々木隆広 (2010年3月12日). “ケニア訪問中の皇太子さま、日本人学校の生徒と交流”. 朝日新聞・朝刊: p. 37  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ a b “夢追った海外で凶弾 治安悪化に心痛め ナイロビの日本人学校長射殺”. 朝日新聞・朝刊: p. 27. (1995年8月17日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ “公務災害と認定し遺族に見舞金 ナイロビの学校長殺人”. 朝日新聞・朝刊・東京. (1995年10月14日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

関連文献

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  • 日高博子『コンザ村の子どもたち―ケニア・ナイロビ日本人学校教師の記録』ほるぷ出版、1984年。ISBN 978-4593534081 
  • 日高博子 (大阪市立田島中学校教諭). "外国人学校としての日本人学校 : ナイロビ日本人学校のばあい." 国際教育研究 (Research Bulletin of International Education) 2, 1-5, 1983-03. 東京学芸大学. See profile at CiNii.
  • 高橋千裕(名古屋大学教養部生物学科)と高橋みな子(名古屋短期大学英語科). "ナイロビ日本人学校生徒の見たケニア." 名古屋大学総合研究資料館(古川資料館)報告 (Bulletin of the Nagoya University Museum (Furukawa Museum)) 4, 115-124, 1988-12. 名古屋大学. See profile at CiNii.
  • 大澤 陽介. "経験者に聞く! 海外教師生活 ナイロビ日本人学校 不安におびえていては、もったいない。危険かつ不便な環境も楽しめるほど異文化を知ることは、何事にも代え難い経験だった (特集 広がる視野! 新たな可能性の発見! 「海外で教える」という選択) ." 総合教育技術 66(10), 64-67, 2011-10. 小学館. See profile at CiNii.

関連項目

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外部リンク

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