Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

トップホットシアターは、大阪府大阪市北区梅田東宝OSMビル(場所はHEP NAVIOの隣)内にあった演芸場阪急阪神東宝グループコマ・スタジアム経営。『コマ・モダン寄席』の看板を掲げていた。

トップホットシアター
TOPHOT THEATER
情報
正式名称 トップホットシアター
旧名称 OSミュージックホール
開館 1969年4月5日
閉館 1977年3月7日
用途 演芸場
運営 コマ・スタジアム
所在地 大阪府大阪市北区角田町7-17
東宝OSMビル
アクセス 大阪市営地下鉄谷町線東梅田駅下車徒歩4分
テンプレートを表示

歴史・概要

編集

1969年昭和44年)4月開場。もともとこのビル内には同年3月までは東宝直営のヌード劇場・OSミュージックホールがあった。同劇場が同年3月30日をもって閉鎖となり、一部改装を経て4月5日に開場。こけら落としには既に参議院議員になっていた横山ノックが舞台上から祝辞を述べた。

当初は進行役に芦屋小雁を据え、彼の漫談演芸番組を進行させ、合間に挟む30分物のコメディ・ショウや軽演劇も彼が主演をしていた。これにコマ・ダンシングチームから8人の精鋭「トッピー・エイト」が選抜され、小雁の相手役として舞台に華を添えた。また、出演芸人は松竹芸能が斡旋をしており、開演記念番組には松竹の看板であったかしまし娘中田ダイマル・ラケットが出演していた。

後に他の演芸場と同様の番組構成となる。一日二回公演で入れ替え無し。出演芸人はグループ企業の大宝芸能(後の大宝企画。現在は会社解散)所属芸人の他、ケーエープロダクション米朝事務所和光プロダクションなど、(吉本や松竹からの客演も一部あったものの)吉本興業とも松竹芸能とも付かない第三勢力の牙城となった。中入りにはゲームコーナー(松下電器産業とタイアップした「ナショナルヤングパーティー」や、協賛社による賞品付きの観客参加コント「爆笑パーティー」)が設けられ、トリには近隣のうめだ花月吉本新喜劇の向こうを張った「コマ新喜劇」の公演を行っていた。ただし、テレビ局の中継車のスペースがない事を理由にテレビ中継はできず、これが集客のネックになった。

舞台は横に広く(都島通側とHEP FIVE側が両端)、また開場当初はヌード劇場の名残から中央に「出臍」(張り出し舞台)があったと言われる。二階席もあったが、二列しか無かった。

1977年(昭和52年)3月7日に閉鎖された。営業成績はうめだ花月に押されて終始苦戦していたと言われる。建物はその後も東宝が経営するOSMビルとして存在していたが、2012年12月以降は再開発対象物件となり、1階裏の賃貸店舗(飲食店)と2階のサントリーバー(酒場)を除き、テナントはすべて退出してしまい、2016年8月解体工事が始まった[1][2]。なお、裏の楽屋入口跡は解体まで残っていた。なお、閉館以降の内部は大改装されていて、1階は揚子江ラーメンほか各種飲食店が入居していたほか、全映連・東宝支部等が入居していた。

主な出演者

編集

漫才

編集

ほか

落語

編集

ほか

漫談・その他

編集

ほか

音楽ショウ

編集

コメディアン

編集

演劇

編集
  • コマ新喜劇

備考

編集
  • 「トップホットシアター」の由来は「TOPHOT」。つまり「東宝」から来ている。
    • 神戸松竹座1969年3月下席に出演していた桂春蝶が楽屋で先輩芸人の砂川捨丸に「次は『トップ・ホット・シアター』ですねん」と告げたところ捨丸から「3軒も掛け持ちとはえらいなあ」と感心された。というマクラ(=ツカミネタ)を振っていた。
  •  ABCテレビで放送された「お笑いトップホット」は、当劇場のレギュラー芸人が出演していたが、収録場所はABCのスタジオだった。

脚注・出典

編集
  1. ^ “【民間】大阪・梅田の商業ビル「OSMビル」の解体工事に着手”. 建設ニュース. (2016年8月30日). http://www.constnews.com/?p=24151 2016年10月4日閲覧。 
  2. ^ “梅田で東宝OSMビルが解体中”. 建通新聞 (建通新聞社). (2016年9月21日). http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/160915700046.html 2016年10月4日閲覧。