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ダンツシアトル(欧字名:Dantsu Seattle1990年5月13日 - 2020年9月24日)は、アメリカ合衆国で生産された日本競走馬種牡馬[1]

ダンツシアトル
1995年6月4日 京都競馬場
欧字表記 Dantsu Seattle[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1990年5月13日[1]
死没 2020年9月24日(30歳没)
登録日 1992年9月3日
抹消日 1997年1月22日
Seattle Slew[1]
Call Me Goddess[1]
母の父 Prince John
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[1]
生産者 サラブレッド ブリーディング
アソシエイツ サービス[1]
馬主 山元哲二[1]
調教師 山内研二栗東[1]
競走成績
生涯成績 14戦8勝[1]
獲得賞金 2億8131万3000円[1]
勝ち鞍
GI 宝塚記念 1995年
GIII 京阪杯 1995年
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1995年宝塚記念(GI)、京阪杯(GIII)優勝馬である。

父は無敗のアメリカ三冠Seattle Slew、祖母にCCAオークス(アメリカGI)勝ち馬Marshua、半姉にサンタラリ賞フランスG1)勝ちのSmuggly、イタリアオークス(イタリアG1)2着のAslがいる良血馬。バレッツセールで32万5000ドルで落札された。

戦績

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ダンツシアトルがデビューしたのは1992年10月の東京での新馬戦。生まれつき脚が外向していたため強い調教が積めず、この時期のデビューには懐疑的な声もあったが、4馬身差で勝利した。次に出走した赤松賞(500万下)でも勝利を収め、オープン入りしたが、その矢先に骨折が判明し、長期休養に入った。

4 - 5歳

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ダンツシアトルが復帰したのは1993年の9月だった。初戦の苗場特別(900万下)は4着だったが、続く浦安特別(900万下)を快勝。この後、ウェルカムステークス(1500万下)も勝ち、オープン入りを果たした。

重賞に初挑戦したのは年が明けて古馬になった1994年1月の日経新春杯だった。4番人気に推されたが、直線で失速し7着に敗れた。その後、すばるステークス8着、バレンタインステークス3着とオープン特別を2戦した後、左前脚に屈腱炎を発症し、ふたたび長期休養を強いられた。その間にクラスも準オープンに降級した。

ダンツシアトルの復帰戦は1995年3月の道頓堀ステークス(1500万下)だった。長期休養明けだっただけに単勝は12番人気と低評価だったが快勝し、オープン馬に復帰した。

その後、ダンツシアトルは陽春ステークス(オープン特別)で3着(致命的な不利があった)、オーストラリアトロフィー(オープン特別)1着を経て、京阪杯に出走した。安田記念除外となったため、このレースに出走したダンツシアトルはオークスチョウカイキャロルに1馬身半差をつけて勝ち、初重賞制覇を果たした。

遂に重賞ウイナーとなったダンツシアトルは次走に宝塚記念を選択、これがGI初挑戦となった。2番人気に支持されたダンツシアトルは1番人気のライスシャワーが競走中止となるアクシデントがあった中で同じシアトルスルーを父に持つタイキブリザードをクビ差抑えてGI初勝利を挙げた[注 1][注 2]

宝塚記念後、ダンツシアトルはジャパンカップへ向けて調整していたが、その中途で屈腱炎が再発し再び休養に入った。レコード決着となった宝塚記念で激走した反動で屈腱炎が再発したのだろう、と当時噂されたが、実際のところ原因は未だもって分かっていない。

結局、ダンツシアトルはこの屈腱炎が原因で復帰することができず、1997年1月に引退。種牡馬となった。

種牡馬時代

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ダンツシアトルは日本中央競馬会 (JRA) に種牡馬として購入され、日本軽種馬協会へと寄贈された。2006年2007年は九州種馬場で、2008年は那須種馬場で、2009年東京大学大学院農学生命科学研究科付属牧場で繋養され、2010年からは再び九州種馬場で繋養された。

2017年をもって種牡馬引退、種牡馬引退後も引き続き九州種馬場で繋養された。2020年9月24日、老衰により死亡[2]

主な産駒

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  • 1998年産
  • 1999年産
  • 2000年産
    • ベルガモットシール(霧島賞)
  • 2001年産
    • バルトフォンテン(中山新春ジャンプステークス)
  • 2006年産
    • カシノチェスト(たんぽぽ賞)
  • 2008年産
    • クラウンリバー(たんぽぽ賞)
  • 2013年産
    • ナンゴクロックオン(たんぽぽ賞)

母の父として主な産駒

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競走成績

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以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[4]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上がり3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1992.10.17 東京 3歳新馬 ダ1400m(稍) 6 1 1 001.10(1人) 01着 R1:26.9(37.8) -0.7 0岡部幸雄 53 (マウントロマン) 474
0000.11.14 東京 赤松賞 5下 ダ1400m(良) 10 8 10 002.20(1人) 01着 R1:25.3(37.6) -0.3 0岡部幸雄 54 (シロキタアラシ) 478
1993.09.06 新潟 苗場特別 9下 芝1200m(良) 16 3 5 004.30(2人) 04着 R1:10.5(35.2) -0.2 0田中勝春 55 エルカーサロマン 474
0000.09.18 中山 浦安特別 9下 芝1600m(良) 10 2 2 002.30(1人) 01着 R1:34.2(35.0) -0.2 0蛯名正義 55 (リワードガルソン) 476
0000.10.30 東京 アイルランドT OP 芝1600m(重) 12 4 4 002.90(1人) 06着 R1:35.5(36.5) -1.0 0武豊 54 イイデザオウ 480
0000.11.28 東京 ウェルカムS 15下 芝2000m(良) 16 2 3 007.70(2人) 01着 R2:00.2(35.7) -0.1 0蛯名正義 56 (ニホンピロナーリー) 484
1994.01.23 阪神 日経新春杯 GII 芝2500m(良) 16 8 15 006.70(4人) 07着 R2:37.1(38.7) -1.6 0武豊 55 ムッシュシェクル 496
0000.02.05 阪神 すばるS OP ダ1400m(稍) 12 2 2 002.00(1人) 08着 R1:25.7(37.8) -1.9 0田原成貴 55 エイシンライジン 492
0000.02.18 東京 バレンタインS OP 芝1800m(良) 14 6 9 003.40(2人) 03着 R1:46.6(35.9) -0.4 0岡部幸雄 55 パワフルボーイ 486
1995.03.26 京都 道頓堀S 15下 芝1600m(良) 16 8 15 069.9(12人) 01着 R1:33.6(36.1) -0.2 0村本善之 57 (タマモロード) 510
0000.04.16 京都 陽春S OP 芝1600m(良) 14 5 7 002.70(1人) 03着 R1:34.3(36.1) -0.4 0村本善之 55 フェイヴァーワン 502
0000.04.30 京都 オーストラリアT OP 芝1800m(良) 11 8 11 002.30(2人) 01着 R1:46.7(34.2) -0.5 0村本善之 56.5 (アロートゥスズカ) 500
0000.05.13 京都 京阪杯 GIII 芝2000m(良) 12 8 12 002.70(1人) 01着 R1:58.9(35.1) -0.2 0村本善之 57 チョウカイキャロル 496
0000.06.04 京都 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 17 1 1 005.10(2人) 01着 R2:10.2(34.7) -0.1 0村本善之 57 タイキブリザード 498

血統表

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ダンツシアトル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 シアトルスルー系
[§ 2]

Seattle Slew
1974 黒鹿毛
父の父
Bold Reasoning
1968 黒鹿毛
Boldnesian Bold Ruler
Alanesian
Reason to Earn Hail to Reason
Sailing Home
父の母
My Charmer
1969 鹿毛
Poker Round Table
Glamour
Fair Charmer Jet Action
Myrtle Charm

Call Me Goddess
1971 栗毛
Prince John
1953 栗毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
母の母
Marshua
1962 鹿毛
Nashua Nasrullah
Segula
Emardee Heliopolis
Miss Drummond
母系(F-No.) (FN:16) [§ 3]
5代内の近親交配 Princequillo 5×3=15.63% Nasrullah 5×5×4=12.50% Striking 5×5=6.25% Busher 5×5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [5]
  2. ^ [6]
  3. ^ [5]
  4. ^ [5]

祖母Mashuaの曾孫にハートレイク(1995年安田記念GI勝ち)がいる。

脚注

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注釈

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  1. ^ この時の走破タイム2分10秒2は、2012年京都新聞杯トーセンホマレボシが2分10秒0を記録するまでの京都芝2200メートルのコースレコードであったと同時に、2004年セントライト記念コスモバルクが2分10秒1を記録するまでの芝2200メートルの日本レコードであった。
  2. ^ タイム自体は、2011年アーネストリーが2分10秒1を記録するまでの宝塚記念のレースレコードであったが、この年の宝塚記念は京都開催で参考記録となっていた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ダンツシアトル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年7月13日閲覧。
  2. ^ 1995年の宝塚記念優勝馬・ダンツシアトルが大往生 30歳で死ぬ 通算成績14戦8勝」『中日スポーツ』2020年9月30日。2020年9月30日閲覧。
  3. ^ ダンツシアトル 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年10月23日閲覧。
  4. ^ ダンツシアトルの競走成績”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年10月23日閲覧。
  5. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ダンツシアトル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年8月8日閲覧。
  6. ^ ダンツシアトルの血統表”. netkeiba.com. 2017年8月8日閲覧。

外部リンク

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