カール・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=テシェン
カール・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=テシェン(Karl Ferdinand von Österreich-Teschen, 1818年7月29日 - 1874年11月20日)は、オーストリアの皇族。
カール・フェルディナント Karl Ferdinand | |
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ハプスブルク=テシェン家 | |
称号 | オーストリア大公 |
出生 |
1818年7月29日 オーストリア帝国、ウィーン |
死去 |
1874年11月20日(56歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、モラヴィア、ジドロホヴィツェ、ジドロホヴィツェ宮殿 |
埋葬 | オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
配偶者 | エリーザベト・フランツィスカ |
子女 |
一覧参照
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父親 | カール |
母親 | ヘンリエッテ・アレクサンドリーネ |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
生涯
編集1818年、オーストリア皇帝フランツ1世の弟テシェン公カールとその妻ヘンリエッテ・アレクサンドリーネの次男として生まれた。 「アスペルンの英雄」カール大公の息子であるカール・フェルディナントは、ブルノの歩兵第57連隊から軍歴が始まった。その後、イタリアで旅団の指揮を執り、1848年にプラハで反乱軍と戦った。1859年にモラヴィアとシレジアの将軍となり、1860年にブルノに戻った。
1854年4月18日、ウィーンで同族の従妹であるエリーザベト・フランツィスカと結婚した。ハンガリー宮中伯ヨーゼフ・アントン大公の娘であるエリーザベト・フランツィスカはモデナ公子フェルディナント・カールの未亡人で、前夫との間に後にバイエルン王妃となったマリア・テレジアを儲けていた。
2人の間には6人の子供が生まれた。
- フランツ・ヨーゼフ(1855年)
- フリードリヒ(1856年 - 1936年) - 第一次世界大戦時の陸軍最高司令官、伯父アルブレヒトの跡を継いでテシェン公となった。
- マリア・クリスティーナ(1858年 - 1929年) - スペイン王アルフォンソ12世妃
- カール・シュテファン(1860年 - 1933年) - 海軍元帥
- オイゲン(1863年 - 1954年) - 陸軍元帥、ドイツ騎士団総長
- マリア・エレオノーラ(1864年)