エトルリア人
イタリア半島中部の先住民族
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2023年4月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
エトルリア人(ラテン語: Etrusci イタリア語: Etruschi)は、イタリア半島北部-中部(ボローニャ近郊からペルージャ‐ローマ近郊まで)に紀元前9世紀から紀元前1世紀まで住んでいた先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属さない(先印欧語である)エトルリア語を使用していた。独自のエトルリア文化を築き、ギリシア人、フェニキア人と制海権を争い、特にギリシアでは海賊と見做され怖れられたが[1]、紀元前5世紀頃から衰退し、共和政ローマによって紀元前396年にウェイイを陥落させられ、他の諸都市も徐々にその支配下に入った[2]。
初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々、エトルリア文化の特徴であったといわれる。また、王政ローマの王の幾人かはエトルリア人であったともいわれ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和政に移行した。
関連項目
編集出典
編集参考文献
編集- ドミニク・ブリケル『エトルリア人 ローマの先住民族 起源・文明・言語』白水社〈文庫クセジュ ; 932〉、2009年。ISBN 978-4-560-50932-6。