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鳴無神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳴無神社

拝殿(国の重要文化財
所在地 高知県須崎市浦ノ内東分字鳴無3579
位置 北緯33度24分51.5秒 東経133度22分7.64秒 / 北緯33.414306度 東経133.3687889度 / 33.414306; 133.3687889座標: 北緯33度24分51.5秒 東経133度22分7.64秒 / 北緯33.414306度 東経133.3687889度 / 33.414306; 133.3687889
主祭神 一言主命
社格郷社
創建 (伝)第21代雄略天皇4年
本殿の様式 三間社春日造
例祭 志那禰祭、秋祭
地図
地図
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境内鳥居

鳴無神社(おとなしじんじゃ)は、高知県須崎市浦ノ内東分にある神社旧社格郷社

祭神は一言主命[1]。本殿・幣殿・拝殿は国の重要文化財に指定されている。参道がに向かって延びており、「土佐宮島」とも称される[2]

概要

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横浪(よこなみ)半島によって形成される浦ノ内(うらのうち)湾の最奥部付近に、北西向きで鎮座している。

北方対岸の横浪港に遥拝所があり、市営巡航船の貸切運行を利用することで、そこから湾内の海を縦断して参拝することも可能となっている[3]

社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れた[4]。雄略天皇4年の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされる。実際は、鎌倉時代建長3年(1251年)に創建されたようである。

一言主命は土佐国一宮土佐神社と同じ祭神であるが、土佐神社は当神社の別宮であったとされている。

江戸時代に入り土佐藩2代藩主の山内忠義の命により社殿が造営され、境内が整備された。

文化財

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重要文化財(国指定)
  • 本殿
三間社春日造こけら葺。土佐藩2代藩主・山内忠義により寛文3年(1663年)に造営。柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵がある。昭和28年(1953年)3月31日指定。
  • 幣殿・拝殿
幣殿と拝殿を合わせて1棟とする。平入りの拝殿の背後に妻入りの幣殿が接続し、平面はT字形を呈する。幣殿は桁行一間・梁間三間・一重。屋根はこけら葺で、背面は切妻造、正面は拝殿に接続している。拝殿は桁行三間・梁間二間・一重の切妻造、こけら葺で、正面軒に唐破風を付す。四方吹き抜けの簡素な建物である。本殿と同時期の建立。昭和28年(1953年)3月31日指定。

上記2棟は老朽化が進んだため、昭和31年(1956年)より昭和32年(1957年)にかけて解体復元修理が行われた。

例祭

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志那禰祭

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志那禰祭(しなねまつり)は、毎年8月24日から翌8月25日にかけて行われる夏祭である。24日は宵祭り(前夜祭)で、25日に本祭が行われる。本祭では祭のクライマックスとして、漁船3隻に神輿を乗せ供船として漁船20を従え大漁旗をなびかせて海上を船渡御が行われる。

秋祭

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旧暦8月23日に行われる。神踊(こおどり、高知県指定民俗文化財)が奉納される。

画像

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アクセス

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注釈

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  1. ^ 当神社では一言主命は味鉏高彦根命と同一神であるとしている(現地説明板)
  2. ^ 高知県の歴史散歩、鳴無神社(るるぶ.com)ほか
  3. ^ 巡航船の貸切運航について - 須崎市
  4. ^ 土佐に流されたともされる

参考文献

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  • 高知県高等学校教育研究会歴史部会/編 『高知県の歴史散歩』 山川出版社/刊 2006年 230ページ
  • 『解説版 新指定重要文化財 11 建造物I』、毎日新聞社、1981

外部リンク

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