鳴無神社
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鳴無神社 | |
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拝殿(国の重要文化財) | |
所在地 | 高知県須崎市浦ノ内東分字鳴無3579 |
位置 | 北緯33度24分51.5秒 東経133度22分7.64秒 / 北緯33.414306度 東経133.3687889度座標: 北緯33度24分51.5秒 東経133度22分7.64秒 / 北緯33.414306度 東経133.3687889度 |
主祭神 | 一言主命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | (伝)第21代雄略天皇4年 |
本殿の様式 | 三間社春日造 |
例祭 | 志那禰祭、秋祭 |
地図 |
鳴無神社(おとなしじんじゃ)は、高知県須崎市浦ノ内東分にある神社。旧社格は郷社。
祭神は一言主命[1]。本殿・幣殿・拝殿は国の重要文化財に指定されている。参道が海に向かって延びており、「土佐の宮島」とも称される[2]。
概要
[編集]横浪(よこなみ)半島によって形成される浦ノ内(うらのうち)湾の最奥部付近に、北西向きで鎮座している。
北方対岸の横浪港に遥拝所があり、市営巡航船の貸切運行を利用することで、そこから湾内の海を縦断して参拝することも可能となっている[3]。
社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れた[4]。雄略天皇4年の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされる。実際は、鎌倉時代の建長3年(1251年)に創建されたようである。
一言主命は土佐国一宮の土佐神社と同じ祭神であるが、土佐神社は当神社の別宮であったとされている。
江戸時代に入り土佐藩2代藩主の山内忠義の命により社殿が造営され、境内が整備された。
文化財
[編集]- 重要文化財(国指定)
- 本殿
- 三間社春日造、こけら葺。土佐藩2代藩主・山内忠義により寛文3年(1663年)に造営。柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵がある。昭和28年(1953年)3月31日指定。
- 幣殿・拝殿
- 幣殿と拝殿を合わせて1棟とする。平入りの拝殿の背後に妻入りの幣殿が接続し、平面はT字形を呈する。幣殿は桁行一間・梁間三間・一重。屋根はこけら葺で、背面は切妻造、正面は拝殿に接続している。拝殿は桁行三間・梁間二間・一重の切妻造、こけら葺で、正面軒に唐破風を付す。四方吹き抜けの簡素な建物である。本殿と同時期の建立。昭和28年(1953年)3月31日指定。
上記2棟は老朽化が進んだため、昭和31年(1956年)より昭和32年(1957年)にかけて解体復元修理が行われた。
例祭
[編集]志那禰祭
[編集]志那禰祭(しなねまつり)は、毎年8月24日から翌8月25日にかけて行われる夏祭である。24日は宵祭り(前夜祭)で、25日に本祭が行われる。本祭では祭のクライマックスとして、漁船3隻に神輿を乗せ供船として漁船20を従え大漁旗をなびかせて海上を船渡御が行われる。
秋祭
[編集]旧暦8月23日に行われる。神踊(こおどり、高知県指定民俗文化財)が奉納される。
画像
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本殿・幣殿(国の重要文化財)
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本殿の細部
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拝殿(国の重要文化財)
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一の鳥居
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海に向く参道
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大鳥居
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遙拝所(須崎市横浪)
アクセス
[編集]注釈
[編集]- ^ 当神社では一言主命は味鉏高彦根命と同一神であるとしている(現地説明板)
- ^ 高知県の歴史散歩、鳴無神社(るるぶ.com)ほか
- ^ 巡航船の貸切運航について - 須崎市
- ^ 土佐に流されたともされる
参考文献
[編集]- 高知県高等学校教育研究会歴史部会/編 『高知県の歴史散歩』 山川出版社/刊 2006年 230ページ
- 『解説版 新指定重要文化財 11 建造物I』、毎日新聞社、1981